取り引き
あんなことがあった日から数日経って、授業中を除いて極力教室にいる事を避けつつ、一茶に話しかける隙を与えない様に振る舞っていた千詠は、放課後の図書室で今日1日の行動を、いつものように反芻していた。
こないだは酷い目にあった。もっと気をつけないと。
まだドラマ撮影は続いているらしいが、生徒の進入禁止が出ていない図書室は流石に配慮されてるだろう。しばらくは大人しくここで時間を潰すか。幸いあれから、誰からも接触はない事だし。
千詠が1人で勉強しているフリをしていると、5〜6人のクラスメイト達が入ってきて、千詠に気づいて同じ島に座りだした。
なんで? 放課後に来る子達だっけ?
ここで席を立ったら不自然?
しばらくしたら、アラームを鳴らしていつもの様に退室しよう。
時間的にはまだ厳しいけど、もう仕方ない。バイト先には早めに着くけど。
胃の腑のドギマギを悟られない様に、息を殺して視線を合わせず、隣の女生徒に意識だけ向けると、昨日見たドラマや歌番組の話で盛り上がっている。大丈夫。こちらに気づいている様子は、と、突然話を振られた。
「ねえ? 蒼井さんはどんなのがタイプなの?」
(小学生の時流行ってたよね〜)
「へ?」
「今、来てんじゃん? ジュエル。あ、元ジュエル? 3人の中で誰が好きだった?」
(蒼井さんって確か彼氏いたよね? どんな人なんだろう?)
「え?」
「灰塚と桃井だっけ? どうせならそっちが来て欲しかったんだけど」
(なんか年上と付き合ってるとか噂されてるよね)
「ドラマでしょ? 俳優やってんの赤西だけじゃん」
(おじさんと一緒にいるとこ見たって言われてるよね)
あぁ、なんで女子って話の展開が速いんだろう?
おじさん? 誰の事? ジュエル? 何について答えればいいの?
千詠が答えに困窮して、タイミングを逃しまくっているうちに、どんどん会話が進んでいく。
「そのうち歌ロケとかもあるじゃん?」
(そう言えば、灰塚に一時期ハマってたなぁ)
「それで言ったら、マリルのメイトの方が良くない?」
(メイトも年サバ読んでそう)
「ないわぁもうオワコンじゃん」
「ジュエルなんておじさんじゃん」
「オワコンどころか終わってる」
(ゴリゴリのドルオタとかいまさら言えないわぁ)
「何歳だっけ?」
(うわっコイツ祭壇に祭るレベルのくせに)
「オジ専とかウケる〜」
(蒼井さんって社会人の彼氏いるんだよね?)
「ジュエルってウチらと10も違わないんじゃないっけ? ねぇ?」
「待って、ググる」
ウグゥ辛い。会話についていけない。全然なんて答えたら良いかわかんない。そもそも何を質問されているのかわからない。もう口に出していることか、考えているだけのことかすらわからなくなってきた。
どうしよう。なにか、何か言わなきゃっなにかっ。
呼吸が不自然になっている気がする。今自分はどんな顔してるんだろう?
ギッ!!
千詠は耐え切れずに、思わず音を立てて椅子を引いてしまった。
「ねぇもう放課後だよね〜少しお話聞いても良い〜?」
勉強中だった? みんな真面目だね。と、突然現れた赤西は、千詠に背を向けるように、隣の生徒と距離をとるように間に入ると、チャラい口調で皆に微笑みかけた。
「え、赤西透? 25才だって、本物!?」
「ヤバい! 芸能人ヤバい!」
「全然カッコいいじゃん!?」
気づいた周りの生徒達も、ザワザワと赤西に興味を示す。
「今ぁ、女子高生の先生役でロケしてるんだけど、女子高生の知り合いいないから妹の気持ちが全然わかんなくて、あ、高校生の妹いる設定なのね。でぇ、今何が流行ってるかとか、何して遊んでんのとかぁ、教えてくんないデスカ?」
ヒソヒソと身を寄せて、女生徒達に顔を寄せ、囁くような声を出す。
ここは図書室。大声で話をするものなどいないのだ。皆自然と距離が近くなる。
さすが元アイドル。芸能人の鏡とも言うべき笑顔で人をたらし込む。
その所作に振る舞いに、先ほどまでの『自分達は興味無いです』ってなスタンスも忘れて、皆一様にイチコロだった。
息を整えた千詠はその隙に、素早く退室の準備を済ますと、気配を消しつつ席を立つ。
と、リュックを持つ手をガシっと掴まれ、血の気が凍る。
「なるほどぉありがとね〜参考にさせてもらうね? ドラマも見てね?」
皆に礼を述べつつ、千詠と一緒に赤西も席を立つ。
それまで話していた女生徒達は ギョッとしてその握られた手を凝視した。
「チョミ♡ 待たしてごめんね? 一緒に帰ろ?」
そう言って千詠の肩を抱くと「ありがとね〜」と、女生徒達に手を振って投げキッスを飛ばしながら図書室を後にした。
千詠が気づいた時は、校舎から出た後だった。
「・・・はっ!?」
「あ、気づいた? 大丈夫? 元気? 水飲む?」
目の前にペットボトルを差し出される。
「え? な? なんで?」
「ずっと探していたんだよ。君、ヨミちゃんでしょ?」
狼狽える千詠に、赤西は最大級のアイドルスマイルを浴びせかける。
顔が良い。
光を放ったような胡散臭い笑顔に、千詠は目を細める。
「チョミちゃんってさぁ、人の考えてる事わかる人だよねぇ?」
ビクリ! 千詠の体が跳ねる。
「しかも、相手の行動、コントロールできたりするでしょ? 俺、こないだの見ちゃった」
何を? みてた? どうしよう、どうしようっ!?
千詠はいつもの様に、赤西の思考を読もうとするが、何を考えているの全く読み取ることができない。
どうして?
目を合わせて、その奥深くに潜り込もうと集中する。が、何も見えない。何も、聞こえない。こんな事は初めてだ。
「黙っててあげるから、俺のお願い聞いてくれない」
「えっ!?」
そうして身を寄せると ヒソリ と囁くように言った。
「バレたら大変だよね? 人の心を勝手に覗き見してるなんて、クラスメイトにバレたら、今まで通りではいられないものね。周りの人に奇異の目で見られるならまだしも、良くて実験室行きだ。軟禁? 監禁? モルモット?」
そう口に出し、ニコニコと全く笑っていない目を向けられながら、千詠はその笑顔に恐怖する。
ナニ、この人、何考えてるかわからない。怖い。何を要求されるんだろう。
「俺さぁ女子高生に知り合いが居ないんだけど、女子高生の生態が知りたいわけよ」
え、なに? この人は何を言っているんだ?
「マネージャーにも言われてるんだけど、俺、人の心が全くわからない系のヒトなのよ」
役作りとかすごく困ってて。そう言って、赤西はつらつらと役者の苦労を話し出した。
「だから、ちょ〜っと話し相手になってくれるだけで良いんだけど、他の人が何考えてるか教えてくれない?」
え、それが願い? 愚痴を聞いて欲しいの? なに? 話するだけで良いの? って言うか、どうしてこの人といると何も聞こえてこないんだろう?
キョロキョロと周りを見回すと、そう離れても居ない場所にも人はいる。それなのに、一切他人の思考が流れ込んでこない。
この人に集中しすぎているせい? この人、何も考えてない系の人?
「あれ? なんか失礼な事考えてる? チョミちゃん顔に出やすいって言われない?」
「えっ!?」
なんだろう。この人といると、凄く、凄く静か。
この人の声しか聞こえない。こんな事は初めて?
いや、この感覚、子供の時、もっとずっと昔? お父さんといる時も、そうだったような。
赤西はずっとその口を動かし何やらを話しているが、千詠は自分の思考に集中する。
対面での会話中に別の事を考える余裕ができるなんて、こんな風に“昔の事”を思い出すなんて。
どうゆう事だろう?
まさかこの人、お父さん? いやそんなわけないっ自分の思考が信じられない。落ち着け。落ち着け。
え、あれ!? まさか、今私、この人とは、普通に会話ができてる?
「・・・ねぇ聞いてる?」
「え!? あ、はいっ」
ぼんやりと、顔を見つめていた千詠に、赤西はさらに自分の話を続ける。
「俺ね今回、スクールカウンセラーとして学校に潜り込む犯人役なの。だからなんでも相談して?」
さっき、困ってたでしょ? 赤西はそう言って千詠の顔を覗き込んだ。
「・・・犯人?」
「そう。5人殺す。あ、6人か?」
スクールカウンセラーとは言え、それは相談してはダメな大人ではないか? と、千詠はとうとう フフ と笑っってしまった。
赤西はニンマリとして、手を伸ばし、千詠の髪をかきあげる。
「髪を、あげたら良いのに」
赤西の手から、逃れる様に距離を取ると「そんなにジッと人の顔みるのに、見えずらいでしょ?」そう言われて、千詠は、初めて自分が赤西の顔を直視していた事に気がつき赤面した。
「チョミ顔ちっちゃい。マネージャーも言ってたんだけど、ねぇ芸能界に興味ない?」
「んなっ無いです!」
無理無理無理無理! あんな事があったのにまたあんな怖いところに行くなんて
「そうだよね、あんな事あったもんね?」
え、口に出てた!?
千詠が自分の口を押さえて、目を見開く。
「ブフッ、チョミ、覚えてる? あの時、俺が聞いた事。俺の本当の名前」
そう言われて、思い出した。この人の本当の名前は『白鳥優羽』確か、お母さんを探しているんだった?
「フフッ チョミ、分かりやすい」
だから、ね。そう言って赤西はその口の端をニンマリと上げた。
「超能力者なのは黙っててあげるから俺の役にたって? 蒼井千詠」
ウグゥ! バレていたんだ。あの時から。
咄嗟に距離を取った千詠を引き寄せ、赤西が耳元で囁いた。
「刑法224条違法、未成年者略取」
「何やってんだよオッサンっその子から離れろっ」
突然目の前に現れた茜と、息を切らせた一茶が声をかけてきた。
「うあぁっ!?」
めんどくさいことになった。千詠が思わず声をあげると「ブハッ」と赤西が噴き出す様に笑った。
「あぁなんか、勘違いしてる? 俺達元々こうゆう関係なんだけど?」
そう言って、赤西は千詠を抱き寄せその頭に頬擦りしながら、立ち塞がる2人に流し目を向けた。
「刑法176条違法、不同意わいせつ罪追加」
動揺する一茶とは正反対に、眉一つ動かさず腕組みしながら茜が言い放つ。
「違うよ。こう見えてチョミは身持ちが硬いから、俺らは至って清い関係。俺もカノジョが大人になるまで待てる男」
こう見えて? 千詠が真顔に戻ると「お互い子供の頃からの付き合いだ」と、赤西は悪びれもせずさらに頬を擦り付けた。
「・・・本当? 蒼井さん?」
茜の追求に、千詠は、ウンウン。と、頷きながらその身を離す。
千詠の答えに満足した様に、赤西はニンマリとその笑みを向け「俺らのことは内緒にしてね?」と一茶に目線を移すと、赤西は、名残惜しそうに千詠の手を握り、そっとマネージャーの名刺を手渡した。
「邪魔が入ったから今日はこの辺で。家に着いたら“いつもの様に”連絡して?」
ヒラヒラと手を振りながら校舎に戻っていく赤西を3人で見送って、残された千詠はこの2人にどう言い訳するか、必死に考えを巡らせていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「・・・具体的には何をすれば良いんですか?」
「何って言うか、ただそばにいてくれれば良いんだけど、ほら、こないだ、一緒に寝てた時みたいに」
人聞きが悪い。
数日間、メッセでやり取りされたそれは、まるで恋人同士のやり取りの様な言葉の羅列になっていて、千詠は眩暈がしていた。
あの後、名刺に書かれていたアドレスにメッセージを送ると、即座に赤西から返信が来た。
お互いリアルタイムでのやり取りに時間が取れず、数日経って今。と言うところだった。
「俺ね、知っての通り落ち目の俳優やってるんだけど、人の気持ちがわかんないから今後の仕事に行き詰まってたの」
何か返信しようと、文字を打っては消し、打っては消しを繰り返す千詠のスマホ画面に、容赦なく赤西は話を続ける。
「そこにこないだのドラマが出来が良いときて、それなりにオファーが殺到してね」
と、ここからやっと仕事の話になるのだろう。
「マネージャーには了解を得てるし、そうだな。事務所の新人女優とでも言って、現場に着いてきてくれると助かるんだけど。どう?」
「新人女優には抵抗があります」
「なんでも良いよ? マネージャー見習いでもなんでも」
どうやら、ドラマの現場に付き添って、流れてくる演出家の気持ちを読み取り、赤西に告げる。ってのが仕事の内容らしい。
そんな仕事あるの?
「それとまぁ『白石優羽』の件も、再開させて欲しいんだけど」
流れてきたメッセージに、千詠の手が止まる。
「こっちは独自で探偵雇ってるんだけど、進展がさっぱりでね。もう一度俺の記憶を読んで欲しい」
千詠が返答に困って返事を返しかねていると、動画のリンクが流れてきた。
恐る恐るクリックすると、件の放送が流れるYouTubeが再生された。
「ね? 差し当たり、そうだな、あの2人にこの動画見せたら、ちょっとは協力的になってくれる?」
千詠は「わかりました」と返信するしかなかった。