再会 1
『自殺ツアー エデン』
それが、私が申し込んだ死への旅だった。
死神さんからのメールを見た瞬間、私の脳裏にあの暑い夏の日がハッキリを浮かんできた。
誰も喋らなかった気まずい雰囲気の車内。
死神さんと話をしたあの海。
最後にメンバーと顔を合わせたあのレストラン。
忘れたくても忘れられないのに、思い出そうとしても鮮明でない、嫌な夢のようなあの日の記憶が輪郭を持って私の頭の中に浮かんできた。
今更、死神さんは私に何の用だろう。
渡したいモノっていうのはさしずめ、置いてきたバッグだろうけど、今更、どうしてわざわざ連絡してきたのだろう。
海の中で少年みたいに笑った彼の顔が思い出されて、私は胸が締め付けられた。
思えば彼の本名が『岸上』っていうことくらいしか、私が知ってることはないのだ。
どういう人だったんだろう?
どうして、彼はこんなツアーを計画したんだろう?
彼に会いたい。
いや、会わなければ・・・。
会ったところで、何を話していいか分からないけど、とにかくそう思った。
◇◇◇◇
メールの指定通りに、私はあのバス停に再びやって来た。
あの日は8月で、セミの声が煩いくらいの暑い日だったのが、時は流れて今は二月。
朝の冷たい風が肌に突き刺さるような日だった。
どんより曇った空は、雪でも降りそうな重苦しい色をしていた。
その冷たい風の中、名古屋駅に到着した私は、バス停に向かって歩き出した。
もう10時を少し過ぎている。
少し遅れてしまったけど、死神さんは待っててくれるだろうか?
私は足を速めて、バス停までトコトコ小走りに向っていった。
朝の通勤ラッシュが終わった名古屋駅はさほど混んでいなかった。
待ち合わせのバス停からちょうどバスが出て行く。
その停車していた場所で立っている一人の女性が見えた。
黒いロングコートにベージュのストールを襟元に巻いている。
ヒールの高い革のロングブーツを履いたスラリとしたシルエット。
手には大きめの紙袋を二つ持っている。
サラサラした黒いロングヘアーに真っ白な整った顔。
その立ち姿は、まるで昔の映画女優みたいだ。
そして、私はこの女性を知っていた。
「・・・しずかさん?」
私は無意識にその名を呼びながら、立ち竦んだ。
幽霊でも見たような顔になっていたに違いない。
何故なら、私の頭の中では彼女はとっくにエデンに逝ったことになっていたんだから。
呼び声に気が付いて、彼女はこっちを振り向いた。
穏やかな顔で会釈をすると、黒髪をなびかせ、私の方に向かってゆっくり歩いてくる。
その歩き方さえ優雅で、私はその場で硬直したまま、しばし見惚れていた。
私の目の前まできたしずかさんはニッコリ笑った。
花がパっと咲いたような明るい笑顔だった。
同性なのに、その微笑にドキドキしてしまう。
「ウサギさん、元気でしたか? 半年ぶりですね」
聞き覚えのある大人の女性の声。
落ち着きのある優しい声だった。
「しずかさん・・・ですよね? 死神さんは? どうしてあなたが・・・?」
「ごめんなさい。彼は来ません。私では役不足だったかしら?」
肩を竦めて、彼女は申し訳なさそうに答えた。
私は慌てて首を横に振る。
「いえ、いいんです。その節は皆さんと最期まで同行できなくてスイマセンでした。私、お酒飲んだ後の事は、あんまり記憶がないんですけど。皆さん、エデンには行って・・・ないんですよね?」
シドロモドロに話す私に、しずかさんは口元を押さえてコロコロと笑った。
「見ての通り、私もエデンには逝ってないんですよ。その事で、あなたにお話することがあるんです。お時間よろしいかしら?」
「はい、大丈夫です」
「じゃ、ここではなんですから、どこか入りましょうか?モーニングのおいしい所でも、ね?」
しずかさんは女子高生みたいに、私の手を取ると駅の方に向かってクイクイ引っ張りながら歩き出した。
あの時とは少し違うテンションの彼女に、私は戸惑いながらも大人しく従った。
・・・今の彼女の方がキレイだな。
漠然とそう思った。
私達は駅の裏にある昔ながらの小さな喫茶店に入った。
喫茶店王国名古屋は、朝、コーヒーを頼むと自動的にゆで卵とトーストがついてくるモーニングセットなるものの発祥の地と言われているらしい。
名古屋育ちの私は、子供の頃、父親とモーニングを食べに喫茶店に入ったものだ。
レトロな雰囲気の喫茶店は入ってみると意外に中は広くて、私としずかちゃんは窓際の一番隅の席に向かい合って腰掛けた。
黒光りしているアンティークなテーブルは肘を付くのが申し訳ないくらいだ。
「モーニングセット二つ、私はホットで。ウサギさんは?」
しずかさんは優雅な口調で注文を取りにきたマスターにそう言ってから、私にも伺いを立てる。
「私はカプチーノでお願いします」
還暦は迎えているであろう白いひげのマスターは、黙って注文を聞くと、少し笑みを見せてから厨房に戻っていった。
彼が完全に話し声の聞こえる範囲から出て行ったのを確認して、しずかさんはガサガサを紙袋を私に差し出す。
「まずはこれをお返ししなければ。あなたの忘れ物です」
言われて中を覗き込むと、案の定、レストランに置いてきた筈のバッグとサンダルが入っていた。
何となく気恥ずかしくて、私は慌てて袋を閉じると椅子の下に突っ込んだ。
その仕草を見ていたしずかさんは優しく微笑んだ。
「ごめんなさい。もっと早く返したかったんですけど、私の娘の手術があったものですから、なかなか身動きが取れなくて」
「あ、あの、障害があって治らないって言ってた子ですか? どうでした?」
私の問いに、彼女は穏やかな顔で答える。
「お陰様で手術は成功しました。まだ完全ではないですが、日常生活を送るには差し支えない所まで回復したんです。明日、退院するものですから、お話しするなら今日しかないと思って連絡した次第です」
その言葉に私までホッとして笑顔がこぼれた。
「良かった・・・おめでとうございます。もう、エデンに逝く必要はなくなったって事ですね」
しずかさんの表情が少し固くなった。
しばしの沈黙の後、決心した顔で私を見てから、こう言った。
「・・・そうです。その必要がなくなったからこそ、私は罪を償いに来ました。あなたをネットで呼び込み、ツアーと装ってホテルまで連れて行き、睡眠薬をお酒に混ぜて飲ませて昏睡状態にしたのは私なんです。全ては娘の為でした」
彼女の告白に、私は硬直して動けなくなった。