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昼食も豪華だった。
肉か魚を選ぶことができ、パンも焼き立てが出てくる。どれもおいしかったのだが、緊張からノアとの会話が弾まなかった。
これでは「気にしています」ということが手に取るように丸わかりだろう。
昼食を終えた今は、アリーシャとノアは再び作業に入るために廊下を歩いていた。もちろん、二人の間に会話はない。
何か、何か話しかけなければ。うんうんと頭を悩ませていると、こほん、とわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「その、ルカなんだが」
「は、はい。何でしょうか」
「父上と母上から、そして俺から話を聞いたので、わざわざ挨拶は必要ないそうだ」
「そ、そうですか」
そのことを告げるために、またアリーシャの補足説明をさせるために、ルカはノアを呼んだのだそうだ。
レオとは違い、何だか冷めているような、そんな印象を受ける。
必ずしも魔法に、アリーシャに興味を持ってほしいというわけではないが、ここまで興味を持たれないこともこの世界では初めてだ。
「ルカ様は、どのような方なのですか?」
「頭のいい奴だ。性格は変わっているが……薬の開発に携わっていて、ルカの薬で助かっている者は多いはずだ」
だから、とノアは続ける。
「治癒魔法には興味があると言っていた」
病や、毒だろうか。ふと頭に過った。
もしそうならば、それはできない。病を治すことは誰にもできず、解毒は僧侶しかできないのだ。治癒魔法はあくまで傷を癒すものであり、状態異常はまた別のもの。
もし、それを訊かれたとして、こう答えたとしたら。
どう思われるのだろうか。治癒魔法と謳っておきながら、役に立たないと思われてしまうかもしれない。
「アリーシャ?」
「ご、ごめんなさい。少し考えごとをしていました」
「さすがに解剖したりはしないと思うが……ルカと会うときは、俺も一緒に会う」
だから心配しなくていいとノアは口元を綻ばせる。
(そこまでは考えていませんでしたが……解剖をされる場合もあるのですね)
部屋の前に着くと、ノアが持っていた鍵で施錠を解除する。扉を開ければ、そこには宝石の欠片の山と、黒く変色した数多の石、そして、いくつかの光り輝く宝石の欠片が姿を見せた。
「すみません、お昼からも付き合っていただいて」
「気にしなくていい。アリーシャの護衛も兼ねているからな」
王子であるノアが直接しなくてもいいのでは、と思いつつも、この世界で一番気心の知れた相手が近くにいてくれるのはありがたい。
さて、とアリーシャは魔力を込めた宝石を一つ手に取る。魔力はしっかりと込められており、これ自体に何も問題はない。では、何が原因で失敗したのか。それを考えていた。
この宝石の欠片には、治癒魔法に必要な魔力を込めている。かけた魔法も失敗はしていない。
それでも、あの宝石の欠片は砕け散った。結果、レオが怪我を負ってしまった。
いろいろと思考を巡らせたが、思いつく要因はたった一つ。アリーシャは手に持っていた宝石を両手で包み込み、深呼吸をしてから口を開いた。
「癒しの光よ、ここに来たれ」
アリーシャの両手から漏れ出る光。隣に立っているノアは、眩しそうに目を細めながら様子を窺っている。
ここまでは、午前中と変わらない。が、違いはすぐにはっきりと出た。
光が落ち着く速度が違うのだ。その様子に、アリーシャ自身も手応えを感じていた。同時に、考えていた要因が当たっていたことにも。
完全に光が落ち着き、アリーシャはノアと視線を合わせる。両手をノアの前に出し、そっと開くと──そこには、淡い光が灯った中心に灯った宝石が転がっていた。
「成功、してます」
「やったな!」
「は、はい。よかった……」
ここからが本番だ。実際に、この宝石で治癒魔法が使えるかどうか。
本当にノアに頼んでいいのだろうかと彼を見ると、信じられないものを見たかのような顔で固まっていた。
「ノア?」
「……すまない。笑っていた、から」
「え? わ、わたし、ですか?」
アリーシャしかいないだろう、とノアの嬉しさを全開に出したくしゃっとした笑顔に、自然と口元が綻んだ。
自分でもそれがわかったからこそ、恥ずかしくなり顔を背けてしまった。
「そんな風にしてアリーシャは笑うんだな」
もう、随分と浮かべていなかった笑顔。笑顔など忘れてしまっていた気にもなっていたが、笑えた。
ノアのおかげだ。ああ、本当に。この世界に来て、彼に出会って。
アリーシャは、変わろうとしている。いや、もうすでに変わり始めている。
「すまない、アリーシャ。こちらを向いてくれないか」
「は、はい。すみません。何だか、恥ずかしくて」
こほん、と今度はアリーシャがわざとらしい咳払いをし、再び両手の中にあった宝石を見せた。
「あとは、これが本当に使えるかどうかです」
「わかった。では、早速試してみよう」
ノアは机の上に置いてあった宝石の欠片を一つ手にした。
それは、午前中に砕け散った宝石の欠片の一つ。かなり鋭利に尖ったものだ。それを手にして彼が何をしようとしているのか、すぐに想像がついた。
「だ、駄目です。わたしが作ったものを、わたし自身が試さないなんて」
「俺が望んでしていることだ。気にしなくていい」
「ですが」
「アリーシャの手伝いがしたいと思っても、できることなどほとんどない。これくらいはさせてくれ」
怪我にも慣れている、と笑うと、ノアは欠片を強く握り締めた。
今、彼の手のひらには欠片が刺さっているはずだ。もちろん、痛みが襲ってきているはず。それでも、表情は曇らない。
ぽたりと手から血が伝い、床に落ちる。ぽた、ぽたと連続して落ちたのを確認すると、ノアはゆっくりと手を開いた。
欠片は手のひらを傷つけ、溢れ出た血で赤く染まっている。
アリーシャはそれで自身が傷つくことも厭わずその欠片を手に取り、代わりに治癒魔法を込めた宝石をノアに手渡した。
「これを、傷口の近くに」
「当てなくてもいいのか?」
「はい、大丈夫です。これで治癒ができれば、本当に、成功です」
アリーシャの言葉に頷くと、ノアは宝石を傷口のすぐ真上に持っていった。ノアの手のひらを傷つけた欠片を机の上に置き、アリーシャは静かにその様子を見守る。
考えたくはないが、失敗している場合もある。いつでも、治癒魔法をかけられるように準備もしていた。
二人が固唾を呑んで見守っていると、宝石が淡く光り出す。その光は次第に大きくなり、怪我をしたノアの手を包み込んだ。
アリーシャも、ノアも。一言も発さない。
宝石から放たれた光は、ノアの手のひらにあった傷を癒していく。癒すたびに淡い光も少しずつ、少しずつ消えていき──完全に光が消えると、傷口も綺麗に消えていた。
「あたたかくて、心地いい。アリーシャの魔法と同じだ」
言い終えると、ノアは勢いよくアリーシャを抱きしめた。
「ははっ、やった! 成功したぞ! アリーシャ!」
「ノア!?」
身体が少し離され、ぐっと身体が持ち上げられる。くるくるとその場で何回か回ると、最後は向き合った形で抱き上げられた。
「自分のことのように嬉しいんだ。おめでとう、アリーシャ」
「……っ、ありがとうございます、ノア」
ゆっくりと下ろされ、二人はもう一度宝石を見る。役目を終えたため光を失い、ただの石と化していた。
「この宝石は、ヒールストーンと名付けようかなと思っています。いかがですか?」
「ヒールストーンか、いいな。俺もこれからそう呼ぶとしよう」
残りの宝石もすべてヒールストーンにできればいいが。まずは魔力を込められるかどうかか、と思っていると、ノアが魔力を込めてある宝石を手に取った。
「午前中はどうして失敗したんだろうな。条件は同じだったはずだが」
「いいえ、違ったのです。……容量のお話はしましたよね」
アリーシャはノアの傷を癒したあとに石と化したものを手に取った。
「午前中の宝石も、今使ったこの宝石だったものも。どちらも魔力を込めるところまでは成功していました。ただ、午前中の宝石は、魔法をかけられるほどの容量は残っていなかったのだと思います」
「どういうことだ?」
「魔法をかけると、容量が少しだけ増えるそうです。おそらくですが、魔力分の容量はあったけれど、魔法をかけることで増える容量分までは空きがなかったのかなと」
魔法をかける前に気付くことができればいいが、手探りでやっていくしかない。
しかし、午前中に魔法をかけて失敗した宝石と同じものは、もう何をしても失敗するだろう。とはいえ、このままではもったいない。何かに使えないだろうかと思いつつも、案は浮かばず。
すると、ノアが手にしていた宝石をアリーシャの前に差し出した。
「アリーシャは防御魔法も使えるだろう。例えばだが、この宝石にかけることはできるのか?」
「治癒魔法の代わりに防御魔法を込めるということですか?」
「いや、そうではない。失敗した宝石は、砕け散ったのだろう? それもかなりの勢いで」
そうだ、レオがハンカチで包んでいなければ被害はもっと広がっていただろう。
「ある程度の衝撃には耐えられるように防御魔法をかけて、敵に投げつけるのはどうかと思ったんだが」
どのように防御魔法を維持するかの問題はあるが、解決することができたとしたら。
防御魔法でコーティングした宝石を勢いよく投げれば砕け散り、敵側にもある程度のダメージを与えることができるようになる。
戦う術を持ち得ない者でも、これで逃げる時間くらいは稼げるかもしれない。
「すごい、ですね。わたしは、魔法はマジックアイテムを生成する以外では、人や生き物にかけることばかりを考えていて」
きっと、両親やウィリアムもそうだ。魔法とは、そうであるものだと。
「魔法を見てきて思ったんだが、あらゆる可能性を秘めているように思える。それこそ、アリーシャだけの魔法だって考えられるんじゃないか?」
その言葉に、アリーシャの世界がひっくり返ったような、そんな気がした。




