第六話
家に帰ってシャワーを浴びた瞬間、身体の疲れが一気に出た。
それなのに、頭だけはやたら冴えている。
ひよりの接し方。
澪の静かな独占欲。
お化け屋敷の暗闇で掴まれた腕の熱。
(白雪……あんな表情するんだな)
学校で見せる澪とは違った。
落ち着いてて、丁寧で、静かで——
でもその奥に、ずっと隠していた感情があった。
スマホが震えた。
画面には——
「白雪澪」
開くと、丁寧な一文。
『今日は、ありがとうございました。すごく楽しかったです。』
らしい文面だ。
けど、その数秒後に来た文は違った。
『……少し、寂しかった。』
(寂しい?)
理由を打とうとした瞬間、また届く。
『隣……取られそうで。』
なるほど、と思った。
(白雪は、そう感じてたんだな)
俺は少し間を空けて返す。
『気にしてたのか?』
すぐ既読。
『ううん。気にしてないつもりだったんだけど……』
『黒川くんが誰かの隣にいるの、見たら……胸がぎゅってして。』
(重い、って言葉を自覚してる言い方だな)
でも、それを責める気にはならない。
『まあ……白雪がそう感じたなら、そうなんだろ。』
事実だけを返す。
肯定でも否定でもない、中間の答え。
数秒後。
『黒川くんは……嫌じゃなかった?』
『私が隣にいたこと』
急に核心を突く言葉だった。
(……嫌じゃなかったけど)
でもそれをそのまま言うのは違う。
なんとなく、まだ早い気がした。
だから、曖昧な答え方をしてしまった。
『別に普通だったよ。』
澪から返ってきた文は、短かった。
『……そっか。よかった。』
そのあとに続いた文は、少しだけ熱を帯びていた。
『でもね』
『普通って言葉、黒川くんに言われると……ずるい。』
(ずるい?)
返す前に、さらに来た。
『普通って言われたら、期待しちゃう。だって、普通に隣にいたいって私だけが思っていることじゃないんだって……。』
(いや、それは……)
返そうとしたとき——
『……ひよりさんに、手首触られたとき』
『あれ、すごく嫌だった。』
その言葉に、俺は少し固まった。
否定の言葉は出ない。
だから、正直に返す。
『あれは別に、意味はねえよ。』
『ひよりが距離近いのはいつものことだし。』
ここまでが限界だった。
その答えを読んだ澪は——
ほんの少しだけ沈黙して、こう送ってきた。
『……そっか。分かった。』
『じゃあ、ね』
『私は 隣にいたいって、思い続けるから。
勝手に、だけど。』
長文ではないのに、重さがある。
その頃——
澪はスマホを置いて、そっと机の引き出しを開けた。
薄いノートが一冊、新しく入っている。
タイトルは小さな文字で書かれていた。
「観察ノート2」
澪はゆっくりページを開き、丁寧にペンを置いた。
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《4月13日 遠足》
□ 黒川くんは「気にしてたのか?」と聞いてくれた。
問い返すのは、拒絶じゃない。
“確かめようとしてくれた”証拠。
□ 「普通に隣に来るのは白雪っぽいし」と言われた。
→ “許可”ではないけど、“拒否”ではなかった。
→ この距離は少しずつ広げられる。
□ ひよりさんに手を触られたとき、黒川くんはほんの少し眉を動かした。
→ 嫌ではないけど、しっくりもしてなかった。
覚えておく。
□ お化け屋敷の中で、黒川くんは私を振りほどかなかった。
→ 無意識でも、距離は許してくれる。
□ 私と話すとき、声のトーンが半音だけ柔らかくなる。
→ 探る必要あり。
□ 今日、初めて“少しだけ不安”を伝えられた。
黒川くんはそれを否定しなかった。
□ 次は——
“普通”じゃなくて、“白雪だから”って思ってもらえる距離まで近づきたい。
□ そのために、もっと丁寧に観察する。
焦らず、少しずつ。
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澪は最後の行を書き終えると、ページを静かに撫でた。
その表情には、安堵と、熱と、静かな決意があった。
——夜は落ち着いているのに、
澪の心だけは、確かに温度が上がり続けていた。




