私と竜の仲は良好です。
私の騎竜のルーベンスは美しい竜です。その赤い瞳はガーネットのようで鱗も同様でした。ちなみに、私も女でルーベンスも女竜なので恋仲ではありませんが。
でも、信頼関係は築けていたはずです。
ルーベンスと過ごした十二年間は何物にも代えがたい思い出です。
「…母さん。今日はルーベンスの所へ僕も連れて行ってくれる?」
「…そうねえ。どうしようかしら。会いに行ってから、もう半年は経つけど。ルーベンスもスチュワートを知っているから連れて行ってもいいとは思うわ」
でもねと私は考え込んでしまいます。スチュワートは私の着ている
ワンピースの裾を握ると上目遣いで見上げてきます。
「だったら、母さん。僕、おとなしくしているよ。それは約束する」
まっすぐに見上げて言ってきたので仕方ないと私は首を縦に振りました。
「…わかったわ。ルーベンスの機嫌にもよるけど。竜舎に父さんがいるはずだから、頼んでみましょう」
そういうとスチュワートはやったと今にも飛び上がりそうな勢いで喜んだのでした。
「…ああ、スチュワートにシャンティか。どうした、二人で来るなんて珍しいな」
今日も騎竜たちの世話にいそしんでいる夫のスティーブが私たちに気づいて声をかけてきました。私はちょうどいいと思い、スティーブに申し訳なさそうに肩を竦めながら言いました。
「…いきなり来てごめんなさい。その、スティが私の騎竜だったルーベンスに会いたいと言って。最初は駄目と言ったのだけど。仕方ないから連れて来たの」
困り顔で言うとスティーブはそうかと頷きました。
「…ふうむ。スチュワートがそこまで頼み込んでくるとはな。シャンティも困ったろうに。わかった、スチュワート。お前も今年で七歳になるし。ルーベンスに会うのは許可しよう。その代わり、静かにしていろよ。後、母さんから離れるな」
念押しで言われてスチュワートはどうしてと聞きました。スティーブは団長の顔でこう言いました。
「…子育て中の竜は人と違ってイライラしやすいんだ。慣れたやつで大人だったら、まだ怒らないでいてくれるが。慣れていない、しかも子供だと襲いかかる可能性がある。だから、今まではお前であっても会わせなかった。まあ、シャンティと一緒で騒いだりしなければ、ルーベンスは襲いかかったりしないだろう。大声も出すなよ?」
「わかった。父さんの言う通りにする」
真面目な顔でスチュワートは頷いたのでした。
そうして、スティーブに案内されながら、竜舎の中に入りました。スチュワートは緊張した面持ちでルーベンスのいる奥へと私の前を歩いています。そんな彼をスティーブは案内します。
「…まあ、そう緊張するな。ルーベンスは今だったら、大丈夫だ。だから、肩から力を抜いたら良い」
「わ、わかった。ルーベンスのいる部屋はまだなの?」
「…後もう少しだ」
スティーブが返事をするとギギと鳴き声が聞こえました。
少し歩いて目を凝らしてみると銀の鱗が見えました。
隣には赤い瞳と鱗の子竜がいます。ルーベンスの子供のコロンとリードです。私たちを見つけるとまた、ギギと鳴きました。
「…シャ、シャンティ!」
姉のコロンが私の名前を呼びます。すると、大きな影がこちらに近づいてきました。
コロンと同じ赤い瞳と鱗の母のルーベンスです。
『…あら、珍しくにぎやかだと思えば。シャンティじゃないの。半年ぶりくらいかしら』
「ええ、そうよ。久しぶりね、ルーベンス」
にっこりと笑いながら話しかけるとルーベンスは瞳を細めました。この表情からするとルーベンスの機嫌は良さそうです。彼女は口を開けて人でいう笑った表情になりました。
『ふふっ。可愛らしい子じゃないの。この子がシャンティの息子さんね?』
「ええ、そうよ。前にも言ったと思うけど。私とスティーブの息子で名前をスチュワートと言うの。普段はスティと呼んでいるわ」
『そう。この子にも私の声を聞こえるようにしてみたいの。ちょっと待ってて』
ルーベンスはそう言うと口先をスチュワートに近づけてきました。『…シャンティ。スティを私の近くまで来させて。それから、口先に触ってみてほしいの』
「わかったわ。スチュワート、ルーベンスが近くに来てほしいと言っているわ。こちらへ来なさい」
手招きをするとスチュワートはおっかなびっくりでやってきました。顔は不安げな表情をしています。初めて見る竜の大きさに圧倒されていたのに近くに来いといわれてひどく緊張して驚いてもいるみたいです。
「…母さん。こちらに来いと言われたから来たけど。これから、何をするの?」
スチュワートが小さめの声で問いかけてきます。私は答えました。
「…ルーベンスがね、スティとも話をしたいのですって。それで、念話をできるようにするためにルーベンスの力を分けてもらうの。口先に手で触ってほしいとも言っていたから。じっとしていてね」
私がスチュワートの両肩に手を添えながら言うとまだ、訝しげな彼は首を傾げています。それでも、少しして両手を差し出して届く位置に近づいたルーベンスの口先にそっと触れます。私も同じようにしました。そして、ルーベンスは両目を閉じます。
『…では、始めるわね。我、真名をルーベンス・シェフィールドという。彼の者、スチュワート・リーデルと言の葉の誓約を交わさむ。彼の者に加護を』
ルーベンスの体から淡い燐光が出てきます。それはスチュワートの体にゆっくりと吸い込まれていきました。赤い燐光はルーベンスの鱗や瞳と同じでとても綺麗です。
ふと、竜騎士であった頃に同じような儀式をした事を思い出し、懐かしくなりました。
そして、儀式は終わりました。
ルーベンスから出ていた燐光が消えると彼女はゆっくりと瞳を開きました。スチュワートも手をルーベンスの口先から離すと驚いているらしく、ぽかんと口を開けています。
『…どうかしら、スチュワート。私の声は聞こえる?』
「…あ、うん。聞こえるよ。すごい、竜ってこんな事もできるんだね」
『ふふっ。伊達に三百年は生きていないわよ。私は竜の中では長く生きている方だし、魔力も強いの。そうね、あなたが大人になったら、シャンティの次のパートナーになってもらおうかしら』
ルーベンスが冗談混じりに言うとスチュワートはとんでもないと首を横に振ります。
「そ、そんなたいそうな事はできないよ。勉強だけでも大変なのに。でも、その。僕が大きくなってまだ、ルーベンスの気が変わってなかったら。パートナーにしてもらえる?」
『…ごめんなさい。本当に冗談よ。今の私ではパートナーになれないの。子供を生んで間がないし。もしよければ、私の妹をパートナーにしてみたらどう?』
ルーベンスは苦笑いのような表情をしながら、鼻先を右側に向けました。その方角に目をやれば、ルーベンスとは違い、オレンジ色の鱗と琥珀色の瞳をした竜がこちらをじっと見ていました。
スチュワートもそちらをじっと見つめます。ルーベンスはまた、瞳を細めながら告げます。
『…あの子が私の妹のルーシーというの。まだ、若いしつがいの竜もいないから。あなたのパートナーになれると思うわ』
「…そっか。僕、ルーシーのパートナーにはなっていいんだね。わかった、挨拶をしてきていいかな?」
スチュワートが真剣な面持ちでいうとルーベンスは満足そうに頷きました。
『いいわ。してきなさいな。先ほど、ルーシーには呼びかけておいたから。あの子にもあなたの言葉は通じるはずよ』
そう言われてスチュワートは踵を返して私とルーベンスに背を向けました。静かに歩いて、ルーシーの方に行きました。
私も後を追って歩き出します。少し歩いてルーシーに近づくと姉のルーベンスよりも高めの澄んだ声が脳内に響きました。
『…あら、姉さんの声が聞こえたから顔を出してみれば。また、可愛らしいお客さんじゃないの』
ルーシーは口をにんまりと開けて瞳を細めて笑いながらこちらを出迎えてくれました。彼女は姉のルーベンスよりも好奇心が強いようです。
スチュワートはルーシーを見て驚いています。
『…あたしがルーシーよ。坊やはなんて名前なの?』
瞳をくるりとさせてルーシーは尋ねてきました。スチュワートはおっかなびっくりで答えます。
「え、えっと。スチュワートっていうんだ。普段はスティって呼ばれてる」
『そう。じゃあ、スティって呼ばせてもらうわ』
一応、自己紹介は完了したみたいです。私は胸をほっと撫で下ろしたのでした。
その後、スチュワートはルーシーと会話を楽しみました。互いの家族の話に始まり、好みの物や普段のちょっとした事を話していました。
ルーシーもどことなく楽しそうで側で見守っていた私はとりあえずは良かったと思いました。
『…そうなの。スティは果物でいうとオレンジが好きなのね。私はリンゴかしら』
「へえ。竜も果物を食べるんだね。じゃあ、野菜も食べるの?」
『ええ、食べるわよ。あまり、肉とか魚は食べないの。たまに、ミルクとかを飲むくらいね』
へえとスティは目を輝かせます。私は知っていましたが敢えて黙っていました。
教えてしまったら、二人の楽しげな雰囲気は損なわれてしまうと思ったからです。
『…ふふっ。それにしても、人の子と話したのは久方ぶりだわ。ルーベンス姉さんはシャンティやスティーブとよく喋っていたから羨ましかったのよね。けど、今日はいろいろと話す事ができたから楽しかったわ。スティ、ありがとう』
ルーシーは本当に嬉しそうに瞳を細めながら、礼を言ってきました。スチュワートもへへっとはにかみながら笑っています。
「うん。僕も楽しかったよ。こちらこそありがとう」
『そうだわ。また、時間ができたら遊びに来てね。スティの事は気に入ったわ。大きくなったら、パートナーになってもらいたいわね』
「ええっ?!いいの?」
スチュワートが驚きながら言いました。私もあまりにもすんなりと物事が進み過ぎて唖然となってしまいます。そんな私達の様子をルーシーは面白そうに眺めています。
『ふふっ。あたしね、前から騎竜になりたかったの。まだ、騎竜になるには修行が必要なんだけど。後十年したらなれると思うわ。だから、パートナーには誰を選ぼうかと迷っていたのだけど。今日になってこの子だとピンと来たのよね。シャンティ、いいかしら?』
いきなり、私に視線を向けてきたので慌てて答えます。
「…え、ええ。スティさえよかったら、反対はしないわ」
『…良かった。では、今からスティがあたしのパートナー候補ね。あなたが成長して騎士になるのを楽しみに待っているわ』
にっこりと笑ったらしいルーシーに私は頷いたのでした。
それから、家に帰るとスチュワートは驚きと興奮が冷めやらぬ中、弟や妹に竜にパートナー候補に選ばれた事を自慢げに話していました。私は特に口止めしませんでした。
まあ、まだ小さいし将来、なれるかもわかりません。けど、スチュワートは竜自身に気に入られた珍しい存在です。
もしかしたら、優秀な竜騎士になれるかもしれません。私は微笑ましげに見つめながら、夫の帰りを待つのでありました。
終わり