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カミサマシリーズ

迷子とカミサマ

作者: 神崎みこ

 見慣れた通学路に突如現れたようにみえた小道に、志保が興味をひかれたのは偶然だった。

どこか懐かしさを漂わせた横道に足を踏み込み、そしてひなびた社を発見した彼女は、当たり前のように社へと近づいた。

手入れだけはされているのか、古さのなかにも清潔感のある境内の石畳を踏みしめ、もはや何が祭ってあるのかもわからない小さな社に手を合わせる。

別に信心深いというわけではない彼女にしても、なんとなくそうさせる雰囲気のようなものをここの社は漂わせていた。

作法などしらず、ただ手を合わせ頭を下げた彼女の後ろで、何かの物音が響く。

誰もいないとばかり思っていた志保は、驚いて振り返り、同時に周囲の風景がぐにゃりと揺れたのを感じた。

目の錯覚かと何度も目をこすってみたものの、揺れたと同時に、志保が歩いてきた景色は、その姿を一変させていた

登ってきた石段も、清涼な石畳もなく、ただ圧倒的な質感で木々が志保を圧迫する空間。そんなうっそうと生い茂る森の中に志保は一人佇んでいた。

こんな場所は知らない。

彼女は恐怖心からぶるりと身を震わせ、無意識のうちに両手でわが身を抱きしめていた。

どれだけ目を左右に走らせてみても、そこはひなびた神社などはなく、太陽すら通さない密度の濃い木々と、苔むした地面が広がっているだけだ。

立ったまま夢をみているのかもしれない。

だが、森の中特有の水分を含んだ空気は、確実に志保の頬を撫でていくことがわかる。

さらにはどこからか視線を感じた志保は、せわしなく周囲を伺い、怖さゆえに叫びながらがむしゃらに走りだしていた。

何度も足をとられ、そのたびに地面に手をつきながらも、志保はただ走っていく。

息が切れ、疲労のあまり力尽きたころに、ようやく彼女は一軒の民家を発見した。

昔の家にあるような縁側に広い庭を抱えたその家は、ひどく風景に溶け込み、まるで昔話の中に入り込んでしまったかのように感じた。

人の気配を感じ、一歩ずつ屋敷の方へと近づくと、縁側には二人の男女が座っているのが見えた。

正確には、女は縁側から足を庭へと下ろす格好で座っており、男は彼女の膝の上にその頭を置いていた。

男の髪色が、人がもつものとは思えない髪色だったことにも気がつかず、志保はただそのむつまじい様子にわけもなく照れを覚えた。しばらく声も掛けられずに、ただ黙って盗み見る格好となってしまった。

勇気を振り絞って声を掛けようと踏み出した瞬間、足元の枯れた小枝が甲高い音を上げた。

男が顔を上げ、志保に誰何の声を上げたとたん恐怖がわき上がる。

反射的に志保は、来た道とは別の方向へ走り逃げてしまった。

あれは、人じゃない。

銀色の髪に、銀色の瞳。

そして何より男の持っていた雰囲気が、彼が自分とは違う何かであることを志保へと訴えかけていた。

無我夢中で逃げ、ようやく見えてきた光に向かってひたすら走り続ける。

一生分走った、と、何もかもが限界だと思ったところで、彼女はようやく森の出口にたどり着いていた。

再びどこかの社にたどり着き、掃き清められた石畳に膝をつく。

上下する肩が落ち着いた頃、志保は顔を上げた。

そこは、やはり彼女が好奇心で入り込んだ社のように思えて、制服のスカーフを握り締めて安堵する。

今、自分が体験したことは何だったのか。

ただの夢だ、と言い聞かせようとして、足のあちこちにある擦り傷に、やはり夢ではなかったのだと思い知らされる。

深呼吸をして立ち上がり、制服の泥を振り払う。

何事もなかったかのように、志保は足早に社を後にした。

そもそも、こんなところにきてしまったことが間違いだったのだと。

好奇心満ちて上った階段を、無心で下りていった。



 知っている道に出たころ、日はだいぶ傾いていた。

心配性の母がいらいらしながら待っていることを知っている志保は、できるだけ平静を保ちながら小走りで家へと急ぐ。

だが、知っているはずの道にどこか小さな違和感を覚えた。

自分が不可思議な現象に巻き込まれたせいで神経が過敏になっているのだろう、と言い聞かせながらも、その違和感は徐々に募っていく。

コンビニの種類、店先の花の色、そして駐車場だったはずの場所に一軒の家が建っていた段階で、志保は立ち止まる。

きょろきょろと見渡し、そしてまた記憶と違う箇所を発見する。

頭を振って、思考をどこかへと追いやる。

何も考えないようにしてただ地面だけをみつめ、家へと歩く。

生まれ育った家を発見し、きちんとそれが存在したことを知った彼女は、小さくため息をついた。

家があるのはあたりまえではないか、と思いながらも。

鍵を持たされていない志保は、チャイムを押し、帰宅を知らせる。

いつもの通りに小言はうるさいけれども優しい母が顔を見せてくれるところを想像し、今まで感じていた焦燥感が薄れていく。


「はい?」


だが、扉を開け、彼女を迎え入れてくれるはずの母は、志保の顔をみて絶叫した。


「お、おかーさん?」


驚いた志保は、それでも自分の知っている母と違うところが全く見当たらない母に声をかける。

母は、後ずさり、志保の顔を凝視しながら驚嘆している。


「どうしたの?」


彼女の声に駆けつけた兄が、母に声をかける。

母を後ろにかばうようにした兄は、志保に厳しい眼を向けた。

―――こんな兄は知らない。

志保はパニック状態で、指先一つ動かせないでいる。


「お前は誰だ?」


他人でも見るかのような兄に、志保は必死で言葉をつむごうとする。


「し、しほ、しほだよ!おにーちゃん!」


絞りだすような声は、ようやく日本語となる。

志保の声は母には届かず、全てが素通りしていくかのようにむなしく響くだけだ。

兄、が憎悪しかみせない視線を志保へとつきつける。

声を失い、しがみつくようにして震えている母を奥へと連れて行き、兄は一人で再び志保と対峙した。

よくみれば、玄関内の装飾さえ、志保の知るそれではないということに気がつく余裕があるはずもない。


「悪質な冗談はやめてくれ」


憎憎しげに吐き出され、志保は乱暴に家から押し出される。

わずかに、志保の中に何かをみつけたのか、複雑な顔をして志保へと言葉を吐き捨てる。


「妹は死んだんだ、ずっと前に」


ぴしゃりと締められた扉が志保の視界を閉じ、兄の言葉が思考を閉ざす。

立ちすくんだままの志保は、俄かに降り始めた雨に、ようやく我に返る。

行くあてさえないのに、志保はのろのろと体を動かし自宅だと思っていた場所から歩き出した。

傘もささない女子高生に訝しい視線を送る人にも気がつかず、志保はふらふらとただ足を前後に動かしていく。

見覚えがある風景と、見覚えのない風景が繰返えされ、志保の不安は消えては浮かぶ。

どこをどう歩いたのかもわからないほど時間がたったころ、志保はようやくはっきりと覚えていた景色にとたどり着いた。

そこは、志保がこんなことになってしまった原因ともいえる社へと続く石段であった。

瞬時に怒りでいっぱいになった志保は、すっかりと濡れて重くなってしまった制服を気にも留めずに階段を駆け上がる。

ひんやりとした空気だけを残し、雨はいつのまにか上がっていた。それさえ気がつかずに、ところどころ水溜りとなった石段をただ登る。

ようやく上へとたどり着き、志保は肩で息をしながらも、社をただにらみ付けてみせた。





 こんなところにきて、どうなるというのか。

心の声が響く。

理由さえわからずに、理解のできない世界に放りこまれた。

知っているようで知らない世界。

そしてここもまた、あの社であってあの社ではない。


「どうして・・・・・・」


掠れた声は、静まり返った境内に吸い込まれていく。

大きく息を吸って吐き出す。


「あれぇ?君」


不安感に押しつぶされそうな志保に、不似合いな軽い声がかかる。

石畳をみつめ、いつの間にかあふれ出した涙をぬぐうことも思いつかなかった志保は、顔をあげる。

綺麗な、男の人だと思った。

次に、怖いと思った。

無意識にあとずさり、男と距離をとる。


「そんなに怖がらなくてもいいのにぃ。って結構わかる子だ」


艶やかな黒髪を腰まで伸ばしたその男の瞳の色は、漆黒。

吸い込まれそうなほど深い闇を思い出すその色は、ただ志保には恐怖しか与えない。

この人は、人じゃない。

常識では思いつかない答えが頭の中に浮かぶ。

だが、それは彼女の中で、しっくりと納得のいく答えとなる。

張り付いたままの気道は声を出すこともできず、ただ恐怖から目もそらせずにいる。


「君、ここの子じゃないでしょ?」


第三者が聞けば全く意味がわからない問いかけに、だが志保はわずかな光を感じ取る。

視界にとらわれたままゆっくりと頷けば、男、はにっこりと笑う。


「やっぱり、迷い込んだ子だ」


壊れたおもちゃのように頷くと、男は何が楽しいのかにこにこと笑顔を作る。


「たまにいるんだよねぇ、ほんと。でも君運がいいよ」

「ど、どこが」


そもそもこんなところに来てしまったこと自体が、運が悪いともいえることなのに、男の物言いにようやく反抗する気力が沸き起こる。


「あ、声もかわいいねぇ、うんうん」


志保の疑問などまるで意に返さないとばかりに、男は志保を中心にして踊るようにまわる。


「気にいったかも」


一周して満足そうに志保の正面へと立つ。


「大丈夫、返してあげるから」


男はそう言って、また笑った。





「おかえりなさい、遅かったわね」


小言の言葉がもたらされたにも関わらず、志保は母親に抱きついた。

すでにすっかりと体が大きくなった娘の突然の抱擁に、母は驚き、だが、濡れた髪をタオルで撫でるようにして水分をふき取る。

見覚えのある室内に、安堵し深く吸った息をゆっくりと吐き出す。


「ただいま」


志保は心から言葉をかけ、笑いながら母が着替えを促す。

あたりまえのように好物が並べられた夕食をみて、ようやく緊張感から開放された。





 志保が迷い込んだ先は、いわゆる神域であり、神隠しと呼ばれる事故がもたらされる場所であったことを知るのは少し先のことである。

そして、あの黒い男の正体を知り、ちょっかいをかけられる人生が待っていることを、このときの志保は知らない。


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