63話・おかえり、こどもたち
弟 姉視点です
目が覚めるとまだ馬車の中で、外はすっかり暗くなっていました。
光源が馬車の外に付けられているランプだけなので室内はぼんやり人の顔が見える程度。表情までは解りません。
どうやら、姉は座席の上で丸くなって、隣のボッシュさんの膝枕で眠っているようです。電車の座席より狭いのに、器用ですね。まぁ落ちないように腰に回している誰かさんの手のお陰かもしれませんけど。
砦に辿り着く前に、僕は顔の包帯を外しておきます。包帯って、必要以上に心配されそうでイヤなんですよね。どんだけ鈍臭い姉弟かと思われるのも癪だし。
「まだ覆っといたほうがいいんじゃないか」
寝てると思っていた人に、突然話し掛けられて飛び上がりそうになりました。
声は出さなかったはず。
「痛みはないのか?」
「これ巻いてると顔が痒くなるんですよ。それに、僕だって男ですから、これくらい」
当然こんな世界に、お肌に優しい伸縮性包帯があるわけもないのです。
いつかの誰かさんの台詞を真似ると、軽く吹き出す音が聞こえました。思い出し笑い?何でしょうか。
待っていても、特に何も言わないので流すことにします。
ボッシュさんは膝の上にある姉の頭を、ゆっくり撫でていて、その様子は。
恋人同士というより、猫と飼い主のようで、ほのぼのして見えます。それもべたべたに甘くて「うちのこが1番!」という種類の。
あんまり見るのも悪いような気がして、曇って見えにくい窓を擦って目を凝らすと、見覚えのあるような、無いような。
「もうすぐだ」
僕と同じように外を見たらしく、ボッシュさんが言いました。その声は珍しく、ほっと安心したような響きで、この人も怪我人だし、疲れてたんだな、と思わされました。
実家よりも何もない砦のほうが安心するってちょっとどうかと思いますけど。
「トモ?そろそろ起きられるか?」
優しく姉の名を呼びながら背中を叩くボッシュさん。欝陶しそうに唸って、さらに丸くなっていく姉。本人に言うと怒るけど、やっぱり猫みたいです。
何度かめげずに声を掛けていると、やっと体を起こした姉。なぜか座席に正座して、ぼーっとボッシュさんを見つめています。
「水飲むか?」
皮の水筒を渡して、姉の乱れた髪を整えて、甲斐甲斐しく世話を焼くその姿は、あんまり後輩達に見せない方が良さそうです。
チョコレートより甘い溺愛っぷりに、大混乱が起きる気がしますよ。
○ ○ ○ ○
寒くて退屈な馬車の旅だけど、今回は違った。
まぁ、ずっと寝てただけなんだけど。
眠る前に、ナニか、恥ずかしい事があったような気がするけど。
目が覚めた時はもう日が暮れていて、馬車の中も暗かった。ぼんやり窓の外から入る光に照らされたボッシュさんは、何と言うんだろう、すごく綺麗だった。ずっと見ていたい感じ。
夢かなぁ、と思ってると動きだして、水くれたから自分が起きてると解った。
髪を撫でてくれて、最後にやっぱりちょっと引っ張った。
「あ、明かりが多い」
うっとりしてると、弟が窓の外を指して言うので中断して私も見る。
砦の正面出入口、いつもは必要最低限の明かりしかつけていないのに、今日はとっても明るい。
帰る家に明かりが灯っている安心。
まぁ、なんというか、明かりというか、油を染み込ませた木が燃えてるわけなんだけど。
「かっせん…」
弟から不思議な呟きが聞こえたけど、よく意味が解らないのでそっとしておこうと思う。
大門をくぐると、馬車が停まる前からもう人が寄って来て、先に馬で着いてたアガサさん達と話すのが聞こえてきた。
テンション高いね、ジルさん。雪が降ってこんなに寒い夜に、待っててくれたんだ。
寝起きで動きづらいけど、早く顔が見たくて気が急いた。
「あ、こら!」
思い切り扉を開けて、その勢いで飛び降りる。
後ろからボッシュさん達の慌てる声がしたけど、ほとんど停まってたので転びもしなかった。うん、2階から飛び降りたこともあったし、全然平気。
少し離れた所できゃあきゃあ喜んでいるジルさん達を発見して、私は走る。
にこにこして幸せそうなパイクさんもいるし、クルトを出迎えにセオも来て頭をくっつけて話している。
「ジルさん!」
私が呼ぶと、満面の笑顔でぶんぶん両手を振って、答えてくれた。子供みてぇ。ジルさん可愛い。
「おっかえりー!……痩せたわねっちゃんと食べてたの?」
抱き締められて、第一声がそれって。
ジルさんはそのまま、背中とか腰辺りをさわさわしている。
なんかこれって、家畜の肉付きをチェックしてるおじさんの手つきに似てるんだけど。
それから私の首の包帯に目を止めて、触る寸前まで手を伸ばして、泣き笑いの顔になった。
おっと。
「これ、大袈裟だけど心配しなくていいから」
私は慌てて言ったけど、ジルさんの目にはみるみるうちに涙が溜まって、瞬きすると雫が跳ねた。
「トモ、リョータ」
ジルさんが何か言おうとした時、好き勝手に喋ってる皆の声を抜けて、低い渋い声が聞こえてきた。
大声を出したわけではないのに響いて、皆は口を閉じてその人を迎える。
ラーソン隊長。
群れを率いるライオンのように、どこからどう見ても強そう。ボッシュさんでさえ、横に並ぶとひょろく見える。ボッシュさんはあれかな、ジャガーかな。
ちょっとアホなことを考えていると、呼ばれた弟が隣に来て、隊長は私達の前に軽くしゃがんだ。
グローブみたいな手を伸ばして、私の首と弟の顔をそっと撫でる。
あ、嫌じゃないや。ぞわぞわしない。
「よく戻った。おかえり、こどもたち」
ゆっくり、一言ずつ言われて、思わず目を見開く。
弟が息をのんだ音が聞こえた。
仕事で長期間家を空けることが多かった父上は、休みの日は朝から私達の相手をしてくれた。学校のある日でも、ただいまを言うのがいつもより嬉しかった。
『おかえり、こどもたち』
普段は恥ずかしくて一緒に下校なんてしないけど、駅で待ち合わせてまで揃って帰っていた。
こんな所で。
こんな訳のわからない世界で、同じ言葉で迎えて貰えるなんて、思わなかった。
「ただいま帰りました」
喋ると泣きそうだったから衝動のままにしっかりした首に抱きついて、何とかそれだけは言えた!ラーソンパパは頷くと、優しく背中を叩いてくれる。それから私達の頭をがしがし撫でてから、立ち上がった。
「冷えてしまったな、部屋に戻れ。……イアン、パイク」
む?なぜその2人を呼ぶのかな?
隊長が呼ぶと、さっきまでは居なかったイアンが走ってきて、パイクさんもジルさんから名残惜しそうに離れた。
それを見た隊長は、私達の後ろにいるボッシュさん達に「報告」とだけ声を掛けて、砦内に戻って行ってしまった。
ボッシュさんとマイヤーさん、アガサさんはそれぞれ私達に声を掛けて着いて行ってしまった。ボッシュさんはおまけでほっぺを触って、髪を引っ張ってからだったけど。おとうさんへのハグですよ?
「荷物を運ぶよ」
パイクさんが言うと3人組が馬車に飛び付いて私と弟の荷物を外してくれる。
それから部屋まで、主にクルトが王子様の話をしていた。
「第2王子見たんだけど、ちょっと副隊長っぽかった!リョータと仲良かったよな」
「「すげー!」」
相変わらず軽い。このノリはほっとするよ。
部屋に着くとパイクさんが戸を開けてくれて、中に入ると違和感を感じた。相変わらずもふもふしているロボが真ん中に居座っているのはいいとして。
「ベッドがいっこ無い?」
そして本棚が増えている。弟と顔を見合わせて、パイクさんに視線を移す。
にっこりと爽やかな笑顔で見返して、パイクさんは言った。
「今日からここはリョータの部屋だよ」
もうちょっと説明を聞こうと思ったら、弟の荷物を置いたイアンに腕を引っ張られた。
「はいはい、じゃあ次!」
何故かイアンと腕を組んで廊下を歩いて、2階に上がった。
「ここは隣が文官のおばさんで、反対が外騎士のお姉さん」
その紹介は本人が聞いたら怒ると思う。
戸を開けて私を部屋に入れたイアンは、誉められるのを待つ犬みたいな目で私をじっと見ている。
私の部屋は、暖色系でまとめられている。カーテンのワインレッドが特に綺麗で気に入った。
置いてある椅子なんかも、背もたれに模様を掘ってあって、全体的に女の子らしくて可愛い。
「トモが履いてた靴、こんな色だったろ」
「椅子はイアンが造ったんだぜ」
「すごいですよ、イアン!売り物みたい」
見に来ていた弟も、興奮して色々見て回っている。小さな机には、この世界では高級品の手鏡もあった。
私はなんかもうさっきから涙腺がゆるくて、鼻水まで出そうだった。
「ありがと!」
ぎゅっとイアンにハグすると、俺も俺もと寄って来て皆にした。
感謝してもし足りない。
おとうさんを手に入れて、おにいちゃん達を手に入れて、恋人を手に入れて、自分の部屋も手に入れた。
部屋に独りでも、寂しくなんかないよ。
父上や爺ちゃん婆ちゃんは元気かな。少しでも、笑えてたらいいんだけど。
「よかったね、トモ」
弟の目も、少し赤くなっている。
3人組とパイクさんは、悪戯大成功の時より嬉しそうに笑い合っている。
笑顔が絶えない家って、理想的じゃない?
今年ラスト投稿でございます。
読んで下さった皆さん、ありがとうございました。
来年も、トモとリョータの行き当たりばったりな異世界生活をよろしくお願いいたします。
よいお年を。