魔法と精神
鬼達の巣食う洞窟から香澄を含む女性四名を救出したのは大体昼ごろから夕方にかけて。
健一が戻ってきて香澄達と話し合いをしたのは、夕方になってからだった。
健一達はとりあえず現在地を今日のキャンプ地として過ごす事になる。
もう一団体、救出対象となる女性達の囚われた場所は健一達からすると右手上、既に通過済みのゴーレムの居た山沿いを沢の方へ進んだ場所にある。
彼女達には申し訳ないが、自分達の安全を固めるのも大事な事なので、健一達は無理せず、今日救出した女子達を含めて活動する事となる。
食事を摂り、洞窟から抜けて一休みした健一達は自然と焚き火を囲み挨拶をする。
「田岡典子、二年生です」
「吉富未央、一年です」
「俺は中本健一、三年」
そんな挨拶もそこそこに健一は焚き火と女子達の守りを美希に任せ、香澄と連れ立って薄暗い森の中を進む。
健一は傍らに金の槍を持ち、香澄は美希と同じ自動小銃をリュックサックから取り出して持っていた。
既に実射練習は終わっており、今は本番の香澄のレベルアップを試みている所である。
健一の危機察知能力を応用して健一の感覚に引っかかる対象を探し出し、物陰から香澄が射撃で倒すという寸法だ。
ガサガサと木陰の中を潜みながら進み、健一達は第一目標へと到達する。
藪の向こうには健一が取り逃した子鬼が二匹、樹の根元を何だか掘り返している姿があった。
健一が無言で合図を送ると香澄が覚悟を決めてゴクリと固唾を飲み、肩にかけた小銃のトリガーを引く。
ダダダダッと連続した発砲音が周囲へと響いた後には、子鬼が二匹、血を流して倒れていた。
その光景に巧く行った事を理解すると心の底からほっとした瞬間、全身の痛覚を刺激する感覚が発生した。
「イタッ、イタタタッ!」
「はいはい、これ食べてくださいね」
痛みを訴える香澄に健一が差し出したのは軍用の高カロリー糧食で、固形ブロックのものであった。
香澄は無言で健一から奪い取るように高カロリー糧食を掴んで無心で食べる。
暫く香澄の咀嚼する音が続き、腹の虫と全身の痛みが落ち着いた頃に、香澄が口に出した。
「……これ、レベルアップってかなり身体に負担がかかっているようだけど、毎回こんなに痛いものなの?」
「ある程度まで上がると急激には上がらなくなるみたいで、そうなると痛みも無いしお腹が空く程度になりますよ。多分化け物達にもレベルがあって、レベル差が激しい程急激にレベルが上がるから痛みとかが発生するんだと思います」
「そういうものなのね。ん、今ので私の能力、癒やす力の幅が広がったわ。……多分これは、魔法なんだと思う」
「魔法……ですか」
唐突な香澄の言葉に目を見張った健一だが、香澄は真剣な表情で一つ頷くと、その呪文を口にした。
「安らかなる癒やしを、ヒール」
すると、健一に向けて差し出された手から清浄な光が溢れ、健一へと纏わりつく。
暫く経って光が消えた頃には、何の変化も無い健一の姿があった。
「……なるほど、確かに魔法ですね」
「でしょう? そうとしか言えない能力よこれは」
「まぁ化け物が居たりいろんなものが出てくるリュックがある今、魔法があったとしてもそう驚くことじゃないかもしれませんね」
健一の言葉に香澄が苦笑を浮かべて肯定する。
一連のやり取りの後、健一達はまた次の獲物を狙って活動を開始する。
そうして三回程の遭遇全てが子鬼であったという偶然はあったが、香澄が十分に足るであろうレベルを獲得するまでに、それ程時間はかからなかった。
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パチパチと焚き火が音を奏でる傍らで、救出した人員を含めた全てのメンバーが集まっていた。
健一は変わらず槍を片手に周囲の警戒に能力を使い、美希は身動きの取れない女生徒を膝枕している。
その女生徒は宙空を只々見つめ続け、その姿を痛ましい表情で香澄が傍らに座る。
典子と未央は二人で一つの毛布に包まりながらその光景を眺めていた。
香澄がレベルアップで得た能力のほとんどは肉体にかかる負担の軽減や怪我の治療、中には清浄化や病気の治療などの魔法もあったが、そのほとんどは肉体に作用する魔法であると言って良い。
そんな中で精神に作用する魔法として香澄が手に入れたのは3つ。
一つは不安や恐れを無くし、勇気を奮い起こす魔法ブレイブハート。
一つはブレイブハートよりも直接的に精神に作用し、恐慌状態や混乱から脱出させるというキュアマインド。
そして最後の一つとして、狂気に取り憑かれた者や邪神の教徒等の狂信者をあるべき精神状態へ戻すという強い精神作用のある魔法アウェイクン。
香澄はその中からキュアマインドとアウェイクンを併用し、未だ寝たきりの女生徒の精神を魔法で癒やそうとしていた。
手順的にはキュアマインドを行ってから、アウェイクンを行うというもの。
アウェイクンという強い精神作用の魔法を使う事に忌避感を覚えた香澄ではあるが、それでも寝たきりの女生徒の精神を取り戻す為、その手段を講じる事を選んだ。
香澄はまずキュアマインドを宙空を眺める女生徒へとかける。
すると、女生徒は宙空を見ていた視点が虚ろとなり、微睡みの中に居るような表情を浮かべている。
今まで宙空を見ているだけだった少女の変化に美希は笑顔を浮かべそうになったが、香澄は未だ難しい顔をし、首を左右に振る。
「……まだ、ダメね。このままでも良いけど、回復までには相当時間がかかると思うわ」
「今すぐは動けそうもない、か……。それは、困るな」
香澄の言葉に健一が告げると、香澄は黙って頷く。
確かに現状のキュアマインドをかけた状態を維持していても、少女は回復するだろう。
だがそれはどれだけの時間がかかるのかは分からない。
一ヶ月や二ヶ月どころの話では無いだろうし、それだけの時間を彼女一人に裂くほど健一達は彼女の事を知らない。
そうであるからこそ、香澄はアウェイクンをも利用して彼女を助けようと思っていた。
早く覚醒して貰わなければ、健一達は彼女を見捨てる事を選択するしか無くなる。
今はまだ助けだしたばかりで実害の無い状態であるが、これが一日、二日と健一達の動きを拘束すればするほど、害のあるものとして扱わざるをえない。
そうなれば最後、健一達の加護の無い少女は死ぬ事しか出来ない。
折角の同郷の人間である、可能であれば見捨てるような事はしたくない。
健一達も今はまだそう思っているからこそ、香澄は早く治療しなければならなかった。
香澄は覚悟を決めると少女の頭へと掌を乗せて、優しく、だがしっかりと魔法がかかるように呟く。
「アウェイクン」
途端、少女はビクリと身体と引き攣らせた後、ガクリと意識を失う。
膝の上の重みが急激に増した事に美希が驚きながら香澄を見つめた。
「先生、どうなんですか?」
「魔法はちゃんと掛かったわ。後は多分、彼女は意識を取り戻すと思うけど……ごめんなさい、分からないわ」
「そんな……」
「後の事は、この子自身の事だから……。アウェイクンでも意識を取り戻せなければ……」
そこから先の事は、香澄は口にする事が出来なかった。
健一もそれに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるが、現状で最良の選択肢としては、彼女を切り捨てる事である事を理解している。
身動きの取れない少女を一人抱え込めるほど、健一達は優しい世界で今を生きている訳ではない。
その事は、恐らくこの中で一番健一が理解しているのだった。
いざとなれば切り捨てる覚悟を持つ、それが今健一に出来る選択であった。
「今日はもう俺達に出来る事は無いんだな」
「えぇ。ごめんなさいね、ありがとう。お陰でレベルアップできたわ」
「先生は魔法の事があったからな。明日は田岡と吉富、二人にもレベルアップして貰って、一緒に救出作戦に参加して貰うからな」
「そう、ですよね。分かりました……」
「でも、私戦った事なんて無いですけど……」
渋々といった表情で納得を示した田岡と、早速弱音を吐く吉冨の言葉に美希は苦笑を浮かべて応える。
「私も戦った事なんて無かったけど、今は何とか戦えると思います。レベル245ですから。だから、二人も大丈夫ですよ」
「は、はぁ……」
何が一体大丈夫なのか分からないが、美希の中ではそうらしい。
そんな形で全員が全員、明日に対して不安を残したまま夜を過ごすのだった。