#蒼依サイド #六歩目
湯船に肩まで沈めると、ちょっと熱めのお湯が私を包む。昔は鼻の先まで湯面につけてぶくぶくしてたけど、今はあまりやらないようにしてる。
ふう、とゆっくり息を吐いた。湯気が頬に集まって、瞼にも水滴がつきそうなくらいに、お湯に深くつかる癖は変わってなかった。
「変な夢の話、春樹にしちゃった」
口に出した瞬間、あの景色が戻ってきたみたいで——月の光と、荒い波と、動かせない足。怖いのに綺麗な月から、どうしても逃げたくなる。
私はさざなみを立てるように手を動かしてみる。水面が揺れると、お湯の中の私がぼやけていく。
「夢の中の私って、私じゃないみたいで怖い」
足を伸ばしながら、浮かぶようにして、身体の力を抜いていく。何だかお湯の中を漂うみたいに、私という感覚が薄くなっていった。
「春樹はロバに舐められちゃうんだって。ふふっ、なんかあいつらしいかも」
笑ってた春樹の顔を思い出しながら、お湯をゆっくりとすくって、肩にかける。
私の皮膚をすべり落ちてから、湯船にもどっていくと、湯気とお湯になって、何も分からなくなってしまった。
「……最近の春樹、ちょっと優しくなった気がする」
胸の奥が、じわじわと変な熱を持っていく。
多分、お風呂のせいなんかじゃない。それくらい分かってる。
「春樹、今何してるのかな。また変な夢見てるのかも」
「それともあいつも、今の私みたいに……」
急に恥ずかしくなって、思わず鼻まで沈めてしまった。もう良い。存分にぶくぶくさせてから、私は足の先をじっと見つめていた。
「最近の私、こんなことばっかり考えてる……」
試練って言葉を聞くだけで、スマホが震えるだけで、何かに期待している。
そんなの馬鹿みたい。ポイントなんか、ただのゲームでしかないはずなのに。
「なんで、もっと素直になれないのかな」
お湯の中で膝を抱えた。
しばらく水面から出ていた肩がちょっと寒い。冷たさが現実に戻してしまうようで、私はまた深くお湯につかっていた。
「……私、何が怖いんだろ」
変わるのが怖い。
でも、変わらないのも嫌。
勝ちたいし、負けたくない。
「嫌々ばっかり。いつもごめんね、春樹……」
どっちだって良いじゃんって分かってるのに、上手く出来ない自分が、ちょっと嫌になる。
「そろそろお風呂出なきゃ。数学の課題も出てるし」
でも、今はまだ上がりたくなかった。湯気の中でも曇らないあの鏡が、きっと私の顔をそのまま映してしまうから。
「……もう、いいでしょ」
小さく口に出してみる。
いつもの合図。いつも通りに戻る言葉。
でも浴室の中では、そんなのただの残響にしかならない。
「私なのに、私じゃないみたい。それはあの夢の感覚と同じ——」
お湯を片手ですくう。手のひらからそれを戻すと、水面はゆっくりと揺れて、周辺に波がたっていく。
さざなみの下にあるぼんやりとした私の身体は、今ならはっきりと動かせる。
「今日は、幸せな夢を見たいかも」
幸せという言葉に恥ずかしくなって、私は鼻先まで、またお湯に沈んでいた。
ぶくぶく、と泡が上がってきた。浮かんでは消えていく泡を見ていると、素直になれない私を実感させられるようで、ちょっとだけ悲しくなる。
"ブクマ"の偉大さを再確認する時、その偉大さは決して与えられたものではないということが判る。"ブクマ"は、決して近道でも安易なものでもなかった。それは、"この作品の作者"―仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びのみを欲するような―のための道ではなかった。むしろ、"人気者"のためのものであった―中には名を成した人々もいたが、多くはどんな仕事をしているのかも知られていない者達であり、彼らが長く険しい道を歩んだ末に、我々を次なる"ブクマ"へと導いてくれたのである。
『Yes, We Bookmark.』
バラク・"ブクマ"(1961-)




