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巨人は何本もの鞭を自由自在に動かし、男性に対し無慈悲な攻撃を仕掛けていく。が、彼は巨人の動きを難なく見切り、鞭は地面を鋭く打ち付けた。男性は躱してからの立て直しが素早く、息をつく間もなく巨人の鞭が追いはするものの、中々捉えられない。
──すごい。無意識にアリーシャはそう呟いていた。
冒険にほとんど出たことがないアリーシャでもわかるほど、男性の動きは見事なものだ。とは言え、休む暇すら与えられない攻撃を躱し続けるには限界がある。現に、巨人は更に鞭を増やし、男性を追い詰めようとしている。
このままでは男性の体力だけが消耗されていき、いつかは容赦のない攻撃が彼を襲うだろう。アリーシャは息を吐き出すと、両手を前に出した。自信の無さから微かに震えるも、力を込める。
男性は躱せないときに力を借りたいと言っていたが、このままでは防戦一方だ。ならば、アリーシャにできることは──。
(攻撃が一度でも当たれば、防御魔法は消えてしまう。でも、消えないように維持すれば)
男性は、巨人を倒すことのみを考えて行動ができるようになる。
果たして、本当に維持できるのだろうか。そのようなことができるのは、僧侶が扱う防御魔法のみ。魔法使いや魔女が扱う防御魔法は、アリーシャが考えているような使い方をするものではない。
けれど、とアリーシャは巨人に立ち向かっている男性を見る。
二人で倒そう。男性はそう言っていた。何よりも、アリーシャを信じてくれたのだ。そう言ってくれた男性のためにも、力になりたい。アリーシャは覚悟を決め、口を開いた。
「仇なす者の攻撃を防ぐ、堅牢の護り!」
淡い光が男性の周りに球殻を作る。驚いた男性がアリーシャの方を振り向いた。
「このまま維持させます! 攻撃を気にせず突っ込んでください!」
「わかった!」
アリーシャの意図を理解したのか、男性は笑顔を浮かべると巨人へ一直線に走り出した。
本当に自分にできるのか。不安に潰されそうになるが、男性が頼りにしてくれたのだ。ならば、やるしかない。
(どれだけ攻撃を浴びようと、この魔法を維持させてみせます)
巨人からいくつもの鞭が男性に降り注ぐが、球殻は消えることなく攻撃を防ぎ続ける。
消えたところに即座に防御魔法をかけるつもりだったが、呪文を唱えるほんの数秒程無防備になってしまう。何か別の方法を模索するも時間が足りず、魔力を込め続ければ強度が上がるのではないかと、とにかくそれに努めた。
加えて、絶対に男性を護るという想いも込めて。
両親やウィリアムが知れば、魔力の無駄遣いだと嘲笑うだろう。魔法使いや魔女の魔力は、攻撃魔法のためにあるからだ。そのため、治癒や防御魔法などの下位の魔法に魔力を割くことを由としない。
だが、結果としてこの方法は功を成した。アリーシャは防御魔法を維持することができ、攻撃を通すことを許さない。
やがて、男性は巨人の前に立った。自身に向かってくる巨人の鞭を利用して飛び上がり、そして──。
「俺達の勝ちだ!」
アリーシャが防御魔法を解除した瞬間、男性は巨人の身体を上から裂いていく。男性が地面に降り立つと、持っていた剣は役目を終えたかのようにパキンと音を立てて折れてしまった。
二つに割れた巨人は、ズン、と重たい音と共に地面に倒れた。切断面からサラサラと塵になり消えていく。
アリーシャはその光景を静かに見ていた。ダンジョンに現れるモンスターは、倒した後もこのように消えたりはしない。この巨人は、何なのだろうか。
「君のおかげで倒すことができた。ありがとう」
隣から聞こえてきた男性の声に、アリーシャは視線を向ける。彼は目を細めてこちらを見ていた。その目に熱を感じ、恥ずかしくなる。
「い、いえ、そんな……」
「アリーシャに出会っていなければ、俺一人であれば……ここで死んでいた」
男性は地面に片膝をつけ、アリーシャに右手を伸ばすと、そっと左手に触れた。
「……っ」
突然のことで、アリーシャは目を丸くして驚いた。心臓が跳ね、顔には熱が集中する。
鍛え上げられた戦士の手。逞しく骨ばっているが、その手は優しくアリーシャの手を包み込む。
「自己紹介が遅れてしまってすまない。俺は、ノア。ノア・フォン・モルガン。君は?」
「アリーシャです。アリーシャ・メイ・ホワイト……」
男性──ノアはじっとアリーシャを見つめる。それが何だかくすぐったく、アリーシャは小さな声で「あの」と呟いた。
「ど、どうか、されましたか……?」
「……いや、素敵な名前だなと。君によく似合う」
「あ、ありがとうございます、ノア様」
「ノアでいい。……アリーシャの力は、素晴らしいものだ」
これまで言われたことがない言葉に思わず心臓がはねるも、アリーシャはゆるゆると首を横に振った。
「……嬉しいお言葉ですが、わたしには身に余ります」
自然と顔が俯いていく。治癒と防御の魔法しか扱えない落ちこぼれ。見知らぬ場所に転送されたという現実が答えだ。
すると、ノアに包み込まれている手に力が込められ、アリーシャは顔を上げる。彼の赤い瞳はまっすぐにアリーシャを映していた。あの言葉に嘘偽りはないと、強く語りかけてくる。
(胸が、苦しいです。こういうときは、どうすればいいのでしょうか)
困惑していると、ノアが目を細め優しく微笑んだ。
「魔法、と言ったな。まるで、おとぎ話に出てくる聖女のようだ」
「聖女?」
「ああ。不思議な力で俺を救ってくれた君を聖女と呼んでも過言ではない」
聞いたことがない名称だ。ニュアンスから、僧侶のようなものだろうか。
それにしても、その「聖女」もおとぎ話の存在だとは。治癒魔法をかけたときのノアの反応も今なら頷けるが、これでは治癒ができる者は誰一人としていないということになる。
では、ここは──。信じがたい考えが脳裏をよぎるも、アリーシャ、と呼ぶノアの声に現実に引き戻される。
「助けてもらった礼がしたい。一緒に来てもらえないだろうか」
人として当然のことをしただけだ。礼には及ばない。が、この森を出るには一人では心細い。アリーシャは小さく首を横に振った。
「お礼は結構ですよ。ただ、一人では不安で……街や村へ連れて行っていただけると嬉しいです」
「それは構わないが……せめて、その、食事だけでもどうだろうか。命の恩人に何かさせてほしいんだ」
縋りつくような目にきゅっと胸が締め付けられる。このような目を向けられると、アリーシャも断ることはできない。
「ありがとうございます、ノア。じゃあ、お食事だけ」
「よかった。それでは、行こうか」
ホッとした様子で微笑むとノアは立ち上がり、歩き出した。アリーシャもその後ろに続いて歩く。
巨人が倒れていた場所には、もうその姿はなかった。