儀式 1
3か月分のバイト代を手にして、俺は久し振りの自宅アパートに戻った。
バイトしていた病院からそれほど遠くない所にある賃貸ワンルームマンションだ。
俺の実家は名古屋なんだけど、フリーター生活を始めてから俺は家を出た。
昔から両親と折り合いが悪い上、夜働いて朝寝る俺の生活リズムが、年老いた両親には苦痛だったからだ。
男ばっかり三人兄弟の長男だった俺が障害を持ってて、しかも何をやってもイマイチぱっとしなかったので、両親は大いに落胆した。
その代わりに末っ子の弟は、有名私立大学卒業後、大手商社に就職して東京に行ってしまったもんだから、尚更、俺には風当たりがキツイ。
地元志向のこの地方では、東京で働いているというだけで自慢の息子だ。
その兄貴が自宅でウロウロとフリーター生活しているのは岸上家にとって赤っ恥だった。
全国チェーンの不動産会社のワンルームマンションは、敷金礼金0円で、しかも生活に必要な最低限のモノは備え付けてある。
住所不定の俺にピッタリの物件だ。
僅かばかりの衣服しか置いてない俺の部屋は、ガランとしていて生活感がない。
殆んどいないんだから当然か。
こんな調子だから、将来に不安は常に持っていた。
一生、俺はこんな風に仕事を探しながら流れて生きていくのかって。
彼女でもいればこの生活もまた楽しいんだろうけど、そんな奇特な女は今まで現われなかった。
俺の顔が怖いのは、仕方がない。
でも、最近の女はまず安定を求めるらしいから、俺が共済年金なんかに加入してて社会保険に入っていればまた別だっただろう。
俺は国民年金も払ってなくて、保険なんて長い事加入してなかった。
固定収入もなく生活は不安定、顔もこれじゃモテる訳がない。
俺は絶望的な気分になってベッドに倒れ込んだ。
さっき別れたばかりのあの二人の顔が、急に懐かしくなる。
理由は分かっていた。
俺は生まれて初めて、誰かに必要とされて嬉しかったんだ。
◇◇◇◇
根尾から連絡が来たのは、それから一ヶ月後だった。
季節は初夏になっていた。
梅雨に入る頃の、夜は肌寒いけど蒸し暑い、そんな気候だった。
半年くらいは食い繋げる金を貰った俺は、求人誌を眺めながらダラダラと過ごしていた。
求人誌に載ってるアルバイトって接客業が多くて、俺の顔ではとても採用して貰えそうになかった。
この際、お化け屋敷とかサーカスとか見世物系でもいいんだけど・・・なんて自虐的なことまで考えてた矢先、携帯の着信音が響いた。
悪友からのパチンコの誘いかと思って、俺はベッドにゴロ寝の姿勢のまま携帯を耳に当てる。
「はい?」
「岸上君? 久し振りだね。根尾だ」
落ち着いた社会人の男性の声に俺は飛び起きた。
確かに懐かしの根尾の声だ。
「あ、岸上です。お久し振りです」
「待たせてしまってすまない。こちらの準備に手間取っていた。だが、そろそろ例の計画を実行する。君にはこちらに住居を移して貰いたいんだ。長い計画になりそうだからな」
「・・・住居を移す?」
「そう、これからまた長期のバイトをして貰うんだ。家賃勿体無いから、アパート返してしまえよ。いつ帰れるか分からないし」
軽いノリで根尾に言われて俺は焦った。
「ちょっと待って下さいよ。で、俺、どこに住むんですか?」
「僕のマンション。あ、広いから大丈夫だよ。金貰わずに変なことしないから」
なんだ、そりゃ?
俺をヒモとして雇いたいのか?
だとしたら、この男は本物の変態だ。
「岸上君?聞いてる?こっちはもう計画に沿って動き始めている。詳細は会ってからするから、不審に思うかもしれないけど、まずは僕の指示に従って欲しい。いいか? おーい・・・」
俺が黙ったので、ヤツは焦った声で早口にまくし立てた。
俺がここに一人でいてもすることもないし、ただ時間と金が浪費されるだけだ。
根尾の所に居候すれば、家賃は浮くし、ヤツも医者なら食べるモンには困ってないだろう。
時々変な事をされるかもしれないけど、それを差し引いてもオイシイ話だ。
頭の中でチーンと音を立てて、俺の浅はかな計算が終了した。
「分かりました。アパートは返します。その後は?」
「今、僕は転勤になってね。これから君を迎えに行く。夕方5時に君がバイトしたあの病院の駐車場に来てくれ。当座の着替えくらいは持って来いよ」
それだけ言うと、根尾は一方的に携帯を切った。
この部屋を返す・・・。
まあ、大したことじゃない。
月単位で更新しているこのワンルームが無くなったって、俺に困ることは何もなさそうだ。
◇◇◇◇
ヤツの指示通り、俺はその日の内に不動産会社に行って、賃貸契約を解消してきた。
締め日の関係で・・・とか何とか言われて、結局来月分の家賃まで請求されたけど、これはキッチリ根尾に請求してやる。
スポーツバッグに入る限りの着替えを詰め込み、俺は5時に指定された病院の駐車場にやってきた。
午後の診療がまだ終わってないので、駐車場はまだ込み合っていた。
広い駐車場をウロウロ歩き回っていたら、後ろからパッパーとクラクションが鳴らされ、振り返ったら見知らぬシルバーのプリウスがゆっくり徐行してくる。
俺の横でピタっと止まると、助手席のドアが開いて、中から根尾が爽やかな笑顔で笑いかけているのが見えた。
久し振りに見る根尾の笑顔に、俺は何故か安堵した。
「岸上君、ここ駐車できないから急いで乗ってくれ」
後続の車が並んでいるのを見て、俺は慌てて助手席に乗り込んだ。