ウサギ 1
朝、6時前の名古屋駅は日曜日ということもあって閑散としていた。
名古屋育ちの俺には懐かしい風景だ。
高級アルファードの運転席で、俺は周りを見回す。
半年振りくらいの風景になるんだろうか。
高校の時はよく、この辺りをふらふらと歩き回ったもんだ。
久し振りの名古屋は妙に懐かしく感じた。
ハンドルにもたれて、俺は場違いな感傷に浸ってしまう。
バックミラーを覗いて見ると、俺の仲間、いや、運命共同体の加盟メンバーがうたた寝をしていた。
2列目には根尾、後部座席にはしずかちゃんと、小笠原院長。
皆、前日は普通に勤務していたので、昼間寝ていた俺が運転して名古屋に到着した。
朝5時に出発した時は、根尾なんか遠慮なくシートに座り込むなり寝息を立て始めた。
これからしようとしている事を考えたら、やっぱり図太いヤツだ。
俺は最初から運転手兼、主催者の役を請け負っていたが、ここに来るまでの道中、誰も助手席に座ってくれなかったことに若干、ショックを受けた。
しずかちゃんと朝焼けのドライブを楽しみたかったなんて考えてた俺も、やっぱり図太いんだろうか。
6時には、まだ少し時間があった。
俺は駅前のロータリーをぐるりと一周しながら、ウサギらしき人物がいないか視線を走らせる。
すると指定したバス停に向って駅の方からトコトコ歩いていく女の姿が見えた。
30歳くらいだろうか。
カットソーに細身のジーンズ、茶色の巻き髪。
よくいる名古屋の女の子スタイルだ。
顔立ちは悪くはないものの、何となく垢抜けない。
覇気がないと言えばいいのか、印象が薄いパっとしない顔だ。
まあ、顔については、俺も人のこと言えないけど。
俺達はこの女を殺して、臓器を奪おうとしている。
鼓動が速くなったのを感じて、汗で湿ってきた手でハンドルを握り締めた。
俺は振り返って、座席で思い思いの格好で寝息を立てているメンバーに怒鳴った。
「おーい! 名古屋着いたぞ。根尾さん、どうする? ターゲットはもうバス停に向ってる」
眼鏡を慌てて掛け直した根尾が、目をパチパチさせながら起き上がった。
運転席の背もたれに隠れるようにしがみつくと、フロントガラスから見えるターゲットを凝視する。
後部席で飛び起きたしずかちゃんと小笠原院長の顔にも緊張が走る。
「あれが応募者のウサギさんか?」
「俺はアレだと思うよ。どうする?声でも掛けるか?」
「主催者は君だ。迎えに行くなら君じゃないと話がこじれる。岸上君、行ってくれるか」
「・・・了解」
俺は左目に被さった髪を掻き上げ、眼科で貰った白い眼帯をかけた。
最初はモノムライとか、結膜炎とかすぐに治る病名を言わなければ、この目で怪しまれるかもしれない。
あからさまに死神みたいな顔で行ったら、ビビッて帰ってしまうかもしれない。
そう思ってかけた眼帯だったが、バックミラーで己の顔を見直すと、白い顔が更に白くなって自分でも緊張しているのが分かった。
赤みの強い右目だけがギラギラして死神に相応しい形相だ。
さあ、何て言って声かけよう・・・。
俺がもっとイケメンだったら、きっと軽い感じでナンパして連れて来れるだろうに。
自分の経験値の低さを呪いつつ、俺は車から降りた。
バス停で待ってるかと思いきや、女は呑気に自販機まで歩いて缶コーヒーを買って飲み始めた。
殺す側の俺でもこんなに緊張してんのに、こいつはのんびりコーヒーなんか飲みやがって。
本当に死ぬ覚悟があるんだろうか。
俺はその女の背後から自販機の前に出てくると、缶コーヒーを一本買った。
女はその間、じっと俺から視線を外さない。
俺は確信した。
こいつが自殺志望のウサギだ。
「もしかしてツアー参加者のウサギさん?」
振り向きざまに俺は女に向って話しかけた。
ビクっと体を震わせて、女は俺を見上げる。
真面目そうな、普通の女だった。
何の理由で死にたいのかは分かんないけど、大きな悩みがありそうには見えなかった。
その時、俺は怖気づいた。
こいつを殺したくない。
できれば、このまま帰ってくれ・・・!
「そ、そうです」
「あ、初めまして。俺は死神。ツアー主催者です。時間は少し早いけど、まあ、ここで会っちゃったし、行きましょうか?他の参加者はもう乗って待ってる。後はあなただけだ」
俺はなるべく感じ悪く、無表情で言った。
もしかしたら、俺が嫌になって帰るって言い出すかもしれないって期待したからだ。
「あ、あの、エデンって書いてありましたが、具体的にはどこに行くんですか?」
案の定、女は不安げな表情になって俺に質問を投げかける。
そうだ、俺は悪い男だ。
早く気付いて、さっさと帰りやがれ・・・!
死ぬ覚悟も実はなさそうなこの女を、俺はバカにした顔で見下ろした。
「最終的な行き先はエデン、つまりあの世ですよ。それだけじゃダメですか?それとも、ここにまだ未練がある?」
俺の意地悪な言い草に、女は黙って俯いた。
さっさと諦めて帰れ。
俺の願いは聞こえてないようで、女は返事もしなかったけど、帰ろうともしなかった。
単純な性格なのが、決心が付かずブレている。
「悩んでるなら辞めた方がいい。他の参加者の迷惑になります。刑事事件になることは避けたいのでね。じゃ、俺はこれで・・・」
女が固まったのを見て、俺は捨て台詞を吐くと、くるりと背中を向けて歩き出した。
もう来ないだろう。
でも、根尾には何て言おう。
俺の勧誘悪くて帰ったって言ったら、怒るだろうか。
まあ、縁がなかったってことで・・・。
なんて、考えながら車に向って歩き出した俺の背中に、女の声が響いた。
バタバタと走ってくる足音が響く。
俺はギョっとして、立ち止まった。
「ま、待って下さい!私、行きます!」
多分、その時、俺はすごく感じ悪い顔してたと思う。
このバカ女の襟首をウサギみたいに掴んで、蹴飛ばしてやりたかった。