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第一印象は、あまり良くない。
しかし、誰かが言っていた。ルカ様には助けられている、と。
アリーシャのヒールストーンで足が治ったと喜んでいた子どもも「ルカ様の薬であまり痛みはなかった」と言っていた。
ずっと、一人で支えてきたのだろう。横柄な態度を取っても嫌われない、見捨てられないほど、ずっと。
ノアは後片付けを手伝うとルカの研究所へ戻ってしまい、話を聞きたくても聞くことができない。
とりあえず、部屋へ戻ろうと城の中を歩いていると、目の前に見覚えのある銀髪が見えた。
直接話を聞けるチャンスかもしれない。しれないが、まだ話しかけにいけるほど心の準備ができていない。そのうえ、何となく視線も合わせがたい。
そういう思いから視線を逸らすと、目の前の壁に手を置かれてしまい、行く手を遮られてしまった。ぎこちなく視線を上げ、ルカを見る。
「何だその顔は。あの場では名乗っていなかったと思ってな。ルカ・アンリ・モルガンだ。レオは敬称をつけなくてもいいと言ったそうだが、ボクのことはルカ様と呼べ」
「わ、わかりました、ルカ様。わたしは」
「アリーシャだろう、知っている。それでアリーシャとやら、一つ訊きたい」
もしかして、と以前気にしていたことが過る。
「病は魔法で治せるのか」
ああ、やはり。
アリーシャは意を決し、首を横に振った。
「……いいえ。わたしのいた世界でも、そのようなことができる者はいませんでした」
「なるほど。では、解毒は」
「魔法では、できません」
その言い方が気に入らなかったのか、ルカは鼻で笑った。
「魔法では、か。まわりくどい言い方をする。はっきり言え」
「ルカ様は、わたしのことをどこまでご存知なのでしょうか」
「こことは異なる世界からやってきた、魔法と呼ばれる力を使う魔女」
「そうです、わたしは魔法を使う魔女。そして、解毒の力を持つのは、わたしのいた世界では僧侶と呼ばれた方達です」
僧侶は、神から祝福の力が与えられる。
その祝福の力は治癒や防御に秀でており、アリーシャの魔法の何倍も優れている。毒もあらゆるものが解毒可能だ。
治癒魔法とは違う、万能の回復能力。
本来、魔法使いや魔女は遠隔攻撃の要、僧侶は治癒と防御の要とされている。アリーシャはあべこべだ。
説明を終えると、ルカは壁から手を離し、背中を壁に預けた。腕を組み、じろりとアリーシャを睨みつける。
「なら、作れるな」
「……え?」
「僧侶とやらは使えるんだろ? が、魔法にはない。ないのであれば、作ればいい」
解毒は、神から与えられた祝福の力によるものだ。
それを、魔法にする。アリーシャの手で。
「無から有を生み出せと無茶を言っているわけじゃないだろ」
「そ、それに近いものですよ。魔法と神からの祝福の力は、まったくの別物です」
「では、魔法とはなんだ?」
原初の魔法使いマーリンは、魔法は不思議を体現させることなのだと残している。
そこでふと、ノアの言葉が頭に過った。
ノアは、魔法にはあらゆる可能性を秘めているように思えると、そう言っていた。
マーリンが残した言葉は、そういう意味もあるのではないか。不思議を体現させるものが魔法ならば、それは可能性に満ちているはず。
何故なら、不思議とは世の中に溢れているからだ。
「魔法とは不思議を体現させるもので……あらゆる可能性に、満ちているものです」
「ほう、それはいいものだな。では、まずは治癒の認識を広げろ」
どういうことかと首を傾げると、ルカは右手の人差し指で空中に円を描いた。
「お前の中では、治癒と怪我がイコールで結びついている。そうではない。治癒という大きなカテゴリーの中に、解毒も含まれている。解毒も、治癒の一つだからだ」
「は、はい」
「お前は治癒と防御魔法が使えるのだろう。認識を広げることが、可能性を生み出す。つまりは、それが魔法になるということだ」
なんていいことを言うんだ、とルカは自画自賛しながら肩を揺らして笑った。
一頻り笑ったあと、よく笑ったと言いたげに息を吐き、頭を壁に当てて宙を見るルカ。横からしか見えないが、憂色を浮かべているようにも見える。
「ボクは、ずっと薬の研究をしてきた。薬と言えばボク、それくらい知れ渡っていると言っても過言ではない」
だがな、とルカはアリーシャを見た。その目には、悔しさが滲んでいる。
「ボクの薬で助けられる人間は限られていて、万能ではない。病も毒も、身近に溢れているにもかかわらずだ」
それが悔しい──そう呟くと、ルカは再び宙を見た。
病や毒は、ルカの言うとおり身近に溢れていて、それでいて未知のものが多い。
見極めも難しい。何の病気なのか、何の毒なのか。時間がかかれば死んでしまうこともある。
では、そこに僧侶がいれば。病は治せなくとも、解毒なら可能になる。ルカからすれば、喉から手が出るほど欲しい力。
その力を、アリーシャが魔法にすることができれば。
「ま、お前が解毒魔法を使えるようになれば、ボクは一つ仕事を手放せて病の研究に専念でき、街の者達も毒については何とかなるようになる。いいこと尽くめだ」
魔法に、期待がかかっている。
以前のアリーシャであれば、それをひどく重く感じ、不安に駆られて苦しくなっていただろう。
──今は、頑張ってみたいという前向きな気持ちで溢れていた。
胸の中に大切にしまっているノアの言葉が、前向きにさせてくれているのはもちろんだ。それが原初の魔法使いマーリンの残した言葉が自分の中で歯車のようにはまり、魔法と向き合えるようになったからかもしれない。
「あの、わたし、ルカ様は人の心がない人なのかと……そうではありませんでした、すみませんでした」
「さらっと暴言を吐くな」
アリーシャだけの魔法。
この世界に来なければ、そんなこと考えもしなかった。
「わたし、頑張ります」
「……今言ったことは、別にお前のためじゃない。これは、そう、ボクのためだ。ボクの仕事を楽にするためのな」
勘違いするなよ、とルカは壁から背を離し、アリーシャが来た道を歩いていく。
「どこへ行かれるのですか?」
「ノアのところだ。あいつ、このボクに不遜な物言いをしたからな」
一発入れてやる、そう言いながらも、ノアのところへ行くということは、研究所の片付けをしに行くのだろう。
それにしても、本当に三人ともよく似ている。アリーシャは城を出るルカの背を見守った。
* * *
研究所が燃えてから、数日が経った。
片付けは今も続いており、ノアもルカもそちらのほうに出向いている。
「うーん……難しいですね」
アリーシャはというと、城で一人頭を悩ませていた。
幸い、ヒールストーンは量産できている。今は失敗した宝石を防御魔法でコーティングすること、解毒魔法について考えていた。
ちなみに、どちらも何も進んでいない。
(原初の魔法使いと言われているマーリンは、どうやって魔法を編み出したのでしょう)
魔法は不思議を体現したものという言葉に、何かしらのヒントはあると思うのだが。
失敗した宝石を一つ手に取る。アリーシャの手のひらの上で煌々と輝く宝石。そっともう片方の手を乗せ、両手で優しく包み込む。
もしも、アリーシャが不思議を体現させようとするとしたら──まずは、その不思議を頭の中でイメージする。
今であれば、手の中にある宝石に防御魔法でコーティングするイメージだ。それはできる。
「……仇なす者の攻撃を防ぐ、堅牢の護り」
手の中で、宝石に防御魔法がかかっているのがわかる。
だが、それだけだ。コーティングにまでは至っていない。アリーシャが魔力を込めなければ、防御魔法は消えてしまう。
──イメージだけでは、足りていない。では、何が足りていないのだろう。
防御魔法を解き、アリーシャは静かに宝石を机の上に戻した。
「そう簡単にはいきませんよね……」
当然だ。イメージだけでできるのであれば、誰だって創作魔法に手を出す。
そういえば、とアリーシャは近くにあった椅子に腰掛け、机の上に両肘をつき、そこに顔を乗せた。
現時点で、あの世界に存在する魔法使いや魔女は、マーリンが残した魔法をすべて扱えているわけではない。
マーリンの弟子とされる者が、教わったことを細かく記載し残した文献がある。この魔法では何ができて、詠唱はこうだと。
何人もの魔法使いや魔女がこぞって試したが、魔法によって扱える者と扱えない者がでてきた。中には、まったく扱えない魔法もあった。
詠唱は合っている。魔力を込める量も間違っていない。では、扱えないとなると一体何が足りないのかと、その研究に没頭している者もいた。
(もしかして、わたしに足りないものは、それと同じなのでしょうか)
攻撃魔法が扱えない理由も──いや、まだそうだと決めつけるのは早計だ。
それにしても、魔法は身近に存在するものだったが、考えれば考えるほどわからなくなる。頭を悩ませていると、コンコン、と扉を叩く音がした。アリーシャは慌てて姿勢を正し「はい」と返事をすると、入ってきたのは──。
「こんにちは、アリーシャ」
「レオ?」
思わず声が上ずってしまう。最初に会ってからその姿を見かけることはなかったため、つい驚いてしまった。椅子から立ち上がると、軽く頭を下げた。
「少しばかり出かけていまして。お久しぶりです」
「は、はい。お久しぶりです。お元気そうで、よかった」
「体力はありますから。あ、これが噂のヒールストーンですね」
机に近付いてきたレオは、完成しているヒールストーンを手に取ると、口元に弧を描いた。
「綺麗ですね。怪我をされた人達にはもう実際に使ってもらっているのだとか」
「そうですね、そのようにノアが動いてくださって」
毎日ヒールストーンは消費されるが、作ることにも慣れてきたため供給に滞りはない。だからこそ、別のことが考えられる余裕があるのだが。
少しして、レオは手に持っていたヒールストーンを机の上に置いた。アリーシャと向き合う形で立つと、右手が差し出される。
「良いところを知っているのです。アリーシャにも、見てもらいたいなと」
「良いところ、ですか? でも、わたし」
「さ、行きましょう」
左手が握られ、レオに引っ張られる形で部屋を出る。
「レオ!?」
「今の時間帯がとても綺麗に見えるので、急ぎましょう」
扉を閉めると、いつの間にか手にしていた鍵で施錠し、レオはアリーシャをどこかへ連れて行こうと歩いていく。
せめて、どこへ行こうとしているのかは教えてほしいが、ついてからのお楽しみだと教えてくれない。
ここは、レオに任せるしかないか。アリーシャは観念して、レオについていくことにした。




