逃げた先は
「……クシュン」
あまりの寒さに目が覚めた俺は、鼻を啜りながらボーッと辺りを見る。空は明るみを帯び始めるが日はまだ昇っておらず見当たらない。
どうやらあの悪夢の様な出来事は夢ではないようだ。
少し頭痛もする、昨日は汗を掻いたまま寝たので風邪を引いてしまっているのだろうか。
とりあえず口の中がネバネバして気持ち悪いので寒いのを我慢して川の水を飲みながら昨日の事を思い出す。
すげーデカイ狼だったな……。もしあの時捕まっていたら今頃……。
冷えきった体と昨日の悪夢の様な出来事を思い出して思わず身を捩る。
昨日やられた傷を確認するために学ランを脱いで体を見ると、左腕に浅黒くなた血が滲んでいた。よく見ると左腕は縦に切り裂かれている。
高校に入ってからずっと着ていた黒い学ランは左袖から肩口まで切り上げるように破れており、あちこちの引っ掻かれた跡が昨日の逃走劇の凄惨さを物語っていた。
ズボンも全体に引っ掻かれた跡が有り、特に右側はひざ上の大きな切れ目から下には元々の黒色と赤黒くなった血でより深い黒となっていた。
この左腕と右腿の傷は空から放り出されて木に引っ掛かってできたものだ。
大狼たちから受けた小さな引っかき傷は、全て服に守られて体にまで及ばなかったのは幸運だろう。
まさか卒業する前に学ランに感謝するとは思わなかったよ、今までありがとうな。
ボロボロになった制服を見ていると思い出したように痛みがやってきてその場で悶えるが我慢しながら服を全部脱ぎ捨てた。
ここまでずっと運んできていたバッグから大きいタオルと『透明45Lポリ袋厚手タイプ五枚入り』と書かれたパッケージを破って袋を一枚取りだした。
その中に破れたり汚れた服を全部突っ込んでバッグに仕舞いこみ、川までフラフラと歩いて行く。
傷に付いた汚れを流すために川の水を掛けようと、震える手で水を掬い上げて左腕にかけた。
「―ッ!!!」
声にならない声を出しながら、迸る激痛が虚ろな眼を覚まさせ、奥歯を噛みしめる。
くっそ・・・いでぇ・・・。
水が掛かった左手は力強く拳を握っている、まだ傷口の汚れはとれていない。このまま水に腕を浸けて赤黒く固まった傷口の汚れをすり落とす必要があるだろう。
「いくぞ!いくぞ!おらあああああああああああああああ!!」
声を張り上げて腕を水に突っ込んで一気に擦りあげる。
「―ッオオオオオウ!!!!」
それでも痛い物は痛い、涙目になりながら転げる。だがコレで終わりではない、右腿のぱっくりと開いた傷口が俺を嘲笑うかの様に口を広げている。
俺、こんな傷であんな速く走ってったのか……。
傷は一センチ程の深さで縦に抉られており、こんな状態で走っていた自分にゾッとした。さらにこれから左腕よりも深いこの傷口を水につけるて汚れを落とす、それを考えただけでゾッとするどころでは無いことに気づく。
ガタガタと歯を鳴らしながら水面を覗くと、真っ青になった顔が映し出された。このまま消毒してガーゼ巻いてもいいんじゃないかなどと考えてしまう。
とその時、体を支えていた腕のバランスが急にくずれて頭から突っ込んでしまった。
「ちべたああああああああ!!」
悶絶する冷たさの中、急いでバッグから取り出したタオル全身を拭く。
ガタガタ歯を鳴らしながらバッグから下着とTシャツを取り出して着替え、さらに右下ポケットから消毒液・ガーゼ・包帯・ハサミを取り出して手早く腕と腿の処置をしていた。
そして鞄から急いで服を取り出して着替え、最後にジャージを服の上に着こむと足を抱えてその場に座り込んだ。
この間わずか三分、驚くほど素早い動きで一連の作業を終われせてバッグのそばに座り込む。
「ざみぃ・・・ざみぃよぉ・・・。」
なおも寒さで震えながら誰に伝えるでもなくずっと口ずさむ。
しばらくすると太陽が山間から顔を覗かせ始めた、薄明かるくなっていた辺りは太陽の刺す様な光を浴びて深い光陰を見せる。
「綺麗だ・・・。」
初めて眼にした日の出の壮大さに寒さを忘れたように震えも収まり、目を輝かせながら呟いた。
太陽が昇りきるのを口を開けながら見つめ続けた俺はじわじわと体が温かくなっていくのを感じた。まるで太陽からエネルギーをもらった感じに心も暖かくなる。
このままいてもしかたない。そうだ!歩き出さなきゃ何も始まらないんだ!
気持ちを前向きに、力強く立ち上がってバッグを抱える。
とりあえずこの川に沿って進もう!うーん・・・『川が流れてくる方』に行くか『川が流れていく方』に行くか・・・。
俺は自分の直感を信じ『川が流れてくる方』に進んだ
きっと道なりに行けば人の居るところに行けるという希望、それと同時に昨日の黒ローブや獣に襲われるのではないかという不安感に襲われた。
だけど今は行くしかない。
此処が何処かも分からないうちは見つかる危険性よりも人に出会うことのできそうなこの道を進んでいく他ない。
◆
一体何時間歩いてるんだろう……。
朝から休まず川沿いに歩き続けている、道の勾配はゆるやかに高くなってきてるがまだ気になるほどではない。
歩きはじめた時はなんともなかったが、今とてつもない空腹が襲いかかってきている。
よくよく考えると昨日の学校で弁当を食べてから何も口にしてない。だから夜練に行く前にコンビニに寄ろうとしてたのだ。
何か食べるものはないかとバッグを探して出てきたのはパインアメの袋だけだ。
何も無いよりましかぁ。
口の中で一粒転がして空腹をごまかしながらすすみ続ける、が一向に人に出会ったり町に辿り着くこともない。
途中小さな橋を見つけようやく道に出た、舗装されてないむき出しの道は勾配の高い森の方から橋を渡って地平線が横たわる平野の方に続いていた。
森かぁ・・・あんまり入りたくないなぁ・・・。
昨日の夜のこと思い出して森に入ることを少々躊躇ってしまう、だが平野の方は川をたどって来た方とは鏡写しの方向に続いていた、今まで歩いてきた道と同じ時間を掛けてい戻っていく事を考えるとやはり森の方に進む事を考えてしまう。
どっちにしろここで川とはお別れだ、水を掬って口に流し込む。
今までありがとう川!お前のことは忘れないよ川!
別れの挨拶を心の中で呟きながらまた水を飲むと、バッグに水筒を入れていた事を思い出しその水筒に水を注ぐ。
このまま道をたどった先には必ず人がいるはずだ、そんな希望に導かれるように森の方に進んだ。
◆
寒い・・・お腹すいた・・・。
ガタガタと身体を震わせながら森の中を進み続ける、空は夕焼けに染まっていた。
口の中がヒリヒリする、あの飴を舐めていたせいだ。七粒舐め終わる頃には舌の痺れが許容できないものになっていたのでおとなしく舐めるのをやめた。
パインアメって連続してなめてると舌ヒリヒリするんだよね、果汁のせいかな?
道を挟みこむ木樹の影を踏み進めながら、さっき平野の方に進めばよかったかなどと考えているとメェーと鳴声が聞こえてきた。
今聞こえてきたのって羊か?
その音の方に道を外れて進んでいくと森を抜けた。
目の前に広がるもこもこと毛をを纏った羊の群れがむしゃむしゃと草を食べていたり、座り込んで寄り添い合っている。
羊の群れを見渡していると羊飼いらしき人物が見えたので急いで駆け出す、急に出てきた俺に驚いた羊は俺を避けるように道を作っていった。
「おーい!助けてくれ-!!」
「おやおや旅の青年や、いったいどうしたのじゃ?」
ベルのついた杖をカランコロンと鳴らしながら振り返って少し驚いたような表情を浮かべながら返事をしてくれた
ようやく出会えた人間に今まで張り詰めていた緊張の糸が切れ、涙が溢れだす。なんとか止めようと何度も右手で目をこするが涙は止まらずに流れ続ける。
「だすげでぐだじゃいぃぃ」
泣きじゃくりながら羊飼いに跪き頭を下げて懇願する。
「おお青年や、頭をあげなさい。ふむ、見たとろ怪我もしておるのぅ。
とりあえず儂の家に来なさい。歩けるかのぅ?」
まるで子供のように涙と嗚咽を漏らしながら頷く
「ここからじゃと儂の家までは少し離れておるからのぅ、ちぃとばかし歩くぞ。
それに羊達も小屋に入れるのにも少し時間が掛かるでのぅ、構わんかのぅ?」
「だいッじょうぶ……ッ…でずぅ……」
抑えきれない嗚咽に途切れ途切れになりながら言葉を伝える、なおも涙を拭いつづけると後ろから一匹の羊が俺の脚に寄り添う様に体を擦りつけてきた。
「おや、羊も慰めてくれとるようじゃのぉ。ホッホッホ」
陽気に笑いながら、カランコロンと杖に付いたベルを鳴らした羊飼いのお爺さん。
その音につられるよう集まってきたに羊達の群れと共に沈み始めた夕日の赤い光に照らされながら歩き出した。