祭り
「近所で夏祭りがあるんだ」
「…それで?」
誠一郎から借りている花言葉の本の頁を捲ってから、私は訊ねる。
文字だけのこの本は、人間には辞書のように楽しみにくいものだろう。
だが、私にとっては知識の確認なので、そんなに苦ではない。
「一緒に行…」
「断る」
「まだ言い終えてもいないんだが…」
私は本を閉じた。
「”祭り”というものを私は知っている。わざわざ悪目立ちしてまで行く必要はない」
誠一郎は納得したように頷いた。
「つまり、必要があれば行くんだな」
「…まぁ、そういうことになるな」
「君は、祭りを知っているだろう」
「…知っているが?」
「だが、体験したことはない」
きっぱりと言い切られて反論したくなったが、反論できる事実を私は持っていなかった。
「…確かに、その通り。私は”祭り”を体験したことはない」
「知識として”知っている”のと、体験したこととして”知っている”のには差があると、僕は思う」
「……」
「間違っているか?」
私は、溜め息を吐く。
「…分かった。その考え方は面白いし、一理ある。でも、私が”化け物”だということを忘れている」
”化け物”という単語に、誠一郎はあからさまに怪訝そうな顔をする。
それに気づかぬふりをして、私は続けた。
「私はおろか、私を連れている誠一郎まで目立ってしまうだろう」
「それは問題ない。君はどうなんだ。行ってもいいのか」
「まぁ、誠一郎が良いと言うのなら…」
「決まりだな」
誠一郎は、今日ここに来てからずっと持っていた小包を、私に渡した。
「君に、贈り物だ」
”贈り物”。知ってはいたが、それをもらうことを体験したことは無かった。
小包を丁寧に開け、中のものを取り出してみると、それは、薄桃色の浴衣だった。
「…どうしてだ」
「ん?」
「これを最初に出したのなら、私は祭りへ行くことを拒まなかったはずだ。君はそれを知っていただろう」
ものをもらっておいて、それには行かない、なんて勝手を抜かすような私ではない。
「そうだな」
同意を受けて、私は聞いた。
「何で、先に出さなかった?」
「君に強制したかったわけじゃあない。君が僕の考えに納得してくれてこそ、僕も楽しいだろうからな」
「…なるほど」
誠一郎の答えに、私は笑う。
「とても、君らしい答えだ」
嘲笑以外で笑うのは、きっと初めてだ。私は、心から笑った。
「…早く着替えたらどうだ。着方も知っているんだろう」
「うん、知っている」
今、誠一郎の顔が赤いことも、誠一郎の優しさは不器用だということも、私は全て知っている。
「この髪は束ねた方が良いと思う。目立つからな」
私の言葉に、誠一郎は頷く。
「僕が結おうか」
そう言って、私の後ろにまわる誠一郎。
「うん。頼む」
結い方は知っているが、実践はしたことがない。
それに何より、このすごく綺麗な浴衣を着崩すことはためらわれた。
「後ろでひとつにまとめて輪を作るようにする結い方が、おそらく一番目立たない」
「…君は説明が下手だ、ということを君は知らない」
「それは誠一郎の理解力を試すためだ、ということを誠一郎は知らない」
「僕の理解力にも限度があるんだが」
軽口を叩きながら、誠一郎は私の髪を手ぐしで梳く。
私に触れる誠一郎の手は、ひどく優しい。それも、私は知っている。
「髪を結う前に、狐面を外してほしい」
その言葉に、私は小さく息を呑んだ。
「どうして」
「後ろで結んでいる紐が邪魔だからだ」
「…決して、私の顔を見ないと約束するのなら、外す」
「それは何故だ?」
私は、狐面の上から右の頬を押さえた。
「昔、酷い火傷をした。…醜い顔を誠一郎に晒すことには、抵抗がある」
「分かった。見ない。約束しよう」
私は微かに震える手で、そっと狐面を外した。
これを外したのは、何千年ぶりだろう。
誠一郎はふざけて覗き込むような真似はしなかった。
「あ、しまった。縛るものがないな」
その声に、私は近くに落ちていた葉を拾った。
―――――葉よ、紐になれ―――――
葉が紐に変わった。
「これでいいか?」
私はそう言って、誠一郎に紐を渡す。
「…驚いたな。君は物の姿形を変えることが出来るのか」
「…うん。そうらしいな。私は今、無意識だった」
また、私の知らない私を知った。
不思議な力が扱えるらしい、ということを。
「君は、神様なのかもしれないな」
「神?誠一郎はまた面白いことを言う」
「あの日出逢ったのも、もしかして僕の元に降りてきてくれたのか?」
「私たちが出逢ったことは、偶然か、必然か。という問題か」
「どちらにしろ、運命だろうがな」
平気でそういうことを言う誠一郎を、時々信じられないと思う。
「…なぁ」
誠一郎は、少し言い淀んだ。
「その火傷というのは、……」
そんな優しい誠一郎に、私は優しく答える。
「私が”化け物”だという証明だ」
「…確認のために聞く。君は目がひとつだったり、口がたくさんあったりするのか?」
「いや、目はふたつに口はひとつだし、髪と目の色以外、大して人間と変わらない」
「もうひとつ。君は、その追ってきた人間を殺したか?」
大昔のことを思い出す。
確か、私は。
「…殺してない」
「それなら、断言できる」
誠一郎は鋭い声で言った。
「理不尽な目に遭っても攻撃しなかった君と、容姿だけで君を判断して傷を残した人間。一体、どちらが”化け物”か…。君なら、分かるだろう」
彼は一呼吸おいて、続けた。
「その人間たちが君に対して”化け物”と言ったのだとしたら、それは自己紹介だったというわけだ」
あんまりな物言いに、私は声を上げて笑った。
「誠一郎は本当に面白いな!」
「…お面も、結んだぞ」
誠一郎はそう言って立ち上がり、私に手を伸ばした。
「行こうか」
伸ばされた手を、私は迷いなく握る。
「うん。行こう」
遠くから聞こえる太鼓や笛の音。
私が誠一郎の手を強く握ると、誠一郎も握り返してくれた。
突然、彼は私の耳元で囁いた。
「またひとつ、君のことを知った。君は、すごく綺麗だ」
―――――誠一郎との時間が、ずっと続いてほしい。
この感情の名前を、私は知らない。