反逆 3
俺の渾身の一撃を食らったかに見えた根尾は、間一髪、顔を逸らして直撃を免れた。
ヤツの眼鏡だけが、吹っ飛ばされて部屋の隅に転がっていく。
ノックアウトを想定していた俺は、根尾の意外な身のこなしに目を見張った。
完全に俺のパンチを見切った動作だ。
当然、ヤツの反撃はそれだけでは終わらなかった。
顔を掠って飛んできた俺の右の拳を、根尾は空いてる手でグイっと掴むと己の体を反転させながら床に片膝を付く。
その間、僅か1秒。
俺は何をされてるのか把握する間もなく、根尾の動きに合わせて後方に反転しながら吹っ飛ばされた。
飛ばされるその瞬間、根尾が掴んでる俺の右手の間接がバキバキっと嫌な音を立てた。
ドー・・・ンという地響きと共に、俺の体は仰向けの体勢で根尾の真後ろの床に叩きつけられた。
後頭部をしこたま打ったその瞬間、目の前に火花が散る。
見えない方の目にも火花が散るんだから、不思議なものだ。
「僕はこれでも体育会系でね。どうしても僕を止めたければ、叩きのめしてくれても構わないよ。君の命の保障もしないけど」
仰向けでひっくり返っている俺の上から、根尾は冷たい視線を落とす。
・・・つ、強えぇ・・・!
歯が立たない事はすぐに分かった。
もはや、訓練された戦闘能力だ。
顔に手をやると、最初のパンチで切れた口から血が出ている。
歯が折れてないだけマシだろう。
「あんた、なんか・・・やってたのか?」
切れ切れに問いかける俺に、ヤツはニヤリと笑った。
「合気道部の主将を高校大学と努めていただけだ。子供の頃は少年空手。人は見かけによらないだろ?」
「・・・似合わねえの。インテリはテニスサークルでもやっとけよ」
「それは偏見だよ。君は何かやってたのか?」
「・・・俺は柔道部だよ!」
そう怒鳴ったと同時に俺は立ち上がりざま、目の前で仁王立ちになっているヤツの長い足にタックルした。
慌てて逃げようと後ずさるヤツの足に俺は更なる足払いを掛け、ヤツを床に押し倒す。
このまま、寝技だ!
と、思った瞬間、俺の腹に根尾の片足が突き刺さった。
俺の体はその足にぶっ飛ばされ、根尾の体を飛び越えると、さっきまで俺が立ち竦んでいた入り口のドアに激突した。
巴投げかよ・・・。
それは高校時代、俺の十八番だったのに。
完全に格の違いを見せ付けられた。
柔道初段くらいの俺の実力じゃ、まるで歯が立たない。
ドアにズルズルともたれながら、俺はせめてもの抵抗をしようと、ヤツの顔を睨みつける。
ゆっくりと根尾は近づいてくると、はだけてボロ布みたいになっている浴衣の両襟を合わせて掴むと、 俺を持ち上げてドアにダン!と叩き付けた。
眩暈でクラクラして、切れた口の中は血の味が広がる。
だが、気力で負けた俺は、ヤツのされるがままになっているしかなかった。
「柔道は接近戦なら有効だけど、その前に僕の間合いに入らなければならないからね。残念だったな」
汗一つかかず、根尾は涼しい顔でサラリと言った。
「・・・うるせえ。裏切り者を殺すのか? だったら、俺の肺はしずかちゃんにくれてやる。けど、心臓はてめえにはやらねえからな!」
精一杯、威勢を張った俺を見て、根尾はニヤリと笑った。
「殺さないよ。僕らは運命共同体だろう?だけど、君がバックレないように細工をさせて貰う」
「・・・細工?」
俺が首を傾げたその瞬間、腹にものすごい痛みというか熱さというか、とにかく立っていられないほどのショックが走った。
突然のその衝撃に一瞬、呼吸ができなくなり、俺は思わず膝をついて床に崩れ落ちる。
跪いた低い視線の先に、黒いバリカンのようなものを握っている根尾の左手があった。
「お、おい、これ・・・」
「ただの防犯用スタンガンだよ。攻撃仕様に少々改造してあるけど、死ぬ事はない」
「は、反則だろ、お、おい、なに・・・」
根尾は全く悪びれる事なく、呂律も回らなくなった俺の体をズルズルとベッドに引き摺っていった。
完全に脱力している俺を、モノを扱うようにベッドの上に転がすと、かろうじて体に纏わり付いていた浴衣を引っ剥がした。
完全無防備な裸体でベッドに転がされたまま、それでも今の衝撃でまともに動くこともできない。
まな板の鯉とはこの事だ。
根尾は俺を転がしたままテラスに戻ると、さっきまで弄っていた銀色のケースの中から大きめの注射器を取り出した。
そして、クローゼットに引っ掛かっているハンガーにぶら下っているネクタイを一本、スルリと引っ張り手にする。
俺は、見える方の右目で注射器とネクタイを手にしたヤツがゆっくりと近寄って来るのを呆然と見ていた。
咄嗟に頭に浮かんだのが覚せい剤だ。
俺をシャブ漬けにして、監禁するつもりか。
目を閉じて観念していた俺は、根尾の手によって乱暴にひっくり返された。
うつ伏せに寝かされた俺の両手を根尾はネクタイで縛り上げる。
想像するのもおぞましいことをされるのを、俺は覚悟した。
「・・・あ、悪趣味だな。シャブ漬けにしてからSMかよ。ヤクなんて使わなくても、リクエストしてくれたら、いつでも応じたのに」
必死に悪態をつく俺に、根尾は優しく笑みを見せた。
さっきまでの鬼のような冷気が嘘のような暖かい眼差しに、俺の方が拍子抜ける。
「そうか。じゃ、次回はリクエストするよ。残念ながら、これは君が想像しているモノではないんだ」
「・・・?」
「飼い犬や飼い猫が迷子になっても発見しやすいように、体内に埋め込むマイクロチップって聞いたことがあるか?」
「・・・は?」
「海外では保護観察期間の罪人には使用しているらしいね。国内生産はされてないから、これは直輸入した人体仕様だ。これが体内に埋め込まれれば、僕のパソコンから君がどこにいるのか常に把握できるという訳さ」
根尾は優しく説明しながら、俺の後頭部にそっと手を置きマットに押し付ける。
冗談じゃない!
俺はネコじゃない!
痺れて動かない体で、俺はジタバタと無駄な抵抗を続けた。
左手で俺の頭を抑えたまま、根尾は空いてる方の手で注射針を俺の肩甲骨の間に挿し込んだ。
幸か不幸か、完全に痺れの回った背中は既に神経が麻痺していて、痛みも異物感も全く感じずにコトは済んだ。
根尾が申し訳なさそうに呟いてるのを、俺はマグロのように横たわったまま聞いていた。
「君を放したくないんだ。今回は君は休んでいい。マイクロチップと一緒に睡眠効果のある麻酔も打ったから、ウサギさんのツアーが終了するまでここで眠っててくれ。ただし、逃げても無駄なことは分かってるだろう?」
「バ、バカヤロ・・・そ、そんなこと、しなくても・・・、オレ・・・」
・・・俺はあんたの傍にいたよ。
最後の一言を言う前に、俺の意識は急激に薄れていった。