獲物 1
根尾の妻とその父親に会ったその夜、俺はいつも通り根尾の帰りを待ちながら、ぼんやり自殺サイトを眺めていた。
季節はすっかり夏になっていたけど、スイートルームは完全空調管理されてて、俺は常に快適空間の中で引き篭り生活を続けている。
バイトと言っても、まだ現金支給はされてなかった。
でも、家賃はかからないし、食いモンは根尾やしずかちゃんが調達してくるし、快適なホテルのスイートルームに引き篭ってパソコン見てりゃいいんだから、もう金なんて要らなかった。
あいつらさえ良ければ、このまま俺を囲って欲しいくらいだ。
プライドのない俺は食い繋げれば、ヒモだろうが、奴隷だろうが何でもやってやるのに。
今までそうやってしか生きてこれなかった。
俺みたいな人種は選んでたら、食っていけないのだ。
登録していた派遣会社から、工場の清掃とか、正月休みの正社員の穴埋めみたいな仕事でも、オファーがあれば何でもやった。
次にいつ来るか分からないし、断わったら後がないかもしれない。
提供されたものは、ありがたく享受するのが俺のポリシーだった。
でも、最近になって少しだけ思う。
もしかして、目が治れば俺の生き方も変えることができるんだろうか。
ちゃんと就職して、あいつらみたいに自立して、大事な人を守る為のプライドを持つことができる?
流されるんじゃなくて、自分の意思で人生を決める事ができるようになる?
パソコンの前で呆けてたら、突然ドアが開いて根尾が帰ってきた。
少し疲れた様子で、白い顔が更に青白くなっている。
オールバックにした栗色っぽい髪が額に垂れてて、いつも見慣れてる外人顔が妙に色っぽい。
根尾は俺に気が付くと、力なく笑みを見せた。
「岸上君、ご苦労様。また弁当で悪いんだけど、買ってきたから一緒に食べないか?」
そういって根尾はフラフラとダイニングテーブルにもたれるように、席についた。
いつもは能天気な根尾が、元気がないのは気持ちが悪い。
さすがに俺も少し心配になって、根尾に向かい合って席についた。
お馴染みの海苔弁当を二つと、桃のチューハイを2缶、コンビニのビニール袋から出すと俺の前に並べる。
飲めないクセにアルコールを買ってくるとは珍しい。
根尾は食に対する興味がなくて、毎日弁当でも全く気にならないみたいだ。
金はあるクセに、今までも弁当生活をしてきたんだろう。
正直言えば、俺はかなり飽きていたけど、金を出してないので文句を言う権利はない。
缶をまず手にとって、プルトップを開けながら、根尾は溜息交じりに笑った。
「君も付き合えよ。今日は少し飲みたい気分なんだ」
そこで買ってきたのが桃チューハイか・・・。
物憂げな顔でそう言った根尾はかっこ良かったんだけど、俺は桃チューハイ1缶では酔えない。
でも、桃チューハイ片手に悲劇の主人公を気取っている根尾が少しかわいくなって、俺は苦笑いしながら、同じように缶を開けて根尾の前に掲げた。
乾杯の音頭を取るのが好きな根尾は、少し表情を柔らかくして、缶の縁をコツンと当てる。
グビグビッと一気に飲んで、根尾はハーっと深い溜息をつく。
何か言いたい雰囲気は分かったので、俺は黙ってヤツを観察していた。
物憂げな表情のまま額に手を当てて、やがて、根尾は呻くような低い声で話し出した。
「瑞希を見ただろ? 岸上君」
「・・・見たよ。かわいいじゃん。あんたには若すぎるけど」
「・・・確実に悪くなってる。もう間に合わないかもしれない。移植手術に耐えられる体力がない。手術するなら一刻も早く・・・でも、できなければ、どの道死ぬしかない」
「・・・そう」
「僕は時々、分からなくなるんだ。このまま死なせてあげたほうが楽なんじゃないかってね。必ず治すって約束したけど、治したいのはただの僕の医者としてのプライドで、本当に彼女の事を思ってるのかってさ」
銀縁眼鏡の奥の目が赤くなって潤んでいる。
相当、弱気になってるのは良く分かった。
陳腐な慰めは言いたくなかったけど、俺は少し考えた後、素直に自分の見解を語った。
「・・・あんたは本当に彼女の事、思ってるよ。俺が彼女だったら、あの状態で生き長らえるより一か八かの勝負をしたいと思う。あんたは間違ってない。彼女はあんたの決めた事に同意する筈だ」
そうだ。
そこは間違ってない。
根尾が間違ってるとすれば、他人の臓器を強奪しようという常識外れなハングリー精神ぐらいだ。
俺の言葉を聞いて、根尾は照れたように少し笑った。
桃チューハイのお陰で、白い顔が既に赤くなっている。
これだけで酔えるんだから、安上がりな男だ。
「珍しいな、岸上君が優しい事いうなんて。僕は嫌われてるか思ってた」
「俺は優しいよ。根尾さん、無理して飲まない方がいいよ。今日は寝たら? おい、寝るなよ、ここで・・・」
俺は立ち上がって、既にダイニングテーブルでダラリと溶けかけている根尾の腕をグイっと引き上げた。
促されるまま、根尾は俺に引き摺られてベッドに倒れ込む。
寝転がった根尾の腕が俺を放さないので、仕方なく俺もベッドに横になった。
「岸上君は変ってるよな。よくこんな狂った計画に乗ったと思うよ。僕らは人殺そうって言ってんだよ?」
根尾は自嘲的に言った。
コイツに言われたくなくて、俺も笑って言い返す。
「あんたも変ってるよ。よく俺みたいなどこの馬の骨とも分かんないヤツを誘ったもんだ。しかもさ・・・」
「しかも、何だよ?」
「・・・セックスの趣味も変ってんじゃん?」
根尾は、ああ・・と言ってクスクス笑う。
「君なら受け入れてくれるって確信があったんだよ。誰でも誘う訳じゃない」
「・・・でも、しずかちゃんとは、前からだったんだろ?」
俺は以前から気になっていた事を初めて口にした。
根尾は上を向いて考えた後、そのまま俺の顔は見ないで返事をする。
「静香とは長い付き合いなんだ。彼女が結婚する前、僕らは付き合ってた。彼女の旦那が亡くなってからは、お互い傷を舐めあう関係だよ。もう、愛とかじゃない」
「・・・俺に気を遣わなくてもいいよ。あんたらお似合いだもん」
根尾は体を起こして、俺に覆い被さってきた。
唇が触れ、アルコール混じりの桃の香りがする。
「岸上君、僕らは君が好きなんだ。この関係は嫌か?」
「・・・だから、その関係が変だって」
俺達は低く笑って、お互いを弄り合う。
アルコールのせいで、根尾の緑がかった瞳は透き通ってすごく綺麗だ。
細いけど、骨格のしっかりした体型、長い手足。
これで、常識があればどこに行ってもモテただろうに。
人のシャツの下から、手を差し込みながら、根尾は耳元で囁く。
「正直に言うと、僕は怖い。何もできないまま、瑞希を死なせてしまうのが。僕はあの子を守りたいんだよ。どんな手を使っても・・・」
その声が少し涙声になって、熱い息が俺の首筋にかかる。
俺は根尾の首を両腕でギュっと抱き締めた。
「守ってやれよ。あんたのことは俺が守ってやるからさ」
そのまま俺はくるりと体勢を変えて、根尾の上に被さった。
いつもはされっぱなしだった俺に初めて組み敷かれて、根尾は驚いたように大きな目を更に見開いた。
余裕のある顔がびっくりした子供みたいに固まるのを見て、俺は笑って言った。
「根尾さん、前に俺があんたのこと嫌いかって聞いたよね?」
「・・・ああ」
「俺、嫌いじゃないよ、あんたのこと。俺が守ってやるから弱気になるなよ。あんたは堂々と嫌なヤツでいてくれ」
「・・・僕が嫌なヤツみたいじゃないか」
返事の代わりに俺は笑って、根尾にそっと唇を重ねた。
その時だった。
パソコンから、携帯のメールの着信音みたいなポロロローン・・・という音が部屋に響いた。
俺達は、ギョっとして顔を見合わせたまま硬直した。
それはまぎれもなく、自殺ツアー応募者第一号からのメールを受信した音だった。