さよなら大好きな人
「はじめまして、お父さん、お母さん」
「あら嫌だお母さんだなんて! ねえ貴方ウフフフフフ」
「………んん」
「まぁ嫌だ貴方照れちゃって! 折角奈緒子の婚約者がこうして挨拶にきてるんですよ!」
大げさにリアクションをとる母親の声が、静まり返ったお茶の間にやたらと響き渡った。私は緊張した面持ちで父親と婚約者の祐也さんの顔を交互に見る。大丈夫、上手くいってる…。
バレてない。祐也さんのガチガチの表情は、何一つ疑ってはいなかった。レンタル家族というものを知ったときは怪しいもんだと疑っていたが、案外バレないものだった。
「婚約の挨拶や急な法事の時、一時間一万円で家族をレンタルしませんか」……ド田舎で世間体というものを大事にする私の実家では、以前からとある問題が起こっていた。街コンで出会い同棲している彼氏を今度連れてくる、と家族に話したとき、猛反対されたのだ。
「こげな汚か家ばお婿さんに見せられんばい」
「あたしゃこの年で何はなしゃあいいとか…恥ずかしゅうて顔見せられん」
シャイな両親はそう言って祐也さんに会うのを頑なに拒んだ。その間実に三年。もしかしたら一人娘が結婚することに抵抗するためのウソだったかもしれないが、流石にご両親に挨拶もなしに勝手に結婚しては後味が悪い。
「もうよか、役者さんに上手くやってもらうけん、お父さんお母さんは裏で隠れて見とかんね!」
こうして近場で貸し切ったマンスリーマンションの一室で、レンタル家族と婚約者のお芝居が幕を開けたのである。
「奈緒子さんは僕が幸せにします」
「ありがとう、こんなに嬉しいことはないねえ、お父さん」
「………んん」
母親役の人がニコニコと対応する傍ら、父親役の役者さんはあまり喋らない。そのどこかで見たことあるようなキャラ設定に私はベタすぎて逆に怪しまれないかちょっとドキドキした。まさか婚約者に本当の両親を会わせなかったと知ったら、流石に祐也さんでも怒り出してしまうかもしれない。
「…それにしても、お二人共標準語が非常にお上手ですね。東京に住んでいらっしゃったことがあるんですか?」
祐也さんが不思議そうに聞いた。お茶の間が一瞬静寂に包まれる。
「…そうなのよ、三年前に。ウフフフフ!」
母親役の女性が大げさに笑ってみせた。私は自分の顔が引き攣るのが分かりながら、必死に平静を装った。
「へえ…? 三年前って、たしか奈緒子はまだ福岡に…」
「た、単身赴任よ単身赴任」
私はにっこりと笑顔を作って祐也さんに微笑んだ。マズイ。段々と綻びが出始めている。
「きょ、今日はもう遅いからこのくらいにして。祐也さん、終電の時間もうすぐじゃない?」
「え? まだ二十時だよ? それに今日はこっちに泊まっていくって…」
突然の解散に祐也さんはきょとんと私を見つめた。
「私、何だか帰りたい気分だわ」
「あらそうなの、折角来たんだからゆっくりしていけばいいのにぃ~」
「ええ、だからゆっくりして行こうかと…」
「祐也くん、また来てくれたまえよここは男として、引くんだ」
「はぁ…?」
父親役がやっと喋ったかと思ったら「いいからもう帰れ」なのだから、彼も不憫だったに違いない。だがこれ以上の家族ごっこは破綻を招きかねない。戸惑う彼の背中を押して、私は住んだこともない実家をあとにした。
「きょうのご両親、なんか…言っちゃ悪いけど、変じゃなかった?」
「何が?」
帰りの電車を待つ人気のないホームで、祐也さんが不思議そうに私に尋ねた。
「俺なんか不味いこといったかなぁ…」
「大丈夫よ、あの人たち緊張してただけだから。次に会うときは人が変わったようになってるわよきっと」
私は誤魔化して笑った。本当に人が入れ変わっているんだから間違いではない。彼はそんな私を真剣な表情で見つめてきた。暗がりに浮かぶその思いつめた顔に、私はドキリと身構えた。
「実は…奈緒子に黙ってたことがあるんだ」
「何?」
「ずっと言わなくちゃいけないと思っていたんだけど…」
彼は言葉を探しているようだった。
「実は俺…祐也じゃないんだ」
「はい?」
意味が上手く飲み込めず、私は混乱した。
「ほら、合コンであった時、俺マスクしてたの覚えてる?」
「ええ…」
「あの時、奈緒子に会った祐也ってのは俺の親友でさ…一目惚れだったみたいで。でもいざ連絡先交換して、会う勇気がなかったみたいで、その」
私はぽかんと口を開けた。
「約束した以上すっぽかす訳にもいかない。金は払うから俺として代わりにあってくれって」
バツが悪そうに祐也さんは頭を掻いた。なんじゃそりゃ。確かにあの時照明も暗くてよく顔も見えなかったが…あの時知り合った男とずっと付き合ってると思っていた。あれ?そういえば私も、幼馴染の結子が欠席するから代理で街コンに参加したんだっけ。
「でも黙ってたのは名前だけだよ!それ以外はちゃんと俺の…。ごめん。バレないかずっとヒヤヒヤしてたよ…本物の祐也も、結婚式にはきてくれるってさ。あの…黙っててごめん」
「……もういいよ」
私は祐也さん…いや元祐也さんの腕にそっと腕を絡ませた。もう名前なんてこの際どうでもいいや。だって私とともに生活を歩んできたのは、この人に変わりないんだから。この人のことは、ずっとそばで見てきた。「祐也さん」はそっと私の肩を抱いた。
「あの…改めて…結婚しよう、奈緒子さん」
「分かりました…ええっと」
今度は本物を、どんなに汚い家でもカッコ悪い両親でもちゃんとこの人に紹介しよう。目の前を通り過ぎた貨物列車が、私たちの会話をしばらく遮断した。大きな通過音が過ぎるその間、私は「祐也さん」との最後の別れを愛しんだ。




