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おまけ

 部屋のドアをノックして、声を掛ける。

 中からの返事は無い。

 いつもの事なので気にせずに、彼女はその部屋へと足を踏み入れた。

 ベッドの上には、本にまみれて眠る彼女の兄の姿がある。

 昨夜もまた懲りずに夜更けまで本を読んでいたらしい。

 眠る兄の胸の上には『数学A』と書かれた本が乗っていた。

 普通に考えれば勉強しようとして睡魔に負けたと思う状態だが、相手は本の虫である兄なのだ。

 おそらくは数学の教科書すら読み物として成立してしまったのだろう。

 兄の読書傾向は、彼女の予想を上回る。

 枕の横には、でかでかとした文字で『リーマンにつ!』と書かれた本がある。

 軽い気持ちでその本を取り上げめくった彼女は、しかしすぐさまその本を閉じた。

 これは兄の胸に乗っている本と同ジャンルのものだ。

 その本の事はすっぱり忘れる事にして、とりあえず手近な本の山のいただきに置く。

 崩れた。

 ばさばさと。

 どうやらぎりぎりのバランスで保たれていたらしい。


「あっちゃあ」


 言ってから、古いな、と自分でも思ったが、幸い兄が起きた気配は無いので、自分が忘れれば問題は解決だ。

 どちらかと云うと、今の騒音でぴくりともしない人間をこれから起こさなければならないと云う事実の方が問題だろう。

 まだ目覚めない兄は放っておいて、ひとまず崩れてしまった本を積み直そうと拾い集める。


『冠婚葬祭・25のマナー』


 とりあえず手に取った本はそんなタイトルだった。

 別に人生の節目について知りたい事があると云う訳ではなく、ただ読むだけなのだろうが。


『残酷童話』

『世界の童話~中東編~』

『せかいのおとぎばなし』

『都市伝説と昔話』

『沙悟浄は河童か?』


 次々と本を拾って積み重ねて行くが、まとまりがあるような無いような、微妙なラインナップだ。

 最近の兄は翻訳ものを読み漁っていたから、これはそれよりも前に読み終えたものだろう。

 翻訳ものの小説は近所の知人から借りているそうだが、その知人が噂の洋館の新住人だと知った時はそれなりに驚いた。

 更にその住人が翻訳家で、仕事柄大量の蔵書があるのだと聞いて、すんなりと納得してしまったが。

 本ある所に兄湧いて出る。それが彼女の認識である。


『サボテンちゃん』

『オルゴールをさがして』

『アキレスとカメ』

『フェルマーの最終定理・完全解答~あなたは理解できますか?~』

『ぼく、かいじゅうになりたい!』


 なぜか山ほどある絵本の中に、明らかに必要とされる理解レベルが高そうな本が紛れている。しかも、異様なまでに分厚い。

 兄の本の山は読み終えたものを積んだだけなので、読んだ順番そのままである事が多い。

 なぜ絵本の合間にそんなものを読もうと思ったのか。

 しかし彼女はその疑問をわずか数瞬で捨て去ると、黙々と本を積み上げる作業を再開した。

 兄の乱読に疑問を持つな。妹として、いつしか学んだ教訓である。

 それから五分程かけて、ようやく全ての本を彼女は積み終えた。

 再び崩してしまわないよう少し離れた壁際に積んだそれを眺めて、彼女は満足気に頷いた。

 そしてようやく、この部屋の主を起こすと云う本来の目的へ取り掛かる。

 少し考えてから、大きく息を吸い込み、近所迷惑にならない範囲での最大音量で声を出す。


「ユカちゃん朝だよ起きてー!」


 一応声は届いたらしく、それまでぴくりともしなかった兄が身じろいで、小さくうめいた。


「さとる、うるさい。あさから」


 それでもまだ完全に覚醒はしていない事が、少し変な言い回しと呂律の回っていない言葉から知れる。

 しばらく眺めていると、もぞもぞと動いてゆっくりとベッドの上で座り込んだ。起きる意思はあるようだ。


「あと、ゆかちゃん言うな」


 まだまだ眠そうな目をしたまま、そんな言葉が追加される。

 それを聞いた彼女は、頭もどうにか回転し始めたらしいと判断した。


「おはよ、ユカにい

「おはよ、サト」


 眠そうに目をこすりながら、朝の挨拶がここでやっと交わされた。

 ゆかりと云う名を持つ兄は「ゆかちゃん」と云う呼び名を嫌がる。

 その気持ちは、同じく「さとる」と云う少々性別に反する名前を持つ彼女にもよく分かる。

 しかし今のように兄の覚醒度を計るのに、ほぼ毎朝使っていたりするが。


「起きたら顔洗ってご飯にしよ」

「んー」


 生返事をしながらも、のろのろとベッドから降りるべく動く兄を黙って見守る。

 ここで兄を部屋に置いて立ち去ると、二度寝される可能性があるからだ。

 床に足を着けた兄は、起き上った際に胸から落ちた教科書を手に取ると、無造作に本の山へと放り投げた。

 その杜撰ずさんな扱いに、だからあんなに簡単に崩れたのかと呆れながらも納得した。

 ドアを開けて廊下へ出て行く兄を見届けて、ようやく彼女も部屋を後にしようとした。

 その時、兄が下敷きにしていたらしい本が視界をかすめ、何気なく焦点が結ばれる。


『同性愛のメカニズム』


 兄の読書傾向は、常に彼女の予想を上回る。

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