取引 1
治せないこともない?
聞き捨てならないその台詞に、俺は思わず身を乗り出した。
担当医の根尾は、医者らしからぬブラックな思想とデリカシーの欠片もない横柄な性格を白衣で隠した、俺に言わせりゃただの嫌なヤツだった。
細面の白い顔は案外彫りが深くてちょっと白人系のハーフみたいな顔立ちだ。
自分でキアヌ・リーブスに似てるって言ってただけはある。
病棟の診察室で、ヤツは向かい合って座ってる俺を面白そうに見た後、指で俺の顎をクイっと上げた。
顔を上向きに固定されたまま、ヤツの顔がちょうどキスするような角度で近づいてきて、俺は焦った。
「ちょ、ちょっと、何するんですか?バイトってもしかして・・・?」
俺に体売れって言いたいのか???
慌てる俺を見て、根尾は更に嬉しそうに笑みを見せた。
俺の顔を固定したまま、興味津々な子供みたいな顔で質問する。
「君はそういうバイトもやってんのか?」
「・・・要望があればやりますよ。バイトってそういう事ですか?」
ハッハッハ・・・と根尾はアメリカンコミックみたいな大袈裟なジェスチャーで笑った。
「残念ながら、ちょっと目を診せて貰おうと思っただけだよ。君がバイトしたいって言うなら別だけど?」
根尾は俺の顔を上から覗き込んで、もう片方の手でグイっと左目をこじ開けた。
ヤツのヘラヘラした顔が初めて医者の真剣な表情に変わって、俺は一先ずホッとした。
俺の左目を虫眼鏡で覗いたり、違う角度から覗いたり、本を開いて読んでみたり、しばらく根尾は自分の世界に入って考え込んでいた。
やっと俺の顔から手を離した時、ヤツは医者の顔をしたまま真面目な口調で言った。
「移植すれば治ると思うよ」
無意識に大きな期待をしてしまっていた俺は、その言葉にガクっと肩を落とす。
そんな事は子供の頃から知っている。
誰もくれないから、困ってんじゃないか。
ムカついた俺は立ち上がって、部屋を出ようとした。
「治したくないのか?」
ドアの前まで来た俺の背中にヤツの柔らかい声が追いかけた。
どんだけバカなんだ、この男は・・・。
お前の角膜くれるのかよ?
俺は苛々しながら髪をガリガリ掻いて、ヤツを振り返る。
キアヌ・リーブスみたいな優雅な仕草で、根尾はデスクに肘をつき足を組んでこっちを見ていた。
喋れば一本切れた変人だってすぐ分かるのに、こうやって見ると根尾はインテリの医者にしか見えない。
そのインテリ面でニヤリと笑って、彼は続けた。
「岸上君、まだバイトの話は終わってないけど?」
「・・・もう、からかうの止めて下さい! 俺としたいなら面倒なこと言わずに、先に金くださいよ」
「バイトっていうのはその事じゃない。今やってる美容サプリメントのモニタリングでもない。君の目が治るかもしれない大きな特典のある報酬制のバイトだ」
俺は首を傾げて口を閉じた。
言ってる意味が分からなかったからだ。
「・・・何が言いたいのか分かりません」
「やっぱり興味があるんだろう? 説明しようか」
「・・・・もういいよ!」
ヤツの余裕綽々のまどろっこしい話し方にイライラしだした俺は、クルリと背中を向けてドアに手をかけた。
「待てよ、岸上君。その件について僕は君と真面目に話がしたいんだ。金は払うから話を聞いてくれないか?」
ドアの前で立ち尽くす俺の背中に根尾は近づいてきた。
白いズボンの後ろポケットから財布を出すと、無造作に札を何枚か引き抜き俺に握らせる。
金をくれれば何でもする主義の俺は、ヤツの顔を睨んだ後、握らされた札を鷲掴みにして自分のポケットに捻じ込んだ。
「了解です。これであなたは俺を拘束する権利がある。つまんないボケでも突っ込んであげますよ。話、聞きましょう」
「ありがとう。君は分かりやすいな。当然、拘束時間内なら渡した金額相応の事は要求してもいいんだろ?」
根尾は無邪気な顔で笑って、恐ろしい事を言った。
眉間に皺寄せながら、俺は苦笑いする。
「・・・要望があればね。こっちも大人ですから、それなりに対応しますけど」
「じゃ、要望するよ。僕は支払った金に対して正当な見返りがないと納得できない性格なんだ」
さあ、どうぞと云わんばかりに、根尾は診察室の白いパイプベッドに手を差し出した。