死ぬ理由
「聞いてよぉ。ねぇったら、聞いてったらぁ」女はかなり酔っていた。
胸元のブラウスも少しはだけ、上着もどこかに置き忘れてきたのか、
冬の寒空の下、冷えきりそうな格好をしていた。
「お嬢さん、お嬢さん。もうお帰んなさい。そんな格好でいたら、凍え死にますよ」
男が優しく話し掛けると、女はうれしそうに抱きついてきた。
すると、男は酒臭い匂いに、うっとなった。
「いいも〜ん、死んだって。わたしなんか、どうせ死んだ方がいいもん。ねぇ、あんた、一緒に死んでくれる」
― いえ、あなたとは遠慮しておきます。
「まぁ、そう、人生、投げやりにならず、頑張んなさいよ。まだ、あなたは若いんだから」
そう言って、聞こえのいい文句を並べ、男は女をなだめてやったが、
どうも女は納得しなかったらしく、もっと男にしなだれかかってくる。
「ふん、若いなんて言われたの、あんただけよ。最近じゃあ、影で皆から『おばさん』って呼ばれるようになってさ。それで、会社、追ん出されそうになってんだから。もう、やってらんないっ」と、女は愚痴り始めた。
― そんな愚痴なら、わたしもたんとある。
「まだ、そんなの序の口ですよ。わたしなんて、親友と思ってた男に会社の金、持ち逃げされましてね。借金、借金で首が回らなくなった挙句、とうとう、経営してた会社、倒産しちまったんです。追い出されるより、債権者から追いまわされて、そらぁ、気が気じゃありませんでした」女はそれを聞いて、負けず嫌いなのか、すぐに言い返した。
「そんなの大したことない、ないっ。お金なんてすぐ返せるけど、わたしなんて、10年もつきあった彼氏にそろそろ結婚しよってそれとなく匂わせたらさ、二股かけられてて、今はあっちの女とラブラブだから、悪いけど、もう別れよ、って言われたんだから。10年よ、10年、わたしの青春、返せってんだぁ!」女は振った男を想像し、腕を前に突き出して、どうやらパンチを食らわせているようだった。
― 女の恨みはやっぱり、怖い・・・。
「いえ、いえ。それどころじゃあ、ありません。おかげで、女房に愛想つかされましてね、子供を連れて実家に帰ってしまいました。まぁ、忙しかった時に、全然、相手してやりませんでしたからね。金の切れ目が縁の切れ目ってやつでしょうか」男はしみじみと言った。
それでも、女は食い下がる。
「大事にしてても、わたしなんて逃げられたわよ、飼い猫に。すっごく可愛がってさ、スーパーのお徳用猫缶なんかより、わざわざ遠方のペットショップに行って、高級猫缶、せっせと食わせてやったのに、あいつ、さっさと家出していったのよ。おーい、ペロぉ、そこらにいるんなら、帰ってこぉい!」
― ペロって、あなた、東映まんが祭りに出てきた猫ですかいな。
それってもう、年、ばれてますよ。
「その後も随分、大変だったんです。自殺未遂を起こしましてね、首を吊ろうとしたんですが、これがどうも上手くいきませんでね。縄がゆるかったのか、高い木から落ちまして、足の骨を折ったんです。で、近所の人に通報されて、結局、しばらく入院することになってしまいました」男がそう話すと、女は急に笑い出した。
「ははは、そういうドジな人、いるわよねぇ。死のうって思って、死にきれなかった人って。この間も、そういうのテレビで見たわ。ビルから飛び降りて、下を歩いてた人が可哀想に死んじゃって、自殺しようとした人は助かったって。あれって、災難なのかなぁ、それとも殺人?」
「知りませんよ!笑い事じゃなかったんです。そりゃあ、屈辱ですよ。生き残っちゃうと。一度は死のうとした人間ですからね。のうのうと生きてる方が結構、辛いんです」女の笑い声にむっと来たのか、男がいきり立った。
「じゃあ、わたしと一緒に死のうよぉ」女は再び、しなだれかかった。
「あなた、そもそも、なんで死にたいんです?」男はすっかり怒ってしまったらしく、優しい表情は消えていた。
「・・・さぁ?なんでだろ?何となく、かな?」
「何となくって、ほんとは理由、ないんでしょ?それじゃあ、遺書も書けませんよ」
「書けるわよ。簡単じゃない。お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しくださいって」
「オリジナリティーがありませんね。あなたの愚痴もそうですが、あなたの死にたい理由なんて、そこらじゅうに散らばってますが、それであなたが死んでも、誰もショックも受けないでしょうし、同情なんて、全然、しないでしょうしね」男がそこまで言い放つと、女はちょっとくらっと来たようだった。
その時、わたしは思わずパチッとテレビを消した。
― オリジナリティーか、なかなかないよな。自殺のオリジナリティーなんて。
目の前の便箋には、「遺書」という書き出しまでは書いたが、それ以上、文句が浮かばない。それで気晴らしにちょっとテレビをつけたら、タイミングのいい話題に出くわした。
考えたら、わたしの理由もドラマに出てきた男と女が話していた内容に近い。
病苦、いじめ苦、借金苦、失恋苦、受験苦、失業苦・・・。
今日もどこかで誰かが、似たような理由で自殺する。
そして、そのうち、彼らの名前は誰の口にものぼらなくなる。
まるでその名を口にしてはいけないように。
生きている者達の間では、自殺したその人のことを決して語ってはいけないかのように・・・。
死んで花実が咲くものか。