理由 1
露骨にイヤな顔をして、私は死神さんの手を払いのけてから、立ち上がった。
「どうせ暇だから付き合いますよ。死神さんが案内してくれるんですか?」
「もちろん。じゃ、海でも見にいきますか? 名古屋じゃあんまり大きい海って見たことないでしょう?」
私のツンケンした態度に、死神さんは更に面白がって両手を上げて言った。
どうして彼がこんなに絡んでくるのかよく分からないけど、今、ここで一人にされるよりは、こんな男でもいてくれた方が心強かった。
私達はホテルのエントランスを出て、駐車場を縦断してガードレールまで歩いた。
真夏の日差しが強くなって影が短くなっている。
それは太陽が真上に昇っていることを意味していた。
ガードレールを境に砂浜が広がっていて、その向こうは白い波が打ち寄せる大海原だ。
潮風が鼻について、私は思わず深呼吸をした。
どうして海を見ると、テンションが上がってしまうのだろう。
遠足に来た子供のように、私の胸はワクワクしていた。
「浜に出てみようよ」
そう言って、死神さんは長い足でガードレールをヒョイと跨いだ。
彼の背の高さを私は再認識する。
何故なら、私が跨いでもガードレールの上に乗ってしまい、乗り越えることができなかったからだ。
「足、短いなあ」
よろよろとガードレールにしがみついている私に、死神さんは笑いながら暴言を吐く。
自覚はしてるけど、人に言われるほど短くもないはずだ。
「あんたがデカいんでしょ? 人の足なんてほっといてよ!」
「はいはい」
そういいながら、彼はモタモタしている私の腕をグイっと掴んで持ち上げた。
私は何とか、ガードレールを跨いで、砂浜に降りる事ができた。
サンダル履きの素足に熱い砂がかかって気持ちいい。
その時、よろけた私を抱き止める格好で寄り添っている死神さんに気が付いて、私は慌てた。
「あ、ありがとう。もう大丈夫だよ・・・」
「それは良かった」
まだ私の腕を掴んでいる彼の白い手に、何故かドキドキして私は慌てて振り払う。
気を悪くする風でもなく、眼帯の紐で囲われた開いてる方の目を細めて、死神さんは笑った。
影のような最初の不吉な印象はだんだん薄れていった。
子供のような無邪気さがその笑顔にはあった。
波打ち際まで来て座り込むと、私達は寄せては返す波を見つめた。
海なんて、仕事を始めてから来た事ない。
休日出勤もザラだったっため、あの会社に入ってからは友達とも疎遠になっていた。
それはそれで仕方なかったし、仕事が充実してたから不満に思うこともなかった。
が、結局はこれだ。
35歳になって特に何の資格も持たない、無職の人間が有り余る社会に放り出されてしまった私には、今までの充実していた生活さえ、時間の無駄だったと思わざるを得なかった。
今まで何してきたんだろう・・・。
冷たい海水を指で触りながら、私は今までの自分の人生を反芻してみて、暗い気持ちになった。
頑張ってきた今までの時間が、報われなかったことに落胆した。
「なあ、あんたさ、何で死にたいの?」
私の気持ちを聞いていたかのように、死神さんは突然、声を掛けた。
同情するでもない。
好奇心を抑えられない子供みたいなノリだ。
こいつに私の気持ちは分かんないだろうと思いながらも、私はブツブツと話出した。
「・・・会社が潰れちゃって、今まで、失業保険でやってたの。それも終わるし、無職の弟夫婦もいるから家にもいられないし。後は、婚活で知り合ったつまんないチビのメタボ男に二股かけられて、フラれたの。就職も決まらないし、今までの努力とか、時間とか全部無駄だった気がしてさ。
失った時間が多すぎて、やり直すには歳取りすぎてて、もう全部リセットしたくなったんだ・・・。バカでしょ?」
自嘲的に私は薄笑いを浮かべて言った。
死神さんは波を見つめながら、黙って私の話を聞いている。
「気持ちは分かるよ。俺も長いこと仕事してなかったから」
くっだらねえ、と笑われるかと思いきや、死神さんは意外にも真面目な顔で応えた。
私は思わず、彼の顔を見上げる。
「俺、定職就いたことないんだ。今まで工場で短期雇用の仕事しかしたことがない。だから、景気が悪くなってからは速攻クビになって、それから何にもしてないよ。失業保険なんて掛けて貰ってなかったし、厚生年金も入ってなかった。もちろん、彼女なんていないしね。どう?俺の方が酷くない?」
私は、呆気に取られた。
すごい自虐ネタだ。
彼は首を傾げて紅茶色の瞳で私を見つめた。
「どうして定職に就いてないの?」
「就けないんだ。この顔じゃ・・・」
彼は苦笑いして、髪をかきあげた。
左目を覆っている真っ白な眼帯が顕わになる。
「・・・結膜炎だから?」
「それ、信じてたの?有り得ないバカだな、あんた。・・・見ろよ」
慣れた手つきで、死神さんは眼帯を外した。
髪をかきあげた彼の顔を正面から見た私は、思わず息を呑む。
眼帯で覆われていた彼の左目は、スモークガラスのように白濁していた。
右目が赤い紅茶色のコントラストで、白い作り物のような左目が一層引き立って見える。
「死神みたいだろ?だからいつもあだ名は死神。本名が岸上だからな」
面白いだろ?と、ニヤっと笑って彼は言った。