ウサギ 4
「ビビった?」
「そ、そりゃ、まあ・・・」
完全に我に返ったウサギに向って、俺は追い討ちをかけるようにイヤな事を説明した。
日程を聞きたいって言ったのは、こいつの方なんだからまあ、仕方がないだろう。
「これから南下して太平洋に面した、とあるホテルに行く。夜まで自由時間。大浴場で最期の風呂に入ってもいいし、浜辺を散策してもいい。それから、このメンバーで最期の晩餐をしてツアー終了。最期にプチ贅沢してから楽園に行こうっていう画期的なプランだろ?」
「ツアー終了っていうのは、つまりそこで死ぬってこと?」
「そうだね」
当たり前だ。
その後、名古屋まで送り届けるくらいなら、旅行会社やった方がマシだ。
女はオズオズと核心に迫ってくる。
「死因は何?」
「そこは客のあんたが考える必要はない。主催者側に任せてくれればいい。希望があれば聞いとくけど」
来ると思ったこの質問に、俺はシュミレーションした通りの返事をした。
この質問は何度も根尾にしたんだけど、ヤツは薄笑いを浮かべるだけでとうとう教えてくれなかったのだ。
あいつのことだから、苦しまずに大量殺戮できる方法くらい知ってる筈だ。
「つまり、私はあなたに殺されるってこと?」
「俺は手は下さないよ。どうせ殺されるなら、イケメンの方がいいだろ?」
ふざけながら、半分本気で俺は言ってやった。
手を下すとしたら、根尾なのは間違いない。
年は食ってても、俺よりは見てくれのいい根尾にやられる方が、女としても本望だろう。
その時、売店の方からゆっくり歩いて戻って来る三人の姿が俺の視界に入った。
お喋りはここまでだ。
少なくなったタバコを俺はアスファルトに捨てると、靴で踏み消した。
最悪の喫煙マナーだけど、携帯灰皿を持ち歩くほど、俺はオシャレな男じゃない。
安心させるように、俺は極めつけの台詞をウサギに言った。
「苦しまないようになってるから、安心していいよ。気が付いたら、あんたはエデンにいる筈だ」
◇◇◇◇
全員乗車したのを確認して、俺は再び運転席に座る。
事故でもなけりゃ、後30分くらいで高速を降りることになる。
あのホテルに戻るのも時間の問題だ。
実行するのは夜になってからだから、昼から連れてくればいいのに。
俺は散々根尾に言ったんだけど、名古屋駅で人目につくのを恐れた根尾は何としても早朝に連れてきたがった。
ホテルは貸切状態になってるし、交通手段も車しかないので、連れてきてしまえばこっちのものだと単純に考えたらしい。
綿密なのか、大雑把なのかよく分からない今回の計画に、俺は少し不安を感じていた。
俺が一番心配していたのは、早まった根尾が彼女が自ら死ぬ事に待ちきれず、殺害してしまうことだった。
この一週間で妻の容態は更に悪化しているらしい。
一刻も早く手術をしないと、体力が持たないそうだ。
ヤツにとっては、死ぬ前のフレッシュな心臓を手に入れたいところだろう。
どの道、死んで貰うんだから、とヤツは言うけど、ドナー自殺後に手術するのと、ドナーが生きたまま手術するのとでは雲泥の差がある。
常人の俺はそう思うんだけど、常識の欠けている根尾にはその区別がつかないらしい。
ぼんやり考えながら運転していると、今度は後部座席に座ったウサギがしずかちゃんに話しかけてるのがミラー越しに見えた。
完全にビビッているしずかちゃんは、なるべく目を合わさないように必死で無視しようとしている。
娘の為に参加しているとは言え、しずかちゃんは仮にも看護士で、優しいマリア様みたいな人だ。
これから被害者になるウサギの顔なんて見てられないんだろう。
テンパってるのがバレバレで、俺は苦笑した。
「あの、初めまして・・・」
「あ、はい。初めまして」
せっかくウサギが話しかけたのに、しずかちゃんは気のない返事をして再び、外を眺めた。
肩透かしを食らったウサギは、身の置き場に困ってブスっとしてシートにもたれる。
何で、こんな人たちと一緒に旅してんのかしら?
ウサギの呟きが聞こえてくるようだった。
ホラ見ろ。
知らない人間と一緒に死ぬなんて気疲れするだけだ。
俺の長年の疑問が、ここで立証された。
高速を降りてから1時間ほど走った後、俺達は朝までいたホテルに戻ってきた。
今日の朝までここで寝てて、明け方車で出てきて、もう戻ってきたんだから、あっという間だった筈なのに、何だかすごく懐かしかった。
ここで根尾としずかちゃんと一緒に過ごした濃密な時間は、もしかすると今日で終わりになるかもしれない。
そう思うと、尚更、今回のウサギ捕獲作戦に俺は後ろ向きになっていった。
車をホテルの敷地内の駐車場に止めて、俺はミラー越しに最後のアナウンスをする。
「お疲れ様です。到着しました。一先ずロビーに集合願います」
その声を待ってましたとばかりに、根尾がドアを開けると、中にいたメンバーは先を争って飛び出してきて、ホテルに向ってズンズン進んで行ってしまった。
二人のその反応に俺は焦った。
逸る気持ちは分かるんだけど、俺以外は今日初めてのツアー参加なんだから、勝手知ったる感じでホテルの中に入って行くのはおかしいだろ。
いくら俺達が今朝までここにいたとしても、それはウサギに決して知られてはいけない。
俺が冷や汗をかいていると、根尾が彼女が下車するのを手伝いながら、フォローしてくれた。
「やっと着きましたね。自分で運転してればなんて事ない距離なんですが、人の運転は疲れますね」
根尾の言葉に女はホっとして笑みを見せたが、運転がヘタだと言われた俺はムカっときて、思わず言い返してしまった。
「ヘタな運転で申し訳ございませんね。さっさと中、入って下さいよ」
「君の運転はヘタじゃないよ。長旅ご苦労様。さ、行きましょうか」
根尾は肩をすくめてキザなウィンクを投げかけると、彼女の背中を押してホテルのエントランスに向っていった。
取り残された俺は、一気に疲れが出て、車にもたれかかった。
いよいよだ・・・。
無意識に咥えていたタバコの煙を吐きながら、車にもたれて俺は空を仰いだ。
白い雲が浮く真夏の空に潮風の匂いがした。