10・痴漢退治は正義です
弟 ジル 姉 弟の順に視点変更です
昼食前の穏やかな時間。
仕事にも慣れて、今日のメニューは何かな〜とか、今日のジルさん狙い御一行様は誰がどう出てくるかな、とか予測しながら井戸で水を汲みます。もふ達の飲み水1日2回。
初めはツルベ?がうまく扱えずに少しずつしか汲めなかったのが、大分上達しました。が、面倒なのでポンプについてケラーさんに構造を解るところだけ説明しておいたので、いつかきっと実現するでしょう。鍛冶屋さんが頑張れば。
冬に近付き水が冷たいのでこぼさないように気を付けて大きなボウルに移していると、なんだか砦が騒つき始めました。
「リョータ!それは置いといて、食堂に行け」
少し慌てたようにボッシュさんが早足で通り過ぎながら言いました。他にも3人の騎士。この人が慌てるなんてヤバい事態に違いないです!
「何があったんですか?」
「囚人が2人逃げた。食堂の奴らと中で待機!」
振り向かずに、最後は怒鳴るようにして行ってしまいました。囚人て。そんなのいたんだ。凶悪犯?
とりあえず走ります!
「トモ!居ますかっ?!」
ぜぇぜぇしながら着くと、奥からコックのおじさんが出てきました。何のんびりしてるんですか?
「どうかしたのか?ジルと裏で卵回収してるよ」
あ〜もう間が悪いなぁ。
囚人のことを伝えようとしたら、緑ジャケットの騎士が走り込んできました。
この人に説明は任せましょう。裏に急ぎます。
○ ○ ○ ○
今日も寒いけど、天気がよいので鳥も元気。籠を持ってトモと一緒にあちこちの卵を回収中!
砦全員分はないので、卵は療養食に使われる。元気な人は肉食べりゃいいもの。
トモは弟と違って生きものが苦手らしく、いつもびくびくしながら集めている。その姿はなんかこぅかわいくて、普段より格段に弱々しくて、男共がいつも嫌がっていた卵集めに行きたがる。
でも。
リョータに頼まれてるので阻止。色んな情報と交換でね。どうしてあの子は騎士さん達の恋愛事情に詳しいのかな。おかげで数少ない女性陣は話のネタに事欠かない。
ちょっと思い出し笑いなぞしていると、リョータの姿が目に入った。
「あら、どうしたの?心配で見に来た?」
「違います!砦から、囚人が逃げ出したので、取りあえず、食堂内で、待機しろって」
走って来てくれたのか、肩で息をしながら言う。
なんてこと。
私達はすぐに戻ることにした。
「女ぁっ!止まれ!」
「ぅわ?!」
低い声と小さな悲鳴、続いて何かが倒れる音。
ぎょっとして後ろを振り向くと、息も絶え絶えで後ろから来ていたはずのリョータが地面に倒され、彼の背をまたいで立ち、首に手を掛けた状態のみすぼらしい男。
ぼさぼさの髪、伸びた髭、簡素な茶色いシャツとズボン、裸足・・・囚人!!
どうしようどうしようどうしよう??というかリョータよ?男の子よねぇ?どうしよう!
「動くなよ、お前等は人質だ。・・・お楽しみもな」
そう言って気持ち悪い笑い声をあげて、倒れているリョータを引き起こそうとする男。それを、地を這うような恐ろしい声が遮った。
「リョータを離せこの変態野郎」
抑揚のないその声がトモから聞こえた、と思った時には彼女はすごい勢いで走っていて、その勢いのまま男を蹴った。
弧を描いたトモの細い足はきれいにその爪先が男のおしりの、そうね、ちょうど真ん中にめり込んだわ!
男は何かまた気持ち悪い声をあげて飛び上がり、その隙にリョータが転がって逃げたので、私は駆け寄って抱き起こした。
「しっかりして、もう大丈夫よ」
どこか殴られたのか、顔をしかめてひどく青ざめている。
「僕、は平気。それよりトモを・・・」
そうだ!勇気ある行動でリョータは助かったけど、今度はトモが危険じゃない?
「だ、誰かーっ!囚人がいましたよー!」
とりあえず大声をあげてみる。早く誰か来て!
リョータが何か呟いたのと男が罵声をあげたのはほぼ同時だった。聞くに堪えない台詞を言って、トモに掴み掛かる男。あぁもう間に合わない、と思った。
「ぐえっ」
男が伸ばした手をなぜかトモが掴んで動いたと思ったら、男の体は地面に叩きつけられた!
はい?
○ ○ ○ ○
ジルさんと卵集めをしてたら弟がやって来て、囚人が逃げたから、と避難していたら。
弟が捕まった。
地面に押し倒されている?ド変態か!ゲイに偏見はないけどそれは合意の上の場合だっ!いきなり襲うやつがあるか!
とりあえずスチール入りのトゥーキックをかましてみた。サッカーの要領で。
「この、小娘が・・・」
しぶとく立ち上がって今度は私に襲い掛かってきた。
腕をのばして走ってきたその姿はゾンビか。
変な突っ込みが浮かんだけど、とっさに手首をつかめた。
「ぐえっ」
小手返し。うわー当然だけど初めて実戦で決まった。試合でもこんなに綺麗にできたことない。
「ぐ、このぉ」
受け身もしてないのにまだ動く。怖い。というか不愉快。弟とジルさんを守らねば。
ダメージの残ってるうちにね。
○ ○ ○ ○
息苦しくて何が何だか解らないうちに、横からすごい力で突き倒され、どうやら女に間違えられて襲われたようだ、と理解した時には解放されてました。
「しっかり!」
ジルさんの必死な声。
助けを呼ぶ声。
いや、それよりも、そろそろトモを止めたほうがいいんですけど、と言いたいのに声が出ませんでした。
首を絞めたからですよ。
あなたがひどい目にあうのは自業自得です。
さっきまで不愉快なほど強気で邪悪だった囚人は、今や姉の足元で哀れな悲鳴をあげています。
確かこんな仏像?見たことあります。
「これは・・・一体」
ガチャッという音で、いつの間にか騎士が駆け付けていたのに気付きました。
いつから見てたのかな?
ボッシュさんが傍に跪いて僕に手を伸ばして起こしてくれます。ジルさんから離したいだけかもしれませんが。
「怪我したのか?」
「頭打っただけです」
囚人を騎士に引き渡してこっちに来た姉を、ジルさんはうっとりと見つめ、ボッシュさんはこれまた珍しく真面目な顔で見ています。
「トモ、俺にはあいつをお前が投げ飛ばしたように見えたんだが」
「そうよ、すごく格好よかったわ!」
「あ、はい。うまくいきました」
しれっとした表情で返す姉に、ボッシュさんは苦笑しました。
ちょっとボッシュさん姉に鞍替えするんじゃないでしょうね?
「あ〜、あんまりやり過ぎるな。お前まで怪我したらどうする」
「痴漢は退治しなきゃ。あぁいうのは再犯するっていうし」
真顔で言う姉にボッシュさんは黙り、ジルさんは激しく頷きます。
「そうよね!ちょんぎってやればよかったわね!破廉恥な上にリョータを女の子と勘違いしたんですよ!」
ジルさんは言わなくていいことまで言ってしまいました。ちらりとボッシュさんの視線が刺さります。あ〜やだやだ。
「女って・・・」
周りの騎士から、僕の心情とシンクロしたかのような呟きがもれ、姉はしゃがんで僕の頭にぽん、と手をのせました。
手当てを受けて、いつもより遅くなった食事中に、もう一人の囚人は逃げてすぐあっさり捕まっていたと聞きました。
あの事件のせいで姉が益々目立ってしまいました。
どうしましょう。
ぐだぐだになりました。
姉が蹴を入れるシーンが浮かんだのでできた話です。
二人ともドクターマーチンのブーツです。硬いです。リョータは鉄板無し。