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アリーシャ、と名を呼ばれ、ゆっくりと頭を上げる。目が合うと、ノアは口元に薄っすらと笑みを浮かべた。
「時間はかかるかもしれないが、剥ぎ取られた自信を取り戻そう」
「わ、わたしが自信を、持つ?」
「そうだ。俺はアリーシャの笑顔が見たい。それに、俺の言葉がアリーシャにしっかりと届いてほしいからな」
ノアの言葉に、アリーシャは目を丸くした。
(笑顔が見たい? わたしの? どうして?)
笑顔など、最後に浮かべたのはいつだろう。攻撃魔法が使えない負い目から、いつも周りの目を気にして下を向いていた。笑顔など、以ての外。
戸惑っていると「行こう」とノアに左手を引かれ、アリーシャは歩き出した。
こうして誰かと手を繋いで歩くなど、幼少期以来だ。手を繋いでいるのは、今し方突然立ち止まったりしたからだろうか。歩幅も合わせてくれているため、ノアの歩みは先程と違いのんびりとしている。
なんて、穏やかな時間なのだろう。自然と心も和いでいる。異なる世界だということに不安はあるが、まさかそこで平穏を享受するとは。
横に並んで歩いているため、時折ノアの腕にアリーシャの肩が当たった。そういえば、とアリーシャはちらりとノアを見る。
随分と身長が高い。同じ男性である父やウィリアムでも、ここまで高くはなかった気がする。
それに、とトクンとアリーシャの胸が躍る。横顔もとても綺麗だ。非常に整った容姿をしているとは思っていたが──。
「……何かついてるか?」
視線に気付いたようで、ノアが照れくさそうに、しかし困っているような、そんな笑みを向けた。
「す、すみません」
慌てて視線を逸らし、前を見る。何か、何か話をして場を紛らわさなければ。恥ずかしい、と空いている手でぎゅっとスカートを軽く握った。
「あの、えっと、ノアは……わたしの話を、嘘だとは思わなかったのですか?」
何とか絞り出した話題だが、気にはなっていたことだ。信じてもらえたことはありがたいが、信じるに至った経緯が知りたい。
「言葉を選びながら、真剣に話をしているのが伝わってきたから、だな」
隠さずに話してよかったと、スカートを握っていた指を離し、胸を撫で下ろす。が、ノアは「ん……」と何かを言い淀んでいる。ちらりとその様子を窺うと、苦い表情を浮かべていた。どうも言葉に悩んでいるようだ。
「その……話を聞いて、腑に落ちたこともあったというか」
「腑に落ちた、ですか? あ、魔法、ですかね」
「それもあるにはある。ここには、魔法と呼ばれる力は存在しないからな」
二人の先に、森の出口が見えてきた。この先に街や村があるのだろう。そこで食事を終えれば、ノアとはお別れだ。
この穏やかな時間も終わりが近付いている。寂寞を覚えるも、口に出すつもりはない。ここで少しでも別れを惜しむ言葉を口にすれば、きっと彼は。
(ノアは、優しい人ですから)
あと少しで出口というところで、後ろに軽く引っ張られる。振り返ると、何故かノアの足が止まっていた。
「ノア?」
ノアはアリーシャから視線を逸らし、眉をへの字にして口を噤んでいる。まるで幼い子どものようだ。もう一度ノアの名を呼ぶと「ん……」と言い淀むものの、重たい口を開いた。
「その……俺も、話しておかなければいけないことがあるんだが、その」
もう何度目だろうか。「ん……」とノアは口を噤んでしまった。
「言いたくないことは、誰でもありますから。無理に話さなくても」
「違う、違うんだ。これは、俺の」
「ノア王子……⁉」
後ろから聞こえてきた声に、アリーシャは目を丸くして振り向く。
そこには、へこみや切り傷が多分についた銀色の鎧を身に纏う男性が数人いた。その誰もが、アリーシャの後ろにいるノアを見て瞠目している。
男性達の統一された身なりは、まるで元の世界にいた王城を守護する兵士のよう。それに、気になるのは先程の言葉。
彼らは、ノアのことを何と呼んだ。
「ノア、王子?」
声が震えた。
「アリーシャ、これは」
慌てた様子のノアがアリーシャに近寄るも、男性達もこちらに駆け寄ってきたため、二人の手が離れてしまった。
縮まりつつあった二人の距離が開いていく。
「ノア王子! ああ、よかった!」
「これから捜索を開始するところだったのです。本当に、ご無事でよかった……!」
どのような状況でノアが致命傷を負い、一人でこの森にいたのかはわからない。けれども、男性達は口々に安堵の言葉を発し、中には涙を浮かべている者もいる。ノアのことを心から心配していた様子が、ひしひしと伝わってきた。
ノアは目を伏せ、男性達に頭を下げた。
「……心配をかけてすまない。魔王の手下は倒せた」
「我々こそ、加勢に間に合わず申し訳ございません」
「助けていただいた兵士は無事です」
ノアのあの酷い傷は、誰かを助けたときに負ったもののようだ。言い方は悪いが、ノアらしいとも思う。
しかし、まおうとは。アリーシャにとっては初めて聞く言葉だ。如何なる存在なのか、いや、それよりもノアは──などと考えていると、男性達が一斉にアリーシャに目を向けた。
見ず知らずの人間がいれば、気になるのは当然だ。そう頭では理解していても、反射的に両肩がびくりと震え、視線を逸らしてしまう。
「失礼ですが、あの女性は?」
「また後で話すが、俺は彼女に……アリーシャに助けられた。アリーシャがいなければ、死んでいただろうし、手下は倒せなかった」
騒然とする男性達だが、ノアは静かにアリーシャの名を呼んだ。逸らしていた視線をぎこちなくノアに向けると、彼は顔を上げてこちらを見ていた。
とてもまっすぐに。されど、瞳の奥が揺らいでいるようにも思える。
「彼らは俺の部下であり、勇敢な兵士達だ。……この先にあるティンタジェルの村で、話そう」
断る理由はない。アリーシャは小さく頷いた。