過去
生まれたばかりの頃、私は自分のことを何も知らなかった。
自分のことで知っているのは、独りで生まれたということ。
そして、自分以外のことは何故か全て知っているということのみだった。
私は自分の存在を知りたくて、辺りを見渡した。
私の横には、川があった。そこを覗き込む。
最初に、私の知らない私の情報を伝えてくれたのは、川だった。
私は知った。自分が。”人間”の”女”に近い姿をしているということを。
少し歩いてみることにした。足が、チクチクと痛む。
次に、私の知らない私の情報を伝えてくれたのは、落ち葉だった。
私は知った。自分が”裸足”であることを。
何かを探すように、私はひたすら歩いた。
その先にあったのは、人間の村だった。
「あなた、裸じゃないか」
そこで私は、”人間の子供”を知った。
土に汚れた着物を着た、幼い”女の子”だ。
女の子は、不思議そうに私を見上げた。
「着るもの、持って無いの?」
私は頷く。
それが、肯定の意を示すものであると、私は知っていた。
「変なの。じゃあ、私の貸してあげるよ。一緒に来て」
女の子は私の手を取り、歩き出した。
人間の手を温もりを、私は知った。
「こんなものしかないけど、いい?」
女の子は、茶色の着物を出してくれた。
それを着ると、女の子は目に涙を溜めていた。
涙とは、悲しいときに流すものだと、私は知っていた。
何か悲しませてしまったか、と訊ねようとすると、女の子は涙を拭いながら笑った。
「ごめん。…それ、流行り病で死んだ母ちゃんの着物なんだ。つい、懐かしくて」
人間は、懐かしくても涙を流すらしい。
それは、知らなかった。
泣いている女の子を、私は抱き寄せた。
女の子が驚いたように息を呑む。
人間は鼓動を聞くと安心するということを、私は知っていた。
私に鼓動があるのかは知らないが、あればいいと思った。
女の子の涙を止めたい、と思ったのだ。
「慰めて、くれてる…?」
私が頷くと、女の子は笑った。
「あなたは優しい人だね」
その言葉には、否定も肯定もしなかった。
”優しい”という形容詞は知っていても、それが私に当てはまっているかは分からない。
それに、私が”人間”なのかも、知らない。
「私、一人なんだ。友達に…なってくれる?」
その言葉には、力強く頷いた。
”友達”。
”友達”という温かい存在を、私は知った。
朝、目が覚めると、女の子は家に居なかった。
待っても、待っても、女の子は帰ってこない。
私は、人間に女の子の行方を尋ねることにした。
人間が大勢いそうな場所も、そこへの行き方も、私は知っていた。
行ってみると、知っている通り、たくさんの人間が居た。
「どなたか…私の友達を知りませんか?」
私は知っている声の出し方で、知っている言語を使い、人間に尋ねた。
その時、曇った声が聞こえた。
”なんだ、お前は!”
声を上げたのは、人間の中で”男”と呼ばれるものだと、私は知っていた。
その声が”怒声”というものだということも、私は知っていた。
でも、対処の仕方は知らない。
どうして怒声を浴びているのかも、知らない。
その人間が早口で捲くし立てる言語を聞いて、私は知った。
私の白い髪や赤い瞳は、”異常”であることを。
次第に、人間たちは大声で私を罵り始めた。それらも全て、曇って聞こえる。
それにどう反応することが正しいのか、私は知らなかった。
今なら、知っている。
私は、泣けば良かったのだ。
人間は、罵られれば涙を流す。
それをやって、仲間だと認めてもらえば良かったのだ。
そんなことも知らなかった私は、ただ、成り行きを黙って見ていることしかできなかった。
「化け物だ!」
その声は、はっきりと聞こえた。
私の”友達”の声だ。
辺りを見回し、女の子の姿を探す。
…いた。
その目は、怯えていた。
私の”友達”だと思われることを恐れて、腕に持った白い着物を抱きしめて、怯えていた。
他の村人も周りで”化け物”と口々に怒鳴っているようだ。
人間にとって自分たちの理解し得ない生き物は化け物なのだ、と知った。
次に、私の知らない私の情報を伝えてくれたのは、私の”友達”だった。
私は知った。自分が”化け物”であることを―――――




