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蒼井千詠の日常




「きのうのMスタ見た? マリルのメイト、カワイイあの顔で攻めとか良くね?」

「それなー」

(いや、メンバー内じゃSキャラだけど、リアルじゃ絶対パシリだろアイツ)


「アケミの元カレに似てね?」

「誰よそいつ」

(似てる! 三組の松本くん)


「3組のマリモっさりと浮気したっつって!」

「誰よそいつ」

(マリモっさりって、図書委員のあの?)


「授業中に『スマホチェックできる超能力とかマジ欲しいっ』て泣いてんの」

「泣くとかマジウケるんですけど」

「そもさぁマジで超能力一個だけ使えるんだとしたら何が良い?」

「断然テレパシーでしょう!」

(なんの話してんの?)


「えーなにそれ」

「人の心読めんの。スマホチェックしなくても彼氏の浮気超わかんじゃん」

(こいつ話ポンポン飛ぶなぁ)

「ギャハハっアタマイー! 馬鹿じゃね↑意味無くね↑ウケるー↑でも良いねそれマジ使える」

(あぁ〜帰ってテスト勉強するのダリぃ)


 耳と頭の中を通り過ぎる女子高生の会話。


 たまたま選んだ女子高生が、たまたまそうゆう会話だったのか、その女子高生が、そう思っていたから選んでしまったのか、蒼井千詠(あおいちよみ)は、見知らぬ彼女達の会話に集中するのをいったんやめて、自分の思考を整え戻した。


 夕方、学校近くのファストフード店では一人でいても退屈は無い。

 誰かが、必ず大きな声でしゃべっている。

 多勢の人間が、それぞれの会話を、それぞれの相手に。

 それを、素知らぬ顔で誰かが聞いているとしても、誰も気にしない。

 不思議。

 誰に聞かれてもどうでも良い事を、誰にも聞かれていないつもりで、誰かに向けて楽しげに話してる。

 だから、誰に聞かれていても大丈夫。

 だけど、ちゃんと自分の向かいに座っている相手にだけ話しているつもりで話してる。


 そういった意味でこのファストフード店は、蒼井千詠にとって訓練に都合が良い場所だ。

 ネットでだだ漏れの個人情報も、誰でも読める日記に書いてある昨日のつぶやきも、向かいに座ったら何も知らない態で甘い甘いお茶を飲む。


 本当に不便な世の中だ。

 みんな必ず隠し事して生きている。

 本当に便利な世の中だ。

 他人の想いなど知る必要など無いのだから。

 本当に不便な世の中だ。

 その口から出た言葉以外、心にとどめる必要など無い。

 本当に便利な世の中だ。

 向かいに座ったその口が『フィクションです』と言い放てば、全てそれまでなのだから。


 相手に自分を伝えているつもりで、スプーンを差し出すが、本当はどうでもイイ事ばかりを、ちゃんと選んでスプーンにのせる。

 口を開けば誰でもそれを味わう事ができるここでは、他人の心の中が丸聞こえだって、それは大した問題にはならない。

 それは同時に、こんな世の中では、たとえその能力が特別な力だったとしても、たいていの場合あまり役には立たないのと同じように。


 ただし『ある選択をした場合』を除いて。


 蒼井千詠は、この国のほとんどの人がそうであるように『その選択』はしたくなかった。

 仕方が無いので、こうやってこっそり訓練するしか無い。

 つまりはこうするしか方法が無いのだと、自分に言い聞かせて日々を過ごしていた。


 学校が終わってから、バイトが始まるまでの時間は、図書館かこの学校近くのファストフード店で過ごす。

 本心では、多勢の他人の思念が流れ込みやすい人ごみになんぞいたくないが、集中して本を読むには時間が短いし、そもそも図書室に溢れる思考は、読んでいる本に左右されてしまう。

 本の感想まで深く探るには、まだまだ修行が足りないようで、ちょっと聞きすぎると、後から堪え難い頭痛に悩まされる。

 もちろん、それだけが理由ではないのだけれど。




「あれ? 蒼井さん!」


 意識外から突然声をかけられ、振り向いた千詠はトレイの上にあった在店理由の為の見せかけフライドポテトを、手で弾き散らせてしまった。


「わぁゴメンゴメン、びっくりさせちゃった?」


 声をかけたのは、同じクラスの鈴木茜(すずきあかね)だ。


「茜ぇオマエ何やってんのっ」


 一緒にいた佐藤一茶(さとういっさ)が、剣道の防具が入っている大きな荷物を、千詠の座っていた隣の席に置いて、床に散らばったポテトを拾い集めた。


「やぁ、だって、こんなところで蒼井さんに会うなんて意外で。一人? 誰か待ってた?」


 茜は手に持ていたトレイを千詠のいたテーブルにおいて、「ちょっと待ってて」と、カウンターへ向かった。


「良いのっ! いえ、あの、ごめんなさい。もうバイトの時間だからどうせ行かなくちゃ」


 千詠は、自分のせいで床に散らばったポテトを新たに注文しようとした茜を慌てて止めて、「声をかけてくれてありがとう。あの・・・本に夢中になっちゃって、遅刻するところだったの」そう言うと、集めたポテトを片付け、そそくさとその場を後にした。

 一茶とは一度も目を合わせずに。


 このように、力を使っている間、他の事が散漫になってしまう欠点を直すためには、クラスメイトに逢ってしまう可能性があるこの店が、適度な緊張感があって訓練に最適なのだ。

 とは言えよりによって一番逢いたくない二人に声をかけられ、激しく動揺して逃げるように店を出てしまったのは失敗だった。と、千詠は早々にクヨクヨし始めていた。


 茜は正義感が強い善人で、クラス替えから三ヶ月経った今も、教室で孤立しがちの千詠に、何かと声をかけ気遣ってくる。

 好きで一人でいる千詠は、それを常々、とてもとても申し訳なく思っていた。


 一茶に至っては、入学して初めて教室で逢ったその瞬間に、千詠に一目惚れしたのを知ってしまってから、最も避けたいクラスメイトだ。

 彼に会うと毎回、自分の背中に何かしらの花びらが散る姿と対峙する羽目になるので、最も平常心が試される。

 2人はいわゆる幼馴染という関係らしく、学校でもよく一緒にいるのを見かけていた。

 血の繋がりもないのに、まるで気の置けない姉弟の様な掛け合いをしているのを、羨ましく思っていた。


「ふぅっ」


 ちょっとだけ頭痛のするこめかみをグリグリと押しながら、千詠は深い深いため息をついて、本当に遅刻しそうだったバイト先へ急いで向かった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 千詠がいなくなってしまった後のテーブルでは、一茶が悪態をついていた。


「あぁっせっかく蒼井さんと放課後デートできるチャンスだったのにっ茜ががさつだからだぞ」

「何言ってんのよっあんたが声もかけられないで、アホみたいにぼーっと店の中見てる不審者だったからでしょうっ学校に苦情来るっつうの。とにかく声はかけたんだから、代金は返さないからね」


 茜は一茶に払わせたコーラを飲みながら、トレイの上のポテトを手前に引き寄せた。


「がめついっオマエはがさつな上にがめついっ」


 ただでさえ成長期の食べ盛り、部活のせいで腹が減っていて、部活のせいでバイトもできずに、部活のせいで万年金欠なのに。


「茜なんかになけなしの小遣いをはたいておごるはめになったのに、蒼井さん、また目も合わせてくれなかった」


 嘆く一茶を、「きっと嫌われてんだよ。小手の臭いが染み付いているんだよ」と、ちゃかした茜が床に目をやると、本が落ちていた。


「これさっきの。蒼井サンが読んでた本なんじゃない?」


 ブックカバーのついている本を、ぱらりとめくりながら何気なく中身を確認する。


「でかした! これを口実に明日教室で話しかけるのだっ」


 本を取ろうとした瞬間、本は一茶の手を挟んだ。

 茜はその本をパクパクさせて「アップルパイも頼んでいい?」と、追加の交渉に入る。


「がめついっ! オマエはがめつい! がさつな上にがめついっ!」


 一茶はもう一度そういって言って、下唇を噛み締めながら財布をあけた。


「この本はいったい何の本なんだろね?」


 茜は、小銭を受け取りきちんと数えてから、一見何語で書かれているか判らない本を一茶に差し出してカウンターへ向う。


「スゲー蒼井サンこんな本読んでるんだ! 英語? じゃないね。なに語?」


 一茶は、茜から受け取った横文字がならぶ本を堂々とめくりとりあえず挿絵を探す。


「やめなよ。デリカシーって知ってる?」


 戻ってきた茜は熱々のパイをほおばり、一茶のめくる本をちらちらとみながら言う。


「蒼井さんてさぁ、なんであんなにいつも低姿勢なんだろうね」

「バカオマエ、あれが儚気で守ってあげたくなるいち要素じゃないか。お、日本語発見」


 一茶は本の裏表紙に「罪と罰」「○△区図書館」と書かれた日本語を見つけた。


「あぁ見える~窓から差し込む午後の光~一人本を読む蒼井さん。似合う~ときめく~」


 そう言って本を閉じ胸に抱きしめた。


「なぁ茜、図書館行こう? んでついでに期末テストの範囲教えてよ。絶対蒼井さんもココで勉強してるって」


 強い期待を持って一茶は本を鞄にしまった。

 アップルパイを早々に平らげ、一茶のコップに手を伸ばしかけていた茜は「いいけど。次はモスな」そう言ってにっこり笑った。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 千詠は、逃げるようにファストフード店を後にすると、最寄り駅のトイレで、制服から地味な私服に着替える。

 そのまま細い通りに入り、古い雑居ビルの地下、さらに裏口からなるべく人目を忍んですべりこむ。


 表に看板こそ出ていないが、塗装のはげた文字で、うっすら「ミライスコープ」とかかれた扉をあけて中に入ると、モノトーンのフロアには、カウンターと対面してシックなソファーがおいてあり、薄暗いがBGMの無い歯医者の待ち合い室のような静寂が漂っている。


 さらに扉を開け、続く廊下を挟んで4つの部屋には、それぞれ


(そら)

「星」

「月」

「太陽」


 と書かれていて、突き当たりには非常口のマークがあり、裏口とつながるスタッフルームになっている。


 この「月」とかかれている扉が、千詠の担当する部屋で、オートロックのカードキーを使って中に入る。

 目元しか出ない真っ黒な布を全身にかぶり、それっぽい演出がおおげさにされた、薄暗い部屋の隅に置いてある椅子に座りると、テーブルの上にある丸いカードの束を、もぞもぞいじりながら深呼吸をする。


 すると、コンコン と扉がノックされて、受付に立つ雨宮(あまみや)が顔をみせた。


「準備は良いですか?」


 部屋の内側からは、キーを使わなくても自由に出られるが、廊下側から入れるのは、その部屋のキーを持っている各占い師と、マスターキーを持っている受付の雨宮だけだ。


「はい。よろしくお願いします」


 返事をしてからの18時から22時までの4時間、お客様が部屋にいる時は扉は開けっぱなしになり、厚い暗幕で目隠しされている。

 千詠はココで「(ツキ)先生」と呼ばれる占い師としてバイトしている。


 [占いの館 ミライスコープ]では、お客は20分3000円の料金を受付で払い、それぞれの部屋へと雨宮が案内して部屋の扉を開けてもらって中に入る。

 希望が無ければ、雨宮がカウンター内のチェス板を模した来客管理ボードを見つつ各部屋へと振り分けるが、予約に余裕があれば指名も可能で、2度目からならば、特別指名料金などが追加される事は無い。


 20分すると雨宮が呼びにきて、延長すると10分ごとに2500円追加料金が請求される。

 千詠は一日だいたい5人ほどのお客さんを観る。

 バイト代は、観る人の数には関係なく、すべての部屋の稼ぎを総括し、店が経費やもうけを差し引いた分が4部屋で分けられる。

 どんな内訳なのかは分からないが、平日の放課後4時間しかいない千詠も、余裕で一人暮らしができてしまいそうなほどの結構な稼ぎになる。


 二年ほど前、「よく当たる」と噂になっているこの店に、千詠自身が客としてきたことが発端だった。

 その日千詠は、他の客と同じようにフロアで順番を待ち、他の客と同じように雨宮に誘導されて「月」の部屋に入ると、そこは誰もいないガランとした空っぽの部屋だった。


 そしてニコニコと笑う雨宮にこう言われたのだ。


「太陽先生によると『アナタはウチの店で働く事になる』そうです」


 千詠はアンテナを注意深く雨宮に合わせる。


(この子が太陽の言っていた占い師の素質がある女の子かぁ。高校生とは思わなかったなぁ)


 どうやら他の占い師に今日私が来ることが予言されていたらしい。

 高校生になって、やっと大ぴらにバイトできる年齢になった。

 何かいいバイトないかなと探していたところのこの話。

 なるほど、よく当たるという看板に偽りなし。

 急に腑に落ち警戒を解くと、そのままシステムを説明され、次の日履歴書を持って来てから、もうその日のうちに占い師として椅子に座っていた。


 それから今日まで、千詠がこの店で会話をするのは、雨宮と「月」の部屋にくるお客さんだけだったので、他の部屋の占い師が、いったいどうゆう人物なのか、どんな方法で占っているのかは全く知らないのだ。


 ちなみに「月」の部屋では、お客が部屋に通されたら、円形のテーブルを挟んで向かい側に座り、月の満ち欠けが描かれた丸いカードをそれらしく操る。

 が、これはダミーで全く何の意味も無い。


 占いには、千詠の生まれつき持っている特別な能力を使う。


 千詠には、物心ついた時から、近くにいる他人の思考を見聞きすることができる特殊能力があった。

 そうは言っても、これで聞こえてくるのは表面的なことで、うっかりするとだらだらと辺りにいる他人の思念が止めどなくノイズのように耳に流れ込んでくる。


 これをラジオの周波数を合わせるようにコントロールする事で、必要な分だけ聞いたり聞かなかったりする事ができる。

 さらにピンポイントで、詳しく正しい情報を知るためには、対象者に質問して、その答えを思い浮かべてもらわなければならない。


 そうして相手と目を合わすと、相手のその時の思考が映像として千詠の頭の中に入ってくる。

 どうゆう訳か文字で思い浮かべられると頭の中で反転されるので、複雑な答えだと観るのに少し時間がかかる時がたまにある。

 相手が、思い浮かべられないような事でも、その記憶の中にあるのなら、その欠片をたよりに観る事ができる。

 もちろんこれはこれで厄介なのだけど。


 20分3000円のこの店に、深刻な問題を占いにくる者などはほとんどいない。

 少なくても「月」の部屋に来るほとんどの女性は「恋愛」がらみのささやかな悩みで、所詮これらの悩みの答えは、既にその人の中に用意されているので、思考が読める千詠の占いはとても良く当たる。

 そう。要は巷で評判の占い師に、ちょっこっと背中を押してもらいに来るだけなのだ。


 今日も、最初のお客が恐々と入室する。このお客様は初見の方だ。

 月先生は「お名前と、生年月日を教えてください」と、最初に質問して、お客が名前と生年月日や星座を言ったその後すぐに、簡単な趣味嗜好とついでに血液型なんかも、さも手元のカードで占ったように言い当ててみせる。


 お客の相談内容に合わせて、最近の出来事やココにきた理由なんかも付け加え、あとはその人の中では出ている答えを占い師らしく言い伝え、残念な結果に泣いてしまう子もいるが、帰り際に手渡されたアンコ飴を舐めると、ケロリとして皆前向きになって帰っていく程度の悩みの子ばかりだ。


 そう言った意味でも、千詠の特別な能力は、占い師という職業に向いていた。


 どんなに他人の心を覘いて、言い当て、成否を確認しても怪しまれないこの場所ほど、千詠の能力の訓練に最適な場所は無い。


 騙しているようで気は引けるが、嘘はついていないと自分に言い聞かせて、ここで働き続ける事にした。

 幸いな事に、苦情を出された事は一度も無く、雨宮にも給料を手渡しでもらう際、


「好評ですよ」


 とお墨付きをもらう。

 何にせよ、どの道日々の訓練は必要なのだ。


 自分の力をコントロールできない事ほど恐ろしい事は無い。


 気を抜くと、大勢の大声が頭の中に響き渡り、聞きたくない事も聞いてしまう。

 そうなったら、自分の態度をコントロールする事が、できなくなってしまうかもしれない。

 そうなったら、自分が特別な能力を持っている事が、周囲にばれてしまうかもしれない。


 千詠は、自分のこの特別な能力が、他人に知られてしまう事が何よりも恐ろしいのだ。


 特別な能力を持っている人間を、他人がいったいどう思うのか。

 心が読める千詠はその感情を、子供のときに一度経験したことがある。

 それからふとした時々にその記憶は蘇り、いいしれない恐怖に襲われ、その度に、鼓膜を破り、目玉をつぶしたいと何度思ったか知れない。

 だから普段はなるべく、その事を考えないように、思い出さないようにしなくてはならない。


 今日の最後の客が帰り、千詠も制服に着替え、さぁ帰ろうと部屋を出ようとすると、


 ガシャーン!


 フロアで何かが棚から落ちて割れた。

 千詠は耳を解放して、瞬時に雨宮にチャンネルをあわせる。


(カウンターの上にあった花瓶が割れた。

高かったのに

掃除が面倒じゃないか。

チクショウ誰だこの男。

今は誰もフロアに出てきてはいけない)


 千詠は急いでフロアに出ると、今度は雨宮に詰め寄る男にチャンネルを、、、あわせる必要も無く


「俺の彼女に何を言った!」


 その男は、そばにあった椅子を振り上げ叫んだ。


「彼女って?」


 その男に向かって質問した千詠に、


「高橋真理だよっ」


 男は、椅子を持ち上げたまま、後ろを振り返った。

 千詠は男と目を合わせた。


(占い師なんかに言われて俺と別れるって言いやがった。

俺たちは愛しあっているんだ、真理は騙された。

電話が通じない。

コメット先生 ミライスコープ

フザケタ名前の詐欺師のせいだ。

真理によけいなことを吹き込んだ詐欺師を出せ。

何だこの女子高生は?) 


「アナタの名前は?」


 千詠は落ち着いて質問を続けた。


(ダイちゃん

加原大輝

なんで女子高生がこんなところに?

ダイちゃん

ダイちゃん大好き

俺も好きだよ真里。

客がまだいたのか?

あれ、これ俺まずくないか?

女子高生に怪我させちゃう?

なんで椅子なんか持ち上げちゃったんだろうっ

ダイちゃん

あれこの制服、真里と同じだ。

どうしようっやばいっ警察沙汰はこまる。

このまま椅子を床に置いたら無かった事にしてそのまま帰・・・)


 男が後悔した瞬間、千詠はその男の手に触れ、微かに囁く。


『このままおとなしく家に帰ろう』


 すると男は椅子を置いて、ふらふらと操り人形の様に店の外に出て行った。


 千詠はそのままその椅子に座り込んだ。

 少し緊張したがなかなかうまくできた。


 その瞬間に直接対象者に触れれば、その対象者の意識の中にある事ならその通りに行動させる事ができる。


 なかなか実践訓練できるチャンスは無いのだけれど。




「営業中は、何があってもフロアには来てはいけないと言ったでしょう?」


 雨宮の厳しい口調に、千詠は我に返った。


 そしてすぐ耳と目を全開にして自分の行動を反芻するように思い返す。

 なにか不自然だった? 不審な行動があった?


「アナタに何かあったらっ・・・」


 雨宮は深く息をはいてさらに続ける。


「この仕事は、こうゆう事が稀にあるのです。占い師は、私が呼びにいかない限り部屋から出てはいけない。これはセキュリティ上絶対のルールです。次からは大きな音が・・・いえ、たとえ私の悲鳴が聞こえても部屋から出ないと約束してください」


 雨宮は目を合わせて千詠にそう強く言った。


(肝が冷えた。

心底心配した。

誰も、犯人も怪我をしなくてよかった。

本当に安心した。

花瓶、面倒だな)


「すみません。気をつけます」


 千詠はそう言って目を伏せ、割れた花瓶の破片に手を伸ばした。


「それは私が後で片付けますのでそのままで」


 雨宮は千詠の手を止め続けて言った。


「今夜は家まで送りますので、さぁ一緒に駐車場へ」


 千詠は黙っていついて行った。




 雨宮も無言だったが、千詠みは目も耳も雨宮にチャンネルを合わせ、自分の行動を怪しまれたそぶりはなかったか探りながら車に乗っていた。

 雨宮は終始割れた花瓶の片付けがめんどうだということと、代わりにどんなものを置こうかと言う事ばかり考えていた。


 そして自宅マンションの前に車がつく。


「それではまた明日」


 雨宮は運転席から、車を降りた千詠をやっと見たので、千詠も目を合わせた。

 千詠は自覚していた。真実を知りたいときだけ目を見る愚かな自分の癖に。

 本来あるべきではない能力に頼り過ぎている。


(やっぱり怖かったよな。

明日も来てくれるかな?

あぁ、花瓶。床も濡れたままだ。面倒だな)


「また明日よろしくお願いします」


 千詠はそう言って会釈した。

 雨宮はニコリと笑って車を出した。


「人の心が読めるからって、それが何かの役に立つ訳じゃない」


 千詠は自分にそう言い聞かせて、自宅のあるマンションに入った。

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