佐藤 真人
《三年前》
とあるマンション
ごく普通のサラリーマンの真人は家路に着いた。
[ただいま~]
「おかえりなさい」
玄関まで出迎えてくれた妻の姿があった。
妻とは、二年間の交際を経て、無事今年の春に結婚した。
妻の両親にも反対されることなく、幸せな新婚生活を過ごしていた。
「晩ごはんできてるけど食べる?」
[あ! ごめん]
[明日会社の健康診断があって、ごはん食べられないんだよ]
「そうなの?」
[うん。メールすればよかったなぁ。ごめん]
「大丈夫冷凍しておくね」
[わかった。ありがとう 明日食べるよ]
「わかった」
[もう寝るね。明日早いから]
「そう おやすみなさい」
[おやすみ]
《翌日》
真人は会社の健康診断のために病院に来ていた。
診察内容は、血液検査や胃カメラなど、真人の苦手な検査ばかりだった。
〔佐藤さ~ん 佐藤真人さ~ん〕
[あ は はい]
看護師に呼ばれて診察室に向かう真人。
診察室に入ると、担当医の先生が胃カメラの準備していた。
『あ佐藤さん』
『今から胃の検査しますけど、胃カメラは初めてですか?』
[は はい・・・・・初めてです]
『そうですか~。ちょっと苦しいかも知れませんが、我慢して下さいね~』
『長引くともっと辛いですからね~』
[あ はい・・・・・]
真人が緊張しているのとは裏腹に、担当医は淡々と検査を進めていく。
『は~い 横になって下さ~い。 はい口開けて~』
[あっ え! おぅ~!]
真人が横になると、真人の心の準備などお構いなしに、胃カメラが口に入れられた。
[おぇ~ おぇ~ うぇ~]
胃カメラが口の奥に入るたびに嗚咽に襲われる。
しかし、胃カメラを飲まなければ検査は終わらない。
胃カメラを飲んだ者しかわからないこの苦しみ。
[おぇ~ おぇ~]
永遠にも思える胃カメラの苦しみが、担当医の一言で、苦しみを一瞬忘れた。
『佐藤さんって・・・・ もやしってあだ名付いたことないですか?
[はぁ・・・?]
【スッ!】
[う!]
担当医の技術なのか、真人の不意をつき、胃カメラをするりと入れた。
[ああ・・・・・・・]
不意の出来事に頭が真っ白になっていると、胃カメラが胃まで到達していた。
『はい! 終わり~!』
担当医はちゃんと胃の中を確認したのか、定かではないぐらいの手際の良さで、胃カメラをすぐ入れ、すぐに取り出した。
[おぅ~ うぇ!]
もちろん胃カメラを口から取り出すときも苦痛である。
『佐藤さんは健康診断でしたね?』
『え~っと 診察はこれで以上ですね。検査結果は後日通知しますね~』
[・・・・あ ありがとうございました]
[・・・・・はぁ 終わった]
診察が無事すべて終了して、安堵した真人は、悲しい後ろ姿と共に家路へと向かった。
《数日後》
真人の家に検査結果の通知が届いた。
見てみると、ほとんどの検査では正常と診断されていたが胃カメラの検査結果の欄には、再検査という文字が書いてあった。
真人は再検査という文字より、また胃カメラを飲むことに落胆した。
普通 再検査という文字は、背筋も凍るような不安が襲う気がするが、真人は再検査の文字を当初はあまり重く捉えてないようだ。
しかし、再検査という文字が日に日に不安が増し、今、診察の順番待ちをしている。
〔佐藤さ~ん 佐藤真人さ~ん〕
看護師から名前を呼ばれ、診察室に入ると、胃カメラとの会いたくない再会を果たした。そして真人にとって、苦痛な時間が、変わらずお気楽な担当医の一言で始まった。
『はい、横になってー』
[・・・・・はい]
《数分後》
うなだれて、待合室で診察結果を待つ真人の姿があった。
その後ろ姿からは、胃カメラの辛さがひしひしと感じ取れた。
〔佐藤 真人さ~ん〕
看護師の呼ぶ声が聞こえ、弱弱しい足取りで診察室に向かった。
『あ・・・ 佐藤さん・・・・』
先程苦痛の口火をきったお気楽担当医とは思えないほどの声のト―ンの低さに、真人は嫌な予感がした。
『座って下さい』
[・・・・あ! はい]
あきらかに何か悪いことを伝えようとしているのが、見え見えの担当医。
『・・・・・・えっと~』
[・・・・・・]
『・・・あの~』
[ガンですか]
なんとも言えない沈黙が、我慢できなかった真人は、核心をついた。
『え! あ はい・・・・・いや! ・・・・そうです』
真人の核心のついた問いかけに、戸惑いを隠せなかった担当医。
[・・・・・・・]
『・・・・・いや でも幸いなことに、初期ですし・・・・』
『お仕事をお休みして、なるべく早い治療をしましょう。佐藤さん!』
[・・・・そうですか]
『・・・・・・』
[・・・・・・]
『ご家族に相談してみて下さい』
[はい・・・・]
[つ 妻に相談して来ます・・・・]
『そうですね・・・・ 佐藤さん 本当になるべく早く治療しましょうね』
[・・・・はい ・・・・ありがとうございました]
真人は自分から核心についた割には、初期のガンと診断され、放心状態のまま家路へと向かった。
真人は家にどうやって帰ったのか、よくわからなかったが、目の前には自宅のドアがあった。
ドアを開けてみると、出迎える妻の姿が見えた。
「おかえり~」
[た ただいま・・・・]
夫の顔色の悪さを見てなにかを察した妻は、すぐに問いかけた。
「どうか・・・した?」
[え? どうして?]
「なんか顔色悪いよ。なんかあった?」
[う うん ちょっとね・・・]
「どうしたの?」
[・・・実は]
「・・・・・なに?」
心配そうにこっちを見ている妻の顔を見ていると、なぜか言い出せなくなった真人。
[・・・・やっぱ なんでもないや 風呂って入れる?]
「・・・・・入れるけど なんかあったんでしょ?」
[ん? 風呂入った後に話すよ]
「そう?」
《浴室》
真人は浴槽に浸かりながら考えていた。
妻に話すべきか、話さないべきなのか。
もちろん隠し通せないのはわかっている。
けれど、妻のあの心配した表情は、できることなら見たくない。
そんなことを考えていると、ずいぶん長く浸かっていたようで、身体中がふやけていた。
[ふん じいさんみたいだ]
真人は、自分の身体がしわしわになっているのを見て、小さく笑った。
[・・・そうだよな]
【バサァー】
真人は何か決めたようで、風呂からあがった。妻とは、出来る限り一緒に過ごしたい。
妻を幸せにすると誓ったのだから。
このしわしわな身体が、現実になるほど、よぼよぼになるまで一緒に居たい。
だから言おう。
私が初期のガンになってしまったことを。
これは、ただの相談でも、報告でもない。
今 伝えるのは、これからを生きるための誓いとして。
風呂からあがると、妻はなにもなかったかのような顔をしていてくれた、私を気遣ってくれた。
「あ ビールあるよ~ 飲む?」
[いや いいや]
「そう・・・」
[あのさー]
「ん? なに?」
[さっき言い損ねたことがあって]
真人は真面目な顔で伝えた。
「うん なに?」
妻はまた心配そうな顔したが、妻を心配させるのは、これで最後と誓い、真実を伝えた。
[実はさ・・・ 健康診断の結果が来てさ。胃カメラの再検査になちゃって、今日病院に行って来たんだ]
「そうなの!?」
[うん・・・・]
[それでさぁー・・・ それで 初期のガンって診断されたんだ]
真人は妻に心配させないように言葉を選んで説明したが、妻はガンと言う言葉を聞き、なにも言わずに、一粒の涙を流した。
「・・・・・」
言葉を選んで、妻を心配せれないようにしたつもりだった真人は、妻の涙に慌てた。
「だ 大丈夫だよ。 幸いなことに、初期だし』
[仕事を休んで、なるべく早い治療すれば大丈夫だから! 大丈夫]
真人は担当医に言われたことをそのまま妻に伝え、妻の心配を少しでも和らげようとした。
「・・・・そ そうよね!」
「大丈夫よね 初期のガンだもんね! 大丈夫・・・・・よね」
[あー大丈夫だよ! きっと治してみせるよ]
「うん 一緒に頑張りましょう」
妻はやさしく微笑んでくれた。
私は妻をこれ以上悲しませないように、会社に長期の有給休暇を申請した。
幸いなことに私は有給休暇を申請したことがなかったので、有給休暇が溜まっていた。
会社の仲間は、急な休暇の申請に驚いていたが、事情を説明したら心配してくれる者も居た。
胃がんと診断されてから私は、セカンドオピニオンを真っ先に受けた。
こちらは幸いとはいかず、変わらない診断を受けた・・・・。
診断内容が同じということで、最初に診断を受けた病院で手術を受けることにした。




