躊躇 3
「・・・それ、もちろん、見えてないんだよね?」
さっきまでの威勢はどこへやら、身体障害者に向けた優しさと同情を持って、ウサギは恐々俺の顔を見上げる。
これも見慣れた反応だ。
嫌な事聞いてごめんなさい・・・って人は言うけど、腫れ物に触るような言い方が、時に煩わしい。
「無理だね、治んないよ」って開口一番に言ったヤツは根尾だけだ。
思えばヤツは、皆が触れないでおいた所を、いきなり切り裂いて俺の深層心理までえぐってきた。
アイツの無邪気で残酷な顔を思い出しながら、俺は言った。
「見えないよ。でも、右目は今の所、すごく良いんだ。片目だけでも1.0以上あるんだから。でも、それが逆に問題でさ。障害認定って知ってる?」
「・・・障害者手帳貰うヤツ?」
「そう、生活に支障が出る位の障害を持ってたら認定されるんだ。そうしたら医療費は全額タダになるし、障害年金も貰えて、国から支援金も出る。でも、俺は見えないのに認定されない。生活に支障がないからだって」
話しているうちに、俺の口調は再び熱くなっていくのが分かった。
少なからず、俺がこの国の制度に不満を持ってる証拠だ。
自分のことを話すと、つい反社会的な事を言ってしまう。
それがダメ人間の言い訳だって思われたくなくて、いつもは言わないようにしてるのが、年も近い感じのこの女の前では、何となく素の自分が出てしまう。
学生時代の同級生と話してるような錯覚を覚えてるんだろう。
・・・俺らしくないな。
真面目に話したのが何となく気恥ずかしくなって、俺は照れ笑いでごまかした。
「ごめん。つまんないこと言っちゃったな。つまり、何が言いたいかって言うと、人の悩みとか、辛さとかは他人が定規で測れるものじゃない。だから、俺はあんたがどんな理由で死を選んでも、それはリスペクトする。あんたの辛さはあんたにしか分からないからな」
自殺推奨的な発言だったにも関らず、ウサギは涙を溜めてグスグス言い出した。
女の涙には無条件に弱い俺は、大いに焦って慌てて両手をバタバタ振リ回す。
男三兄弟で育った所以だ。
「な、泣くなよ!同情して欲しくて見せた訳じゃない。ただ、あんたの気持ちは分かるよって言いたかったんだ」
「・・・うん。ありがとう。でも、死神さんに比べたら、私の動機なんて軽いもんだわ。バカみたい・・・」
涙を溜めたウサギは、急に女の子っぽくなって、こいつがむしろかわいい部類だった事に今更ながら気が付いた。
それはマズイ。
あんたはそんなキャラじゃない筈だ。
テンパった俺は、軽口を言って笑わそうと試みた。
「ああ、でも正直言って、どうしてチビでメタボな男にフラれたのかは理解に苦しむよ。オヤジと寝るのが好きなの?あんたまだ若いのに。よっぽど男に飢えてた訳?」
「はあっ?」
元気にしてやろうと思ってつい口から出た冗談だったが、品がなさ過ぎて彼女の顔色が変った。
ヤバイ。
本当に俺は女の扱いに馴れてない・・・。
「ええ、そうですよ! 彼氏なんて何年もいなくって飢えてましたよ! あわよくば、結婚して楽な人生歩んでやろうと思ってましたよ! 悪い?」
「悪くないよ。でも、結局、メタボにもフラれたんだろ?ちょ、ちょっと、濡れるとまずいって!おい!」
「何よ!自分だって彼女いなかったんでしょ?」
「俺は飢えてないよ。必要なら店行くし」
「やだ、サイテー!下品なこと言わないで!」
真っ赤になって掴みかかってくるウサギ攻撃を俺は必死でかわしながら、なだめようと口にする事が全部墓穴を掘っていく。
ついには彼女の手によって、俺は海の中に沈められた。
「あーあ、これ、どうしてくれるの?」
「いいじゃん、もう泳げば?」
あっかんべーをしてみせるウサギの顔を見て俺は安心した。
そうだ、あんたはそんなのが似合ってるよ。
まだ、死ぬには早いだろ・・・。
冷たい海水は気持ち良かったが、ジーンズの下の下着の中までたっぷり入った海水がタプタプ音を立て、俺は慌てて立ち上がって上着を脱いだ。
今度は、俺の裸体に描かれた刺青を見て、ウサギは息を呑む。
全く、想像通りの反応だ。
その顔が面白くて、俺は笑いながら、からかってやる。
「興味ある?どうせ死ぬなら何でもやってみたら?公共のお風呂には入れなくなっちゃうけど」
「け、結構です!私は温泉好きなの!もう時間もないでしょ?」
「そうだね。本物は時間ないし、俺がマジックで描いてあげようか?」
「何が悲しくて、あんたにマジックで落書きされて死ななきゃなんないのよ?」
・・・全くだ。
俺がマジックで描いたドラえもんの落書きがしてある遺体が発見されたら、死んでも死に切れないだろう。
「あんた、面白いな。もっと笑えること言ってやろうか?」
「何よ?」
「これ、やって貰うのに、金払ってないんだよ」
「・・・どうして?」
「これ彫ったヤツが、初めてだって言うんで、俺が実験台になってやったんだ。逆に金貰ってやったんだよ。だから自分でデザイン選べなかった。できたの見たら、デカ過ぎてビックリだよ。仕事ないから、身体で稼ぐことしかできなくてさ。最後の仕事は3ヶ月病院に閉じ込められて、新製薬のモニタリング。顔がマシだったら売春もやってるね。今んとこ需要はないけど」
・・・女にはね。
心の中で補足しつつ、俺はかなり踏み込んだ事まで喋ってしまった。
根尾が聞いたら完璧にアウトの領域だ。
「死神・・・岸上さんだっけ?あなた、変ってるね」
ウサギの口から本名が呼ばれて、初めて俺は我に返った。
まずい。
喋り過ぎだ。
こいつに俺が本名まで話したって根尾たちにバレたら、俺が反逆しようとしてると思われてしまう。
実際、そう思われても仕方ないほど、俺はターゲットに接近し過ぎている。
緊張で顔を引きつらせて、俺はウサギに詰め寄った。
「うさぎさん、その名前は言わないで。死神って呼んでてくれ」
「?どうして?」
このやろう・・・!
弱みを握られて、俺は舌打ちする。
それに気付いたウサギは、勝ち誇った顔でニヤリと笑った。
「いいわよ。別に誰にも言わないから。下の名前は何?」
「・・・口が滑った。これ以上聞くなよ」
「じゃ、私の名前、教えようか?」
「いいよ、大方、宇佐美さんて言うんだろ?クラスにウサギって呼ばれてるヤツいた。分かり易いよ」
聞き分けのないウサギの言い回しに俺は苛ついて、思わず彼女の肩に手をかけた。
男に免疫のなさそうなウサギは、予想以上にテンパッて顔を真っ赤にしている。
何か勘違いしてるみたいだが、こっちはそれどころじゃない。
「な、何?」
「約束しろ。岸上って絶対、他のヤツラの前で呼ぶな」
「・・・分かった。死神さんて呼ぶ」
「頼むよ。死亡推定時刻まで後10時間くらいだ。それまでそれで通してくれ」
その言葉は今のウサギには禁句だった。
渋々、了解した彼女のぶーたれた顔が、俺の最後の一言で一気に蒼白になった。
こっちも弱みに付け込んだ卑怯なやり方だったけど、ここは馴れ合いになる訳にはいかない。
俺は気を引き締める為、彼女に背を向けて海水で濡れたTシャツを雑巾みたいに絞った。
背中に、彼女の視線が痛いほど突き刺さる。
少し可哀相になった俺は、気を取り直して彼女の方を振り返った。
そこには俺の背中をバカみたいに見つめている、執行猶予を告げられた憐れなウサギがいた。
「ねえ、あんたの部屋貸してくれないかな?俺は主催者だから部屋取ってないんだ。コインランドリーくらいあるだろうから、服乾くまで部屋で浴衣貸してくれよ。」
冗談で提案してみた俺に、ウサギは真っ赤になって、お約束通りの反応を返してくれる。
「や、やだよ!何で死の際にあんたと同じ部屋で一緒に過ごさなきゃなんないのよ!」
「だって、水かけたのはあんただろ? 俺に濡れたままでいろってのか?」
「他の人に言えばいいじゃない! あ、あのネオさんとか・・・」
「一応俺も男だし、トウが立ってても女の部屋の方がいい」
眉間に皺寄せ、真剣に考えているウサギを見て、俺はまた可笑しくなる。
まさか、本気でバージンあげちゃおうかなんて考えてるんじゃないだろうな・・・。
それはそれで、拒まないけど。
やがて彼女は仕方ない口振りで、でも、相当の決心をしたように俺を見上げた。
「いいわよ。責任は取るわよ。でも、服が乾くまでだからね」
「了解!お礼に相手しようか?」
「・・・何の?」
「男に飢えてるんでしょ?」
刹那、飛んできた強烈なウサギパンチに俺はノックアウトされて、飛沫を上げて海の中にダウンする。
それでいいよ。
あんたはこの方が似合ってる。
彼女に見られないように俺は苦笑した。