決着 3
根尾の奥さんが実は本当の娘?
根尾の言葉に、頭の回転の悪い俺は、混乱して首を傾げた。
俺を支えながら歩く根尾の横顔をバカみたいに見つめると、それに気付いた彼は恥ずかしそうに笑った。
「難しいことじゃないだろう? よくある話だ。院長の奥さんは、当時、研修医だった僕と浮気してたんだよ。それまで子供ができなくて悩んでたし、病院の跡継ぎ問題で周囲からプレッシャー掛かっててね。妊娠したって分かったら、すぐフラれた。悪びれもせず、堂々と院長との子供だって言い張るんだから、すごい女性だったよ」
「それ・・・バレなかったのかよ?」
「バレてるかもしれないね。子供ができなかったのは院長が原因なんだよ。院長が自分に種がないことを検査して知ってしまったら、自分の子供でないことはすぐ分かる筈だ」
悪戯がバレた悪ガキみたいに首をすくめて、根尾はしゃあしゃあと言った。
その神経の図太さに、根尾のことは知り尽くしたと思ってた俺も唖然とする。
「バレてるかもしれないのに、あんた、院長と同じ病院で、娘の担当医になって、しかも入籍したのかよ?」
「院長がどう思ってるかは本当のところは分からない。知ってて黙認してるのかもしれないし、全くバレてないかもしれない。どのみち、本人に聞ける筈ないだろう?」
「まあ、そりゃ・・・」
「瑞樹はね、初めて担当医として紹介された時に、すぐに僕の娘だって分かったんだ。まともに外にも出た事がないのに、本当に素直ないい子だった。僕は育ててくれた院長に感謝したよ。同時に、堂々と愛してあげる事ができない彼女の為に、僕は何でもやってやろうと誓ったんだ」
彼女の笑顔でも思い出してるんだろうか。
根尾は遠い目をして溜息をついた。
「彼女はおませさんでね。10歳の時には、夢は僕と結婚することなんて言ってたよ。先のない命で、歩く事もできない彼女と誰が結婚してくれる? 僕は、彼女と籍を入れる事には全く抵抗はなかった。娘の夢を叶えるのは父親の僕にしかできない事だろ? ただ、当然ながら彼女に性的欲望を持つことはできなかった。男女の愛じゃないっていうのは、そういう事さ。親子の愛なんだから」
俺は黙って聞くしかなかった。
想定の範囲を完全に超えた根尾の常識外れな愛。
浮気相手にできた子供を、影になって見守ることなんてできるだろうか?
「もしかして・・・浮気、じゃなかったの? 院長の奥さんのこと、本気で好きだったのか?」
ふと、思い当たって問いかけると、根尾は目を伏せた。
そして、少し悲しそうに唇を噛んでから小さな声で言った。
「好きだったね。初めて本気になって、初めて捨てられた人だったんだ。あの時は若かったな・・・」
薄紫色に染まってきた空は次第に明るくなって、一面に瞬いていた星はもう消えていた。
潮風を感じながら、俺達は駐車場に向ってノロノロと歩いていく。
フラフラしている俺を支えながら歩く根尾には苦痛だったかもしれない。
でも、俺はこのまま根尾とどこまでも歩いていきたい、なんてボンヤリ考えながら、いう事をきかない足を動かしていた。
「岸上君、さっき、肺はしずかちゃんにあげるって言ったよな?」
唐突に根尾に問いかけられた。
いつものクセで、俺は首を傾げてから、コクンと頷く。
言われなくても、その覚悟は変っていない。
「あげるよ。死ねたらね。やっぱり俺のこと殺す?」
「いや、肺は検体が死ななくてもいいんだ。生体移植が可能だから。つまり、君の肺を半分提供してくれれば、彼女の娘の病状は大分改善される筈だ。君の方は日常生活には支障はない。君の得意な柔道はできなくなるかもしれないけどね。死ぬほどの覚悟があったんだから、肺を半分あげるくらい大したことじゃないだろう?」
勿論、死ななくていいなら、肺の半分くらい大したことじゃない。
そもそも最初から、死ぬつもりでこの海岸に来たんだから。
それができれば、どんなにいいか・・・。
てか、何で最初っから言わなかったんだ?
「肺、あげるよ、俺ので良ければ。でも、適合したらの話だろう?」
「するさ。君がサプリメントのバイトしてた時に、毎日検査してただろう? あの検査の一部は移植手術の為のものだったんだ。君ならしずかちゃんの娘のドナーになれる事は分かってたんだよ」
俺は眉間に皺寄せて、首を捻った。
「・・・つまり、あのバイトはドナーを探して、臓器を強奪する為だったってこと・・・?」
「まあ、それも目的の一つだった事は否定しないよ」
ハハハ・・・と根尾は笑い飛ばしたが、俺はぞっとして思わず根尾の手を振り解く。
「ホラ見ろ! やっぱり、最初は俺の臓器を狙ってたんじゃないか!」
「君のって訳じゃない。バイトを募集したら、たまたま君が来ただけの話さ。でも、できなかったんだよ」
よろよろと逃げようとする俺を、根尾は後ろから羽交い絞めにして抱き寄せた。
俺の首にヤツの柔らかい髪が触れ、肩にキスされたのを感じた。
そして、耳元に息がかかり、ヤツの柔らかい声が囁く。
さっきまで病室にいたであろう消毒液の匂いが鼻を掠めた。
「僕も静香もできなかった。君と同じ理由さ。僕らは君が大好きになってしまったんだよ」
「ご、ごまかされるか!あんたって人は・・・」
言いかけたところで根尾の唇が言葉を遮った。
俺の体の向きを変えて正面から向き合うと、改めて強く抱き締められた。
最初は鳥が啄ばむように、そしてだんだんと獣が獲物を貪るように、角度を変えては何度もキスを繰り返す。
されるがままになっていた俺も、いつしか両腕で根尾の背中を抱き締め、懸命にキスを受け止めていた。
「岸上君、ドナーになるのに法的な条件が一つあるんだよ」
絡めた舌を名残惜しそうに離して、根尾は言った。
もっと欲しくて、俺は無意識に根尾の唇を追いかける。
それを避けるようにして、ヤツは少し寂しそうな口調でこう続けた。
「生きてるドナーは、親戚か、血縁関係のある人間か、もしくは配偶者でなければならないんだ。君が静香と結婚すれば、万事OK。君と詩織ちゃんは親子になるからね。どうする?」
どうするも何も・・・。
それこそ、一人で決められる問題じゃない。
寧ろ、彼女の方に選択権はある。
ただ、俺に異存はないことだけは、間違いなかった。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。
明日から、最終章です。
もう少しお付き合い下さいませ。