楽園 3
「岸上さん、眼帯持ってます?」
しずかちゃんは意味深な笑みを浮かべて、俺に近づいてきた。
手を後ろに組んで、何かを隠している。
イヤな予感がした。
「いつも持ってるけど?普通の眼科で貰う白いヤツ。どうして?」
「もし、嫌じゃなかったら、これ付けて貰えないかしら?」
彼女が持ってきたものは、まさに、海賊ご用達の真っ赤な大きめのバンダナと、黒い眼帯だった。
本気で俺を海賊として紹介する気らしい。
そんな夢のあるしずかちゃんも嫌いじゃなかったけど、これをつけて外を歩くのはさすがに気が引けた。
「いいけど、病院の中に入ってからトイレでつけてもいいだろ?これはさすがに恥ずかしいよ」
「申し訳ないんですけど、外からつけてて欲しいんです。皆、楽しみにしてて、窓から見てるはずだから」
みんな?
娘だけじゃないのか?
不審に思ったけど、プライドは少なめの俺がしずかちゃんのお願いを断わる筈がなかった。
刺青がよく見える様に黒いタンクトップのシャツを着せられ、頭に真っ赤なバンダナを巻いて、黒い眼帯をした俺は、海賊というよりチンピラだった。
肌の白さが何とも情けない。
これで褐色だったら少しはジョニー・デップに見えたかもしれないのに。
昨日会ったレセプションのフロント嬢が、エレベーターから出てきた俺達を見てクスクス笑っている。
しずかちゃんは、フロント嬢にキーを預けて愛想良く会釈した。
しずかちゃんも、このフロント嬢とは顔馴染みみたいな雰囲気だった。
と、いうことは、俺より先にここに来てたんだな。
多分、根尾と一緒に。
ホテルから出て、駐車場を横切って、俺達は500mくらい離れた白い要塞の様な建物に向った。
昨日、来た時は既に日が暮れてたから気が付かなかったけど、ここから見る太平洋は絶景だ。
同じ愛知県でも、内陸で外海に面してない名古屋育ちの俺には、海には特別な思いがあった。
海賊になれるもんなら、なりたいくらいだ。
こんなに広い海に出たら、誰も俺の顔のことなんて気にしないだろう。
病院の中は案外人が少なかった。
こんな海辺の町では患者なんて年寄りばっかりだ。
コスプレした俺が病院の窓口を通ると、中にいる看護婦達が一同ギョっとして目を見張った。
しずかちゃんが慌てて窓口に駆け寄って、彼女達に耳打ちする。
すると一同納得したように、笑みを浮かべて頷くと、何もなかったかのように業務に戻った。
しずかちゃんの娘は5階の子供病棟に入院していた。
目は悪かったけど健康体だった俺は、眼科以外の病院には殆んど行った事がなくて、その病棟に足を踏み入れてショックを受けた。
小さな子供が体に似合わないサイボーグみたいな器具を手足につけて歩き回っている。
部屋の中には、点滴のチューブが体中に張り巡らされた子供がベッドに横になっている。
昔、ばあちゃんが死んだ時もこんな状態だったけど、小さな子供がこんな生活をしているなんて衝撃だった。
しずかちゃんは、その中の一室に入って、手招きして俺を呼んだ。
小さな一人部屋。
海が見える窓際のベッドに俺より白い顔をした小さな女の子が、ちょこんと座ってこっちを見ている。
言われなくても、その顔立ちですぐにしずかちゃんの娘だって分かった。
「詩織、ママがこの前お話した海賊さんが来てくれたわよ。岸上君、娘の詩織です」
「あ、初めまして・・・海賊の岸上です」
詩織ちゃんは、驚愕のあまりに目を大きく見開いたまま硬直してしまった。
しまった。
ゾロですって言えば笑ってくれただろうか?
いや、ここは一つ、ジャック・スパロウですって言うべきだったかな。
ジョン・シルバーって言っても分かんないだろうし。
そうしている内に、病室の入り口には野次馬の子供達がわらわら集まってきた。
皆、最初は怖いもの見たさで押し合いへし合いしてたのが、だんだんと遠慮がなくなって、しまいには部屋の中までなだれ込んできた。
「しずかちゃん、この人がお友達の海賊だよね?海からしずかちゃんがこの人連れてきたの見えたよ!」
「すごい!本当に腕に絵が描いてある」
「ねえ、剣は?」
病気でも、子供は子供だ。
遠慮がない。
子供達に腕や足に絡みつかれて、どうしていいか分からず、立ち尽くしていた。
「みんな! 海賊さん、困ってるでしょ? 順番、順番! 質問がある子は手を上げて!」
しずかちゃんが保育士さながらの大声を上げると、子供達はハーイと言って一瞬沈黙した。
ここで働くしずかちゃんには、こいつら全員、自分の子供みたいなもんなんだろう。
子供達に囲まれたマリア様のようなしずかちゃんに惚れ直した俺は、もう何でもやってあげることに決めた。
「海賊さんの名前は何ですか?」
「岸上ゾロです」
子供達はオオオーと感嘆の声を上げた。
よし、つかみはバッチリだ。
「どうして腕に絵を描いたの?」
「えっと・・・仲間の印さ。海賊は皆やってるんだ」
死体になった時に俺だって分かるようにっていうのも、海賊的にはアリだったかもしれないけど、ガキには刺激が強すぎるので、マンガチックな応答をする。
「どうやったら海賊さんみたいに大きくなれますか?」
「・・・牛乳飲めよ」
それは海賊、関係ないだろう・・・。
俺はベッドで座っている詩織ちゃんをチラリと見た。
大人びた表情の少女は、俺が子供達と話しをしているのをクスクス笑って見つめている。
見かけより、年は上なのかもしれない。
おやつの時間になって、野次馬の子供達が部屋から出て行った後、俺はやっと詩織ちゃんと話をすることができた。
もしかしたら、お父さんになるかもしれないんだから、好印象を与えたいところだ。
「今日は来てくれてありがと。海賊さん」
子供らしからぬ丁寧な言葉で、詩織ちゃんは俺に礼を言った。
「あ、いや、こちらこそマンガ貸して貰ってありがとう」
「面白かったでしょう?あれ、あたしが死んだら全部、海賊さんにあげるよ。まだまだ終わらなさそうだけど。その代わりにお願いがあるの」
ニッコリ笑って詩織ちゃんは俺の手を取った。
冷たい小さな手が、俺の指をギュっと握る。
「あたしが死んだらマンガあげるから。その代わりにママを守ってあげてね。海賊でしょ?」
俺は返事もできなかった。
この子を死なす訳にはいかない。
今までぼんやりとしていた覚悟がこの時初めて、形を持って俺の中に現われた気がした。