前編
「ユカリ君、双子の姉妹とかいたりしませんか?」
「へ?」
それは衣更えが行われたばかりの十月のある日。
新島縁にとって既に日常と化して来た、下校時の寄り道先での事だった。
「確かに双子の妹がいるけど。それドラクルさんに言ったっけ?」
目の前の相手とは、これまで借りた本の感想やらそこから派生した雑学やらばかりを話していた為、家族構成まで話題が及んだ事は無かった筈だ。
「ドラクリエです。先日商店街でユカリ君によく似た少女を見かけたんですよ。ユカリ君に女装癖があるとも思えなかったので、双子なのかなと思いまして」
縁の対面のソファに座って優雅にティーカップを傾けているのは、不気味な噂が絶えないこの洋館を買い取って住み始めた変わり者の、エルネスト・ヴァン・ドラクリエと云う男だ。
白い髪に白い肌と色素をどこかに忘れて来たような容姿をしていて、薄く色の着いた眼鏡を掛けている。
「僕に女装癖があるんだと判断しなかった事には素直にありがとうと言っておくとして。初見で僕と妹を見分ける人ってあんまりいないよ? すごいねドラクエさん」
「ドラクリエです。おや、そうなんですか?」
「小さい頃は親でも見分けがつかなかくて困ったってよく言われたし」
「ああ、それはしようがない事とも言えますよ。幼児と云うのは自我の確立も男女の差異もまだまだですから」
「まあね。僕と妹も、小さい頃はよく入れ替わって遊んでたから、自業自得な面もあるし」
「双子ならではの遊びですね」
双子の幼児ならではの可愛らしい遊び心に、エルネストの目が微笑ましげに細められる。
「今では、もう出来ない遊び方ですね」
「あー、うん。まあ、もうしないけど」
目がうろうろと泳いだ上にどこか歯切れの悪い返事に、エルネストは不思議そうに首を傾げた。
「どうかしたんですか?」
「いや、その。入れ替わったりは、しないけど。間違われはするんだ、未だに」
何故かバツの悪そうな顔でそう告げた縁に対し、エルネストは不可解だと云う顔をする。
「確かに私もすぐには気付きませんでしたけど。ユカリ君は男性にしか見えませんし、妹さんも女性にしか見えませんでしたから、簡単に見分けられるでしょう?」
「メリクリさん……ありがとう」
本当に心から感謝しているようで、しみじみと告げられたその言葉に、エルネストは戸惑うしかなかった。
「ドラクリエです。あの、どうしてお礼を言われたのか、いまいちよく分からないんですが」
縁は少し逡巡する様子を見せたものの、自身のカップの中身をぐいっと飲み干した後、一息に言った。
「ありがとうって言ったのはどう見ても男だって言ってくれた事に対して。そんな事言ってくれたの、ラクリマさんが初めてだよ」
「ドラクリエです。ええと、つまりそれは」
縁が言った事の意味が伝わったらしいエルネストが、ためらいがちながら確認を取ろうとすると、縁は黙って頷いた。
「妹と間違われるなら良い方で、下手すると姉妹に間違えられる」
縁は今年から高校に通っている。
「それ、は」
さすがにフォローする言葉に困った様子のエルネストに、軽めの溜息をひとつ吐き出してから「良いんだけどね」と呟く。
「いい加減慣れてるし。妹が男に間違えられるよりは、とも思うし」
何しろ男女で同じ顔なのだ。
どちらかが本来の性別から離れた容姿になってしまうのは、しようがない事なんだろうと縁は思っている。
「女の子が男子と間違われたらショックが大きいと思うんだよね、やっぱり。だったら、僕が女子に見られてる今の方がマシなのかなって」
ソファの背もたれにぼすんと背を預けた少年は、その姿勢と同じく気の抜けた息を吐いた。
「えーと、その。そうだ。妹さんは、なんと云うお名前なんですか?」
それはとても分かり易い話題転換だった。
しかも話題は妹から離れていない為、成功したとも言えないお粗末なものだ。
だが彼が縁を気遣っての発言である事は、縁にもきちんと伝わっていた。
「さとる。特にひねった漢字じゃないんだけど、何て言えば良いかな。おぼえる、じゃなくて。えーと」
エルネストに初めて名乗った時、彼に「どんな字を書くんですか?」と尋ねられた記憶のある縁は、妹の漢字も口頭で伝えるべく考えた。
「かくごのご、て言って分かる?」
覚悟の悟、つまり「悟」だ。
どれほど日本語を流暢に話していても、エルネストは日本人ではない。
伝わるだろうかと思いつつ、そんな説明が縁の精一杯だったのだが。
「ええ、分かります。孫悟空の悟ですね」
あっさりと理解してみせたエルネストは、更に「部首はりっしんべん、と言いましたっけ?」と、日本人ですら小学校で習ってしまえば後は忘れるだけの者が多いだろう知識を披露してみせた。
「あー、うん。そうなんだけど。て云うか『西遊記』も知ってるんだね」
「有名な作品ですから」
エルネストは、このように謎の知識幅を披露する事時々あった。
最初の頃こそ驚いていた縁だが、最近では慣れたのかエルネストのそう云った発言もあっさりと流す事が多い。
「それにしても、ユカリ君にサトルさん、ですか」
「そう。小さい頃は必ず間違えられたよ。縁ちゃんと悟君だね、て」
「それは仕方のない事でしょうけど、ひょっとして、お二人は低体重で生まれたんでしょうか」
「低体重って云うと、未熟児って事? あー、そう云えばそんな話聞いた事があったような」
産むのに丸一日かかった二人が揃って保育器行きだと聞いた父は、寝ずに待っていた事による疲労も合わさりぶっ倒れてしまったと、以前聞いた事がある。
「何でそう思ったの?」
「逆だからです」
「逆って、名前が?」
それがどう繋がるのかと首を傾げた縁を見て、エルネストは斜め上へと視線をやった。
「確か日本には、子供に異性装をさせると元気に育つと云う考え方があった筈です。発想はこれと同じだと思うんです」
探るような口調である事から、視線が斜め上に向かうのは記憶を掘り起こしたり考えたりする時の癖なのかも知れない。
「ですがあなた方のご両親は、服装ではなく名前を男女逆にした。つまり、服装では安心出来なかった。産まれたばかりの我が子の成長に、強い不安を感じたのではないかと思いまして」
「それが未熟児?」
「ええ。産まれたばかりの赤ん坊と云えば、ぱっと思い付けたのがそのくらいで」
「ふーん」
父が倒れた事を笑い話として教えてくれた母だったが、当時はかなりの心痛に見舞われたのだろう。
彼女が倒れなかったのは、自分がしっかりしなければと云う母性からくる強さだったのかも知れない。
思いがけず父母の愛情の深さを知る事になった縁だった。