ウサギ 2
「・・・無理しなくてもいいですよ。途中で帰るって言われても困りますから」
「言いません!私、考えたら帰る所もないんだから。連れてって下さい」
帰るところがない、だ?
俺は、いつものクセで首を傾げて女の顔を見た。
必死な表情だ。
冷たく突き放そうとする俺に、この女は寧ろ縋り付いてくる。
仮にも、死のうと思ってここまで来たヤツだ。
それなりの事情はあるんだろう。
「途中下車は認めませんよ。本気なら止めません」
俺は投げやりに言って、車に向って再び歩き出した。
彼女は置いていかれないように、早足で必死に付いて来る。
アヒルの子供みたいに付いて来るこの女は、文字通りのカモだ。
俺は自分の背が高いことに感謝した。
同じ目線だったら、コイツに今の俺の苦虫を潰したような顔が見えてしまっただろう。
車が見えるところまで来た時、俺はやっと振り向いて彼女に最終宣告した。
できるなら、ここで帰ってくれと願いながら。
「今からこの車で出発する。あんたは同行者と一緒に後部座席に乗って。行き先は太平洋側とだけ言っておくよ」
そう言って車のキーを出すと、女はビックリした顔で俺を見上げた。
「あ、あの、あなたが運転して大丈夫?」
「何で?」
「だって、その目じゃ危ないでしょ?」
ああ、と言って、俺は髪を掻きあげた。
やっぱり、これが一般の人間の感覚だろうな。
目が悪い運転手の車には乗りたくないらしい。
これから死にたい人間でも思うんだから、会社の人事の人間が俺を気に入る筈がない。
これは子供の頃からだから慣れてんだって、よっぽど言ってやろうかと思ったけど、ここは意地悪く切り返すことにした。
「朝、起きたら結膜炎になってた。でも、あんた変った人だな。どうせ死ぬのに事故ること心配してんの?」
これは功を奏した。
女は顔を赤らめて、か弱い反撃をする。
「心配しただけよ。運転が疲れるかと思って。大丈夫ならいいよ」
・・・俺の心配してくれたのか。
帰らせたいとは言え、女の子を苛めてるみたいで、俺は軽く自己嫌悪になった。
自分の生温い性格が、恨めしい。
女を二列目シートに乗せてから、俺は自分の定位置の運転席に座った。
バックミラーで後ろを観察してみると、外面のいい根尾が彼女に笑いかけてるのが見えた。
後部席のしずかちゃんと院長は、完全に緊張して固まっている。
被害者が乗り込んできたんだから、それは自然な反応だろう。
「では、人数も揃いましたので出発します。到着予定地はエデン。ですが、まず東名高速乗ります。最初の休憩は上郷サービスエリア。よろしくお願いします」
茶番とは分かっていたけど、一応ツアーらしくアナウンスしてみる。
もちろん、誰も返事もしない。
遠足じゃないんだから盛り上がれとは言わないけど、このメンバーでの長旅は運転する俺の方が気が滅入る。
溜息を付いて、俺はエンジンをかけた。
◇◇◇◇
名古屋の街を抜け、高速のインターにさしかかった。
その間、誰も話もしない。
密室の中の、緊張感に俺は耐えられなくなり、ラジオをつけた。
くだらないFMの早口DJの声が、これほどありがたかったことはない。
しばらくすると、根尾が彼女に話しかけてるのが聞こえた。
聞きたくもなかったけど、俺の真後ろに座っているヤツの声は丸聞こえだった。
「どちらからですか?」
「あ、名古屋です。あなたは?」
「僕も名古屋です。ハンドルネームはネオ。マトリックス見ました?」
思わず吹き出しそうになって、俺は慌てて口を押さえる。
自称キアヌ・リーブス激似の根尾が、ネオとは言いえて妙だ。
きっと、何日も前から用意していたんだろう。
ヤツは一発ギャグを真剣にネタ帳に書くタイプだ。
「初めまして。私はウサギです。あの、こんなとこ来たの私初めてで、ちょっと緊張してます・・・」
「自殺ツアーのリピーターは有り得ないでしょ。もちろん僕も初体験です。あなたはどうしてこんなツアーに参加したんですか?」
そこは俺も聞きたい。
思わず耳を欹てたが、彼女の返事はなかった。
「言いたくないならいいですよ。これから死ぬメンバーに何も話す必要はないですから。悩みなんて人には理解されないものです」
黙りこくった彼女に、根尾が優しく言ったのが聞こえて、俺は再度、吹き出しそうになる。
よく言うよ、根尾のヤツ。
善人ヅラしやがって。
バックミラーで観察しながら、俺は二人の掛け合いを見て苦笑いした。
その時、彼女がバックミラーの俺の顔を見た。
ミラー越しに視線が合って、俺は慌てて目を反らす。
・・・やべえ。
俺達がグルなのは絶対に知られちゃいけないのに。
まだミラーを覗いている彼女の視線を、俺は気付かないフリしてハンドルを握り締めた。




