躊躇 2
差し出した俺の手をウサギは煩そうに払いのけた。
その仕草は男に慣れてない思春期の女の子みたいで、俺は更にからかいたくなる。
いや、ホントに慣れてないんだろう。
何と言うか、余裕がない。
頑張り過ぎちゃって、男が引くタイプの女だ。
「どうせ暇だから付き合いますよ。案内してくれるんですか?」
「もちろん。じゃ、海でも見にいきますか?」
俺の言葉に、他にいく当てもないウサギはぶーたれながらも、ノコノコついて来た。
ホテルを出て、駐車場を横切って、俺はガードレールを跨いで浜に出た。
小さいウサギは、跨ごうとした股の間にガードレールが挟まって、必死に足を抜こうとしている。
罠に掛かった兎みたいだ。
彼女の腕を引っ張りながら、俺は悪態をついてやった。
「足、短いなあ」
「あんたがデカいんでしょ? 人の足なんてほっといてよ!」
活きのいい啖呵に俺は少し嬉しくなった。
こいつは生きる元気がありそうだ。
自分の体を支えてる俺の腕に気が付いて、ウサギは慌てて手を振り解いた。
顔を真っ赤にして、ワザと乱暴な態度を取るウサギが、俺は面白くて仕方ない。
こいつに絡んでると、未来の事なんて何にも考えてなかった中学生に戻ったみたいに新鮮だった。
しばらく俺達は打ち寄せる波を黙って眺めていた。
真夏の日差しに照らされた波がキラキラ光って綺麗だ。
こんな綺麗な景色がすぐ傍にあったって、根尾やしずかちゃんは知ってたんだろうか。
きっと、大事な人の事ばっかり考えてて、身近な美しいものにも気が付かなくなってたんじゃないかな。
知ってたらこんな薄暗い計画立てようと思わないだろうに。
ボンヤリ波の彼方を見つめるウサギに、俺はまだ聞いてなかった事を質問した。
「なあ、あんたさ、何で死にたいの?」
俺の問いかけに、ウサギは考えながらも案外素直に口を開いた。
本当は誰かに聞いて欲しかった。
そんな口振りにも思えた。
「・・・会社が潰れちゃって、今まで、失業保険でやってたの。それも終わるし、無職の弟夫婦もいるから家にもいられないし。後は、婚活で知り合ったつまんないチビのメタボ男に二股かけられて、フラれたの。就職も決まらないし、今までの努力とか、時間とか全部無駄だった気がしてさ。
失った時間が多すぎて、やり直すには歳取りすぎてて、もう全部リセットしたくなったんだ・・・。バカでしょ?」
自嘲的に話すウサギの気持ちはよく分かった。
何となく、俺と境遇が似ている。
仕事がなくて、親に認められた兄弟がいるせいで、自宅にも居辛く、やり直そうとしても人生にはリミットがある。
大した事じゃないって思うヤツは多分、人生で挫折した事がない人間だ。
根尾なら、くっだらないねぇって大笑いするに違いない。
でも、俺は笑わなかった。
「俺、定職就いたことないんだ。今まで工場で短期雇用の仕事しかしたことがない。だから、景気が悪くなってからは速攻クビになって、それから何にもしてないよ。失業保険なんて掛けて貰ってなかったし、厚生年金も入ってなかった。もちろん、彼女なんて最初からいないしね。どう? 俺の方が酷くない?」
慰めるつもりもなかったけど、この話を始めたら箍が外れて、今まで抑制していた不満が噴出した。
語気が荒くなってきた俺をウサギは同情的に見上げる。
「どうして定職に就いてないの?」
「就けないんだ。この顔じゃ・・・」
「・・・結膜炎だから?」
「それ、信じてたの?有り得ないバカだな、あんた。・・・見ろよ」
俺は眼帯を外して、彼女に左目を見せた。
今後の計画を考えたら、絶対しちゃいけない行為だった。
この時、きっと俺の中で決心がついていたのかもしれない。
「死神みたいだろ?だからいつもあだ名は死神。本名が岸上だからな」
俺の顔を見て、彼女の顔が恐怖で引きつった。
俺にとっては見慣れた反応だ。
・・・こいつを殺したくない!
もちろん、根尾にも、しずかちゃんにも、院長にも、殺させたくない。
本名までカミングアウトした俺の心は、この時、既にその方向に向いていた。