家族とは
《病院のトイレ》
仙堂はトイレに逃げ込んだ。
祖父の前で泣けない。
仙堂はトイレに入るとすぐ個室に向かった。
「・・・・ふぅ~」
仙堂はゆっくりと息を吐き、心を落ち着かせた。
「・・・・・・」
トイレに着いて安心したからなのか祖父の前では泣けなかったという安心感なのか。
仙堂は涙の限界に達した。
前回の無意識の涙ではなく、悲しみの涙を流した。
祖父の病状の悪化に対する涙でもあるが、父親達に会うとすぐ泣いてしまう自分の情けなさの涙であった。
どうしても父親達を前にすると涙が出てしまう・・・。
仙堂の十六年間の感情すべてが涙となって表れるからだ。
それをまだ仙堂は知らない。
すぐ父親達のことになると泣いてしまう自分が情けないと思っていた。
仙堂はトイレで泣いた・・・
気持ちを落ち着かせようとすると涙が溢れ、涙が溢れている自分が情けなくて泣いた。
トイレで仙堂が泣いたのはこれで二回目だ。祖父がはじめて実家に来たあの時も仙堂はトイレで泣いていた。
祖父にはじめて会って泣いた涙は不安からくる涙で、でも嬉しくて泣いた涙だった。
けれど 今泣いている自分・・・。
今のこの涙は不安の涙ではない。
心と体が拒否反応を起こしていた。
父親達を否定している訳でない。
仙堂の心が訴えているのだ・・・
どういう理由で心が拒絶しているのかわからない。
自分の心なのだからわかるようなものだが、辛いのか怖いのかさえわからない。
もしかしたらわからないことが怖いのかもしれない・・・。
そんな心の訴えが体に伝わり涙へとなっていた。
仙堂は泣いた・・・
声を出さずに泣いた 心からの涙を流した。
仙堂がトイレに入ってからどれ程時間が経過したのだろう。
トイレで涙を流している本人にはとても長い時間に思えた。
長いことトイレに居ては母親に心配をかけると思った仙堂はまた涙を我慢した。
トイレで泣いたことで少し楽になったのかまた涙を我慢して個室から出て洗面台で顔を洗い、トイレをあとにした。
仙堂はあたかもトイレに行ったように振る舞うが、仙堂の目は赤く、誰が見ても泣いたことがわかってしまう程だった。
きっと母親も姉も気付いていたが、仙堂にはなにも言わなかった。
父親達も仙堂に異変に気付いていたのか気付いていなかったのかなにも言わなかった。
父親といっても十六年間で二度しか会ったことのない息子。
本当に自分のことを息子と思っていてくれているのか。
生まれて二ヶ月で離れて、十五歳のときにはじめて再会した自分のことをどう思っているのだろう。
祖母もそうだ。
生後二ヶ月から二度しか会ったことのない孫をどう思っているのか。
ましてや母親と祖母は仲が悪かった。
そんな孫のことなどはたしてどう思っているのだろう。
祖父だって仙堂とは三度の再会を果たしているが、自分のことをどう思っているのかはよくわからない。
そんなことをトイレから帰ってきた仙堂は思ってしまった。
仙堂はどうして父親達に会うとすぐ泣いてしまうのか少しわかった気がした。
どうして父親達を前にすると泣いてしまうのか。
それは父親なのに父親じゃないからかもしれない・・・。
祖父も祖母も同様の理由だ。
血・・・血縁関係者
【あなたとあなたは血縁関係者です】などと言われたことのある人物は少ないだろう。
そんな少ない確率に仙堂は入ってしまっていた。
血縁関係者・・・つまり家族ということ。
では家族とは血縁関係者のこというのだろうか?
血が繋がっているからこそ家族・・・・。
血が繋がっていなければ家族ではないのか。
いいやそれは違う。
現に夫婦は血が繋がっていない。
なのに家族なのだ。
血が繋がってなくたって親子にだってなれる。
母親や父親を子供が心から認めてくれるのなら、親子になれる。
親になれたということは家族なのだろうか?
はたして家族とはなんだろう・・・。
答えは簡単だ。
毎日顔を合わせ、毎日たわいもない会話をすればいいのだ。
あたりまえの毎日を繰り返して家族になる。
しかし仙堂は毎日父親と顔を合わせていない。
祖父祖母とも毎日顔を合わせてなければ、たわいもない会話もしていない。
母親と姉とは毎日顔を合わせるし、会話もする。
姉とはケンカだってする。
それが家族なのだ。
仙堂にとって父親達は他人に等しいのだ・・・・。
それを仙堂は気付いてしまった。
見ず知らずの人と会話をしたって家族にはなれない。
せいぜい友達止まりだろう。
仙堂は父親と認めていないのだ。
認めてないというか認めることができないというのか・・・。
だから親子にもなれないし、家族になれる訳がない。
離婚しているのだから仕方ないと言ったら仕方ないのだろう。
どちらが悪いのかはわからないが、離婚したのは両親なのだ。
子供はあるとき、ある日に家族がバラバラになって子供の心を傷つける。
仙堂は母親と十六年間一緒に生活してきた分 仙堂は母親の肩を持つ。
母親に感謝しているからだ。
十六年間育ててくれた恩がある。
十六年間の絆がある。
二度や三度会っただけ血が繋がっているからといって絆はできない。
仙堂は無意識のうちに父親達を警戒していた。
警戒していては絆などできる訳がない。
仙堂自身が父親達を家族と思えないのだから、家族になれないのだろう。
だから 父親として祖父祖母として接してくる三人が嫌だったのかもしれない。
嫌だという気持ちが、涙が流れるひとつの理由であった。
きっと父親達を前にした時の涙には喜怒哀楽 すべてが含まれている涙のだろう。
十六年間分の感情。
父親に会えて嬉しいと思ったこと、憎いと思ったこと、悲しく思えたこと、楽しく思えたこと。
その喜怒哀楽の比率は、仙堂本人にもわからなかった。
どのくらい嬉しくてどのくらい怒っているのか。
どのくらい切なく、どのくらい舞い上がっていたのか。
十六年間分の感情が一気にきてしまったため 仙堂は父親達に対する喜怒哀楽の基準がわからなかった。
仙堂にとって父親に対する喜怒哀楽の見極めるのは難問だった。
父親とは三度しか会っていない。
そんな中であの時よりは嬉しい。
あの時より悲しい あの時よりも。
あの時 あの時・・・
そう仙堂にはあの時がないのだ。
比較する思い出がないのだ。
仙堂には父親に対する感情を見極めることはできない。
たぶんもう仙堂が父親に対する自分の感情がわかる日はこないだろう。
いやこなかった。
仙堂が父親達に会ったのは、これが最後だったから・・・・
仙堂は二十五歳の若さでこの世を去った。
十六歳から九年間。
仙堂は父親達と再会することはなかった。
九年間では十六年間の感情を整理する時間にしても短過ぎた。
このときの仙堂は、まさか自分が子供を助けて命を落とすなど考えてもいなかった。
仙堂は父親との出来事を整理するのではなく、心の奥底へとしまった。
いずれゆっくり感情を整理するつもりで。
人生の道を歩くのは大変だ。
忙しかったといえば聞こえは良いが、正直父親達を避けていたのだ。
十六年間という年月は短いようで、とても長い。
十六年間で二度父親と出会えばもう仙堂にとっては十分だった。
もう自分の感情が戸惑うのは嫌だった。
それに仙堂にはもう父親に重要性がなかった。
十六歳 高校一年生になった仙堂。
高校生は法律上ではまだ子供だが、十分大人といってもいいだろう。
女性の場合は結婚できる年齢なのだ。
仙堂は父親達に出会った戸惑いを忘れるように高校生活を楽しんだ。
もちろん 勉強も・・・・ぼちぼち頑張った。
高校生の三年間はあっという間に過ぎっていった。
楽しい時間はあっという間に経過してしまう。
仙堂にとって高校時代が一番楽しい人生のポイントでもあった。
高校の三年間仙堂は母子家庭であることを隠さなかった。
自分から言わないが、友達から家庭のことを聞かれても母子家庭と胸を張って答えることができるようになっていた。
母子家庭という境遇に誇りさえ感じていた。
女手一つで育ててくれた母親を尊敬し、自慢の母親だと自信をもって言える。
ちょっとおっちょこちょいなのは否めないが。
父親達に出会ったことは、仙堂を戸惑わせただけではない。
父親達と出会ったことで、父親の顔を知らないというコンプレックスがなくなった気がした。




