再会
いつもと同じように学校来た千詠だったが、どうもおかしい。
クラス中、いや、学校中がなんと言うか、皆ソワソワと落ち着かず、生徒も教員もどこか浮き足だっている。
それは人の心の中では無く、実際に発せられている皆の声から明らかだった。
ドラマ撮影に芸能人が学校に来ているらしい。
そう言えばこの学校は去年某有名建築家のデザインで一部建て替えられ、それが大層“映え”るそうで、取材だ映画だドラマだロケだと、撮影クルーがわんさか訪れ、学校関係者達をホクホクとさせていた。
それでも休日や休校日を利用した撮影だったはずなのに、今日は一体どうゆうことだろう?
そしてどうして気づかなかったのだろう? 急遽未成年の利用者のいる平日に決まるなんてことがあるんだろうか?
とにかく、こんな状態異常状態の集団の中にいるのは危険だ。
何より、普段の生活圏外のイレギュラーな人間の集団とも、長時間同じ空間にいたくない。
千詠は、いつにも増して警戒態勢の1日になる覚悟をした。
週末に終わるはずだったドラマのワンシーンがリテイクとなり、学校関係者が断ってくれたらそれでもなんとかなったはずなのに、どうゆう事か、二つ返事で平日の利用を許可されたと言うから、最近の学校経営というやつも、何かと大変なのだろう。
今をときめくトップアイドルグループの解散で、唯一のドラマ班だった女優が主役の特番ドラマとあって、スタッフの気合いの入れようが尋常じゃないのもわかるのだが、演出家が感覚派で、犯人役の赤西もイマイチ役になりきれていなかった。
クライマックスのシーンは、何度もNGになり、件の主演女優が泣き出したせいで、早朝撮影が推しに推して、昼だと言うのにまたしても撮影が止まっていた。
「だって〜何もやってないのに、そんな気持ちになれって言われたってぇマミわかんない〜」
「「「「「「「それをやるのが女優だよっ」」」」」」」
皆の声にならない叫び。全くご苦労なこった。
紀緒マネージャーが「しばらく去れ」と電話しながら手を振っている。
赤西透はため息混じりにその場を後にした。
ドラマは良くある復讐モノで、被害者の兄が、妹が死に至った原因になったイジメの首謀者達を次々と殺していくサスペンスホラーだ。
ストーリーテーラーでもある主人公は、かつての同級生を殺していく連続殺人犯に辿り着くが、ラストで実はいじめの発端になった主犯格だと暴かれ、殺人犯の兄は最後、屋上から飛び降り、自分が死ぬ事で全ての罪を主人公に被せて復讐を完成させる。
という珍しくもないような王道のストーリーだが、教師を含むイジメ首謀者達5人の殺し方が、日本のドラマではなかなかに珍しく猟奇的でグロい劇場型の犯行が進み、確実に主人公を恐怖のどん底に追い詰めていくホラー要素強めのストーリーになっていた。
犯人である兄役の赤西は、話のキーになる被害者と主人公しか知らないはずの秘密交換ノートを奪い取ろうと揉み合ううちに、屋上から落とされるのだが、真相を解明するつもりでストーリーは進むも、実は自分が犯人と知られていて、罪を糾弾され、自分も無惨に殺されると死の恐怖にかられ、絶叫しながら自分の罪を告白するシーンがどうにも上手くいかなかった。
存外大きな声で叫ぶと言うのは、普通の人間には難しい事なのだ。それなのに“美しく魅せる”演技があの若い女優にできるのか?
終わりが見えない。
自分のせいじゃない工程の大幅な遅れ。
やり場のない苛つきが募る現場。
勝手の違う撮影場所。
所在無く迷い込んだそこは、屋上に至る廊下と反対にささくれだった通路があり、時計台のメンテナンス室に続いているのだが、その小部屋の前が、扉の外開き分の、小さく腰高の壁で囲まれた階段踊り場の様になっていて、回り込まないと中が見えない完全な死角になっていた。
言うなれば若いだけのアイドル女優に、落ち目の俳優を犯人に起用した「こんなクソみたいなドラマ何が面白いんだ」と吐いて捨てるように出た言葉を拾い「私達には後がないのよ」といつにも増して真剣な顔で口癖を返す紀緒マネージャーが続けた言葉は
「そうね。そんな風に考えてる俳優はクソだけど、この監督のドラマはチャンスなの。わかるでしょ?」
何気なく愚痴っただけだったのに、紀緒マネージャーのクリティカルな返しが刺さる。
流石に学校で大っぴらに喫煙するわけにもいかず、ひと気のない場を探していた今の赤西には、おあつらえむきな場所だったが、不幸な事にそこは、昼休みや放課後の少しの時間、学校の図書室も、ファストフード店も、使用不可な時、千詠がひっそりと隠れ家にしているスポットで、逃げ道がないのが唯一の難点だが、時計のメンテは年に一回有るかないからしく、今まで誰もきたことがないし、みんなはどうせ屋上に行く。
ブランケットとクッションを持ち込んで、と、巣作りは完成していたが、それまで侵入者の形跡は一度もなかったはずなのに。
赤西は、たどり着いたその場にそぐわない異物を気にする事なく隣に座る。
役について考えていると、突如ただの布塊だと思っていたそこから、寝ている女の子がもたれかかってきた。毛布を剥ぎ制服を見て、どうやらここのリアル女子生徒が寝ていたようだ。とやっと気がついた。
「おぉ、マジか」
熟睡しているようで、起きる風もない。
身じろぎするのも忍びなく、少し離れた屋上の方から聞こえてくる撮影スタッフの声に聞き耳をたてた。
いや、女優はあのままでいいんだよ。
『私は知らない。私のせいじゃない。私は何もやってない』と自己暗示にかけて人の心を弄ぶシリアルキラーっぷりがリアルにあるサイコパスだ。彼女はあのままでいいんだよ。
彼女に演技は期待してない。セリフも棒で良いんだ。
だからこそこのシーンが生きるんだよ。
できれば犯人の役者にもっとあの小娘を心底恐怖に叩き落とす演技をして欲しい。
彼、たまにいい役やってんですよ、今回も演出家の推薦でしょ?
演出家と監督か? 何やら揉めている様子。そこにプロデューサーが口を挟む。
実際に殺意を持てなんて、それこそ無理です。
赤西透なんて元アイドルの俳優崩れでオワコンも良いとこ。と思ってたのに、実際会ってみたらびっくりするぐらいキレイなんだもん。さすが小事務所なのにビジュアルだけで売れたトップアイドル。おまけにチャラくて全然怖くないんだもん。
反社と繋がりあったとか、人妻に手を出したとか? なんで落ち目になったんだっけ?
みんな勝手なこと言いやがって。
初めは腹立ち紛れに聞いていた赤西だったが、エキサイトしていく3人のやりとりで、なぜか演出家の感情がストンと胸に落ちてくる。
自分がどう演じるべきか、強い感情が胸に湧き上がる。
自分の罪に気付気もしないいたいけな少女に、やり場のない怒りを向け、絶対に許さないと強い狂気を向ける兄。
全てを燃やし尽くすべく燻り、やがて青く燃える静かな炎。
それが今回の俺。
「あぁ、面白いドラマなんだな」
不意にやる気が出る。
こんなことは滅多にない。目を閉じ、演出家達の演説に耳を澄ます。
これはなんだ?
見えるはずの無い演出家の身振り手振りに合わせて、様々な感情が胸に入ってくる。
あぁ、絶望か。あいつのせいで妹は死を選んだのだな。
あいつが憎くて仕方ない。
そうだな、あいつを殺してやる。絶対に。絶対に許さない。どうやってあいつを破滅させてやろうか。
全て計算ずくで事故を装ってあいつを社会的に殺す。
もういっそ殺してくれと思うほどの恐怖の日々を味合わせた後、妹が感じていたように、死んだ方がマシだと思えるほどの生き地獄に叩き落としてやる。
それが今回の俺の役目。
「透!!」
隣の少女もびくん! と体を跳ねらせた。
赤西が驚いて目を開けると、そこには鬼の形相で仁王立ちした梢枝紀緒マネージャーが、ワナワナと肩を震わせてこちらを見下ろしていた。
この場にいる3人全員がわけもわからず動揺している感情が渦を巻く。
誤解を解くべく、苦しい言い訳をする男とそれを聞く女の横で、千詠は動転しつつもいつものように自分の行動を反芻する。
何時間寝てた!? 千詠は慌ててスマホを見る。
お昼休みの時間はとっくに過ぎてる!
どうして目が覚めなかった!?
なぜ何も聞こえなかった!?
なぜ人がいる事に気づかなかった!?
「ウチの赤西が大変申し訳ございません!」
(面倒な事になった。透がやらかした。示談金いくら積めばなかった事にしてくれるかしら。
なんとか穏便に解決しなくっちゃ)
土下座ーーーー!?
「本当になんでもないので気にしないでください! 謝罪も賠償も一切いらないので!!」
千詠は、祈る様に固辞したが、女性も立ち上がって懇願する。
「あなた名前は? 何年何組?」
(ヒッ! スマホ握ってんじゃん! コンプラ、ネットリテラシー、リベンジポルノ とりあえずなんとか、この場をなんとかしないと)
「あっこれは違くてっ2-A蒼井千詠ですっ あのっほんとっSNSで言ったりもしませんのでっ」
(ギャー! やっぱりー! 脅しかけてきたー!)
「あぁ、違う、違くてっ」
千詠は、怒涛のように流れ込む、もはや泣きそうな顔の見知らぬ女性の感情に動揺して、とにかく、とにかくこの場を去らなくては。と、腕を掴まれる。
「ヨミちゃん!?」
千詠は目を見開き、赤面すると、その手を振り払い、ダッシュで逃げた。
「透! いい加減にしてくれ! 女子高生! 未成年! 駄目! 絶対!!」
「嘘じゃないって! 何もしてない。ホントホント」
紀緒マネージャーは顔面蒼白で赤西に詰め寄る。赤西は必死で言い訳を続ける。
「あ、いや、アレだよ、あの子だよ、世界びっくり人間の、超能力少女、透視できるって一時期はやったじゃん。紀緒さんも知ってるでしょ?」
「え、あの子がそうなの? マジで? 可愛かったね? 芸能活動に興味ないかしら?」
「いや、忘れちゃったの? あんなことがあって、彼女あの後TV出てないじゃん。無理だろ」
商魂逞しいなと思いつつ、赤西は自分の右目の上の傷を指差し言った。
「ただ布が積み重なってるだけだと思って座ったら女の子がいたんだよ。ホントホント。何もしてない。彼女も俺らがいる事にびっくりしてたでしょ?」
紀緒マネージャーはため息をついて、床に座り込むと、この事態の収集を考えていた。
「あぁ、もう、アンタは、自分の立場をわかっているの? 私達には後がないのよ?」
「大丈夫だよ。もうわかった。この後はうまくやるよ」
言われた通りに。
赤西はそう言って紀緒マネージャーの肩を撫でさする。
しばらくして再開された撮影現場で、助監督合図の直前に、赤西は見合って立つ女優の耳元で甘い声で囁く。
「あのさ、俺この後怖いお兄さん達から呼び出しかかってるからさ、次またリテイク食らったら、言い訳のためにもアンタを連れ出す事になると思うの」
「っ!?」
「大丈夫大丈夫。どうせすぐ終わるから。逃げたらその首掻っ切っる事になるから諦めてね」
そう言って、細く白い首に爪を立てて撫で、体を離して微笑むと、新人女優は、その顔に脂汗を浮かべ、目を見開いて固まった。
「アクション!」
その言葉の通り、赤西のその後の演技は完璧だった。
女優も、演技を忘れて恐怖したおかげで、スタッフスタンディングオベーションの中、無事本日の撮影は終了した。
「やぁ赤西くん! 良いよ! 良かったよ!」
「どうしたの急に!? 素晴らしかった! 望んだ通りの犯人像だったよ!」
皆の称賛に、赤西はケロリとして答える。
「いやぁ、これ以上押すようなら、本気で殺してやろうかと思って」
ピタリ と凍りついたように静まり返る一同に、怯えた顔をして逃げるように退場する主役の女優と取り巻きを、ぺこぺこと頭を下げながら、そのマネージャーが後を追って場を後にした。
現場の喧騒が戻るなか、その撮影の出来栄えに紀緒マネージャーはウハウハで「きっと話題作になる」と、さっきまでの不安もどこへやら、いそいそと電話をかけまくっていた。
赤西も、久々の手応えか、いまだ震える手を見つめていた。
赤西もまた、あの時、千詠の本当の能力に気づいていた一人だった。
おそらく蒼井千詠は【コンタクター】人の心を読み、それを的確に伝えることができる。
落ち着きを取り戻し帰路に着く車の中「俺には 蒼井千詠 が必要だ」絶対アポを取ってくれと言い出し「また訳のわからないことを」と、紀緒マネージャーを再び困惑のどん底に突き落とすのだった。
特殊人材派遣会社「ドラゴンフライ」は、それまで遊園地やショッピングモールなどに派遣する戦隊物のアクションアクターが所属する小さなスタント俳優事務所で、ひょんなことからバズった一発屋アイドルグループが過去に居ただけの弱小芸能事務所だった。
それでも赤西は、いわゆる落ち目のアイドル崩れの中でも、グループの解散後、なんとか細々と俳優活動をして食い繋いでいたのだが、完璧な演出プランのある一部演出家からは絶賛される演技をするも、お茶の間ではそう記憶に残らない売れない俳優だった。
ちょうど放課後時間。暗くなってからの撮影に備えるべく待機していた使われていない教室で、窓の外、まばらになった学校を後にする生徒達に紛れて、千詠の姿をみつけた赤西は、「俺ちょっと」そう言って、ひっそりと後をつけることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
びっくりした。
学校から続く歩道橋をすばやく渡りきり、誰もいないバス停で市街地へ向かうバスを待ちつつ、先程のやりとりを思い出す。
あの人、あの時のあの人だ。私の事、覚えてたみたいだけど、どうしよう。何をどこまで知ってる?
途端に思考の渦に巻き込まれる。
「・・・蒼井さん。大丈夫?」
突然話しかけられて顔を上げると、しまった。目の前に一茶が現れた。
「あ、なんでも、ない、です。大丈夫です」
走り出したい衝動を抑えて、腹に力を入れ身じろぎもせず、この人はクラスメイト。走って逃げても明日も会うのだ。幸いもうすぐバスが来る。だろう。と千詠は腹に力を入れる。
「顔、真っ白だよ? 少し座った方がいいんじゃない?」
(何か飲み物買ってこようか? いや、一旦学校の保健室に戻った方が)
「本当にっ大丈夫。です、あの、バス、来るしっバイト遅れるから」
「あぁ、そう? じゃぁ一緒に待つよ」
(本当かな? 心配。 何かあったのかな?)
ヒョエェっ どうしよう、何か、何か話す? バス、マジであとどのぐらい?
グルグルと考えを巡らすが、なにも思いつかない。何事も無いですと、スンとした顔でこの場をやり過ごすしか無い。
そんな千詠の焦りと動揺をよそに、フワフワと一茶の背後に花が舞い散り始めた。
(やった。蒼井さんと2人きり。どうしよう。言っちゃうか? 告っちゃう?)
ヒッ!?
聞きたくない。それを口に出して言われたくないっ! 2学年はあと半年以上も続くし、最悪3年に上がってからも、この人と同じクラスになるのかもしれないのに。
千詠は流れ込んできた一茶の思考に、身を固くする。
「蒼井さん、俺、あの、あ、蒼井さんって、今、お付き合いしてる人とかいる?」
(いないよね? フリーだよね? 蒼井さんの可愛さに気づいてるの俺だけだよね?)
ヒー! いないっ! でも、いないと答えていいの!? いっそ、いる。って言っちゃった方がいい!?
「あ、う」
言い淀み、距離を取ろうとジリジリと後退りする千詠の手を一茶が握った。
「あのね、俺、入学した時から、蒼井さんのこと・・・」
( 逃がさないっ
あれ? なんで離れんの?
今言うべきだ
マジで? 早くない? 急じゃない? 振られちゃう流れ?
待って、行かないで。
そう言えばこないだの本の事も言ったほうが良い?)
『まだ時期尚早。もっと仲良くなってから言ったほうが良い。今は本の事を告げるだけにしよう』
千詠が握られた手に触れ、一茶の言動を操作する様にボソリと告げる。
一茶はパチパチっと瞬きすると、表情をなくして朧げに答えた。
「・・・そういえばこないだ本、忘れて行ったよね? あの本、茜が持っているんだけど、あぁ、今持ってくるね。すぐ、持ってくるから、待って、て・・・」
そう言って、くるり と向きを変えると、スタスタとその場を後にしてしまった。
「・・・やった。上手くいった」
危ない危ない。やっぱりあの人には気をつけないと。これからはもっと距離を取り、もっと接触を少なくしないと。千詠は ホゥ と息を吐き、バスが来る前にその場を逃げる様に走り去った。
「・・・へぇ〜・・・」
学校に戻る一茶と、すれ違い「意外にちゃんと青春してるなぁ」と独りごちる。
一部始終をスマホで録画しながら、歩道橋の上で千詠を見ていた赤西は、ニンマリとその口端を挙げた。