儀式 2
俺を乗せた車は、混み合う病院の駐車場を抜け、大通りに出た。
さすがハイブリッド低燃費。
軽自動車みたいなやかましいエンジン音や、ブレる感じがしない。
滑る様に車は街を縫って行く。
車内はマリン系芳香剤の香りで清涼感があり、低い音で俺の聞いたこともないような英語の音楽が鳴っている。
どこまでも厭味なヤツだ。
根尾は、今日は休みなのか黒のポロシャツにスラックスというラフなスタイルで、リラックスした感じだった。
相変わらず白い顔で、ニコニコ笑って俺の肩をポンと叩く。
肌が白いのは俺も負けてはいなかった。
夜型生活に加えて、三ヶ月監禁生活のお陰で俺の日照時間の少なさはハンパでない。
「元気だった? 待たせた上に突然の話で悪かった。実は、僕は転勤になって楽園会グループの別の病院で勤務しているんだ。敷地内にグループが所有するリゾートホテルがあるんだけど、そこを仮の住まいにしている。まあ、住居手当てみたいなもんだよ。君もしばらくそこに一緒にいて、バイトをして欲しい。また拘束される事になるけどね」
「あの・・・それって、俺のこと・・・」
口にするのが憚られて俺は途中で黙った。
俺の不安を先読みしていたらしい根尾は、ハハハと高らかに笑った。
「そう言うと思った。残念ながらそれが目的じゃないんだ。全ては計画に向けての準備なんだよ。ま、君がバイトしたいっていうなら僕は構わないけど?」
「・・・いや、いいです」
その計画の詳細を早く聞きたかったんだけど。
あれこれ詮索するのは気疲れするだけだ。
俺は、成り行きに任せて、こいつについて行くことに決めた。
車は東名高速道路に乗って、静岡方面に向って走って行く。
低燃費の上に抜群の安定感のこの車でドライブするのは気分が良かったけど、一時間もしない内に車は高速を降りた。
そのまま道成りに南下して行くと、街並みはだんだん寂れた田舎の風景に変っていく。
6月の午後6時はまだ夕焼けが綺麗で、俺は何だか旅行に来たみたいにワクワクした。
隣に乗ってるのが、せめてしずかちゃんだったらもっとテンション上がってた筈だ。
俺はそこでハタと気が付いて、根尾に聞いてみる。
「あの、皆本さんはどうしてるんですか?」
「ああ、彼女は最初からそこの病院で働いているんだ。優秀な看護士だから、僕が美容サプリメントの担当になった時に出向して貰う様に要請してたんだよ。彼女の娘さんはそこで入院してるからね」
つまり、今、しずかちゃんが働いてて、その娘が入院している病院で、根尾も働く事になって、同じ敷地内のリゾートホテルに俺達は仮住まいするってことか。
関係者を一所に集めたい根尾の計画が、だんだん輪郭を持ってきた。
とにかく、しずかちゃんに会える日は近い。
俺は少し安心した。
◇◇◇◇
『リゾートホテル パシフィック』と書かれた看板に沿って車は広い敷地内に入った。
日はすっかり暮れて、車を出た途端、初夏の重苦しい湿気が体をムっと包んでくる。
その空気に潮の香りがして、俺は真っ暗な敷地内を見回した。
「気が付いた? この駐車場の向こうは海なんだよ。海水浴もできる。で、向こうに見える建物があるだろう?アレが、僕ら今勤務している病院だ。もうすぐ僕の妻も転院してくる予定になっている。予定通り自殺志願者を集める事ができたら、速やかにあそこで手術を行うことができる。おまけに海に面しているからな」
「・・・だから、何です?」
「適合しなかった遺体の処理は簡単だ。リゾートホテルにクルーザーがあるしね」
覚悟はしていたけど・・・。
リアルな根尾の説明に俺は寒気がして、ヤツの白い顔を見つめた。
俺の視線に気が付いた根尾は、ハハハと笑って俺の肩をポンと叩く。
「まあ、具体的な事は中に入ってからだ。スイートを貸切にしてるからリッチだよ。岸上君は酒飲めるんだっけ?」
「はあ、人並みには」
「じゃ、海を見ながら一杯やろう!僕はカクテルしか飲めないんだけど」
自宅に初めて友達を呼ぶ小学生みたいな無邪気さで、根尾は俺の腕をぐいぐい引っ張ってホテルの中に入って行った。
顔馴染みっぽいホテルのフロント嬢からキーを受け取り、俺達はホテルの最上階までエレベーターで昇った。
根尾が言った通り、確かにここはスイートルームで、長期滞在もできるようにキッチンまでついている。
だだっ広い部屋の窓辺にはキングサイズのベッドが置いてあり、他にベッドらしきものはソファのみだ。
先に口を開いてヤブヘビになるのを恐れた俺は、とりあえずコメントは控えた。
それを除いては申し分ない部屋だ。
四方の窓から太平洋が一望できるし、大人が2、3人滞在しても余りある広さだ。
俺が窓に顔をくっ付けて海を眺めていると、根尾がガラガラ音を立てて、缶ビールやら缶カクテルやら安っぽいコンビニで買ったような酒をビニール袋にそのまま入れて持ってきた。
・・・お金持ちじゃないのか、お前は?
高級ワインでも出てくるかと期待した俺は、心の中で突っ込んで舌打ちした。
ニコニコ機嫌よく笑って、根尾はビニール袋から梅酎ハイを取り出し俺に渡す。
自分はピーチフィズの缶を持って、俺に向って掲げた。
「まずは、再会に乾杯!」
「・・・乾杯」
女子大生かよ・・・。
俺は苦笑して、酎ハイを根尾の缶にコツンを当てた。
この男が下戸なのは間違いない。
きっと俺に付き合う為に、少しでも自分が飲めそうなものを用意しておいたんだろう。
どっか絶対イカれているこの医者を、俺は何故か憎めなかった。
しばらく俺達は無言のまま、窓辺にもたれて眼下に広がる真っ黒い海を眺めていた。
もう、引き返せない。
それだけは俺の頭にズシリと圧し掛かっていた。
「岸上君は、僕が嫌いだろう」
突然、根尾がポツリと言った。
真っ白だったヤツの顔がジュースみたいなピーチフィズの1缶だけで、既に真っ赤になっている。
本物の下戸だ。
俺は呆れて、ヤツの手から缶を奪い取った。
「無理しなくていいですよ。飲めないんでしょ? これでこんなに酔えるって信じられないな」
「まだ酔ってないよ。赤くなるのは体質だ。それより質問に答えてないよ。君は僕のことが嫌いか?」
俺は根尾の真意を量りかねて、黙って首を傾げた。
「・・・あなたは俺の目が珍しいだけでしょう?」
「否定はしない。君の左目が好きだ。それでは理由として不足か?」
自嘲的な薄笑いを浮かべて、根尾は俺の顔を見つめている。
その時ヤツの言いたい事は分かってたし、俺も拒否する理由はなかった。
目でも何でもいい。
俺を求めてくれる人間を、俺はずっと渇望していた。
「・・・バイト代は貰いますけど」
「了解。まずは明瞭会計でいこうか」
根尾は子供みたいにニッコリ笑って俺の体を窓に押し付けると、そっと唇を重ねた。
次回、18禁です。(*^^*)