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「本当に申し訳ないことをしました。何度かノックはしたのですが、かなり集中されていたようですね」
「い、いえ、謝罪しなければならないのはわたしです。ノックに気付かないばかりか、大きな声を出してしまって」
レオが謝らなければならないことなど一つもない。非礼を詫びなければならないのはこちらだと、アリーシャは頭を下げる。
こちらから挨拶に伺うのが礼儀だと考えていたのだが、まさかこのような形でレオと会うことになるとは。
そもそもだ。何故ノックに気が付かなかったのか。集中していたにしても、施錠もしていないため誰が入ってくるかはわからない。そこはアリーシャがしっかりと気を付けておかなければならなかった部分だ。
初対面の相手に、それもノアの兄であるレオに非礼に非礼を重ねてしまっている。もう一度謝ろうと口を開こうとしたとき、右肩に手が置かれた。顔を上げると、レオは眉尻を下げ、困ったような笑みを浮かべている。
「集中していたところに来た私が悪いのです。声を出して驚くのは当然ですよ」
少し膝を曲げ、アリーシャに視線を合わせようとしてくれているところに、彼の気遣いと優しさを感じる。
「けれど、貴女はご自身が悪いと考えている。なので、ここはどちらにも非があった、ということにしませんか?」
どっちもどっち、お互い様というわけです、とレオは笑った。そして、この話を切り上げるかのように、アリーシャの右肩から手が離れる。
正直、もっと怒られるものだと思っていた。アリーシャの兄であるウィリアムは、少しのミスも許さない。先程のようなことをウィリアムにしていれば、これでもかと罵声を浴びることになっていただろう。
同じ兄でも、こうも違うのか。
「今朝帰ってきたのですが、その際に父と母から貴女の話をお聞きしまして。是非お会いしたいなと」
「そ、そうだったのですね。すみません、お帰りになられていたことにも気付かず……本来であれば、わたしから出向かなければならなかったのに」
「先走ったのは私ですから」
それよりも、とレオは机に近付き、アリーシャが魔力を込めた宝石を一つ手に取った。
「アリーシャさんは、おとぎ話の聖女のような力を持っているのだとか」
「似て非なるものだと思いますが……わたしの力は、魔法と呼ばれるものです」
「ああ、父も母も言っていました。魔法と呼ばれる不思議な力を使う、別の世界から来られた方なのだと」
もうそこまで知っているのならば、これ以上言うことはない。ノアも事情までは話さなくてもいいと言っていた。アリーシャは「はい」と小さく頷く。
それに、と思う。なんとなく、アリーシャとノアだけの、二人の秘密にしておきたかった。
「これは何をされていたのですか?」
レオは手に持っていた宝石をアリーシャに見せた。
「は、はい。魔力を込めていました」
宝石で何をしようとしているか、何がしたいか。ノアに説明したとおりにレオにも話した。
相槌を打ちながら真剣に聞いてくれるレオに、ノアと出会った日のことを思い出す。別の世界から来たなど信じがたい話だったはずだが、ノアは真剣に聞いてくれていた。
「なるほど。この宝石にアリーシャさんの魔法を込めるのですね。そうすれば、我々も使い切りとはいえ、魔法が使えるようになると」
アリーシャの話を聞いたレオは、目を丸くしながら手に持っている宝石を眺めている。この宝石が、そんな道具になるのかと言いたげに。
「これから魔法を込められるのですか?」
「いえ、ここにある宝石すべてに魔力を込めてからにしようかなと思っていまして」
「そうですか……」
レオは手のひらに宝石を乗せ、じっと眺めている。口元は弧を描いているものの、どこか寂しそうに見えるのは何故だろうか。
アリーシャの思い過ごしなのか、それとも。
「……あの、今、レオ様がお持ちの宝石に魔法をかけてみましょうか」
ただの思い過ごしなのであれば、それでいい。
だが、レオが魔法を見てみたいと思っていたのだとしたら。
「いいのですか?」
レオの表情が明るくなった。花が咲いたような笑みに、ノアが喜んだ姿が頭に浮かぶ。さすがは兄弟。よく似ている。
「ははっ、嬉しいな。魔法というものをこの目で見てみたいと思っていたので」
「その、成功すればいいのですが」
「結果は気にしませんよ。私は、アリーシャさんの魔法が見たいのです」
レオの嬉しそうな笑みと言葉に、彼の魔法への期待が感じられる。
(話だけを聞けば、期待が膨らむのは当然ですね)
これまでもそうだった。こんな自分なんかの魔法に、と申し訳なく思いつつ、アリーシャはレオから宝石を受け取ると両手で優しく包み込む。
できれば成功させたいところだが。魔法を見たいと言ってくれた、レオのためにも。
もし、成功すれば。それは、ノアが戻ってくるまで置いておこう。まだどうするかは決めていないが、最初に試したいと言ってくれていた。
よし、とアリーシャは気合を入れ、息を吸う。
「癒しの光よ、ここに来たれ」
宝石が強く輝きだす。その光はアリーシャの両手から漏れ出るほど。レオは驚きから口を少し開き、目を丸くしていた。
成功すれば、次第に光は宝石の中へ収束していくはず。そのはずなのだが、どうも様子がおかしい。落ち着いてはきているものの、思ったほど光が収束しない。
──これは、失敗している。アリーシャは両手を開き、今もまだ強い輝きを放つ宝石を見た。こうして見ている分には神秘的に感じるが、とても不安定な出来だ。このまま使えば、宝石は粉々に飛び散る可能性がある。ノアにはもちろん、誰にも渡せない。
「すみません、失敗してしまったようです」
「失敗、ですか? こんなにも力強い光を放っているのに」
「本来であれば、この光は収束して宝石の中心に淡い光が灯るのです。ですが、これは宝石全体から強い光を放っている……失敗です」
あとで、人気のないところを教えてもらい、そこでこの宝石を処分するしかない。
それにしても、成功したかった。残念だ、そう思っていると、アリーシャの手から宝石が消えた。
レオが宝石を手に取ったのだ。
「だ、駄目です! 危ないです!」
「アリーシャさんは失敗だと仰いましたが、何かに使えるかもしれませんよ」
「魔法が込められた失敗作です、何が起きるかわかりません!」
少しの刺激で壊れる可能性だってあると伝えようとしたとき、ぴし、と宝石に亀裂が入る。
その様子を、アリーシャとレオが見逃すはずがなかった。
亀裂が入った宝石は、更に光が溢れ出す。レオはそれをどこからか取り出した白のハンカチに包み込むと、なるべく遠くへと放り投げ、アリーシャを抱きしめた。
突然のぬくもりに驚く暇もなく、宝石はガラスが割れるような音と共に砕けた。その音にアリーシャは肩をびくりと震わせて目を瞑る。
少しして、おそるおそる目を開けてみると、思ったよりも破片の飛び散り方が激しくなかった。レオが包み込んだハンカチのおかげで、飛び散る際の威力が抑えられたようだ。
「大丈夫ですか?」
頭上から聞こえてきた声に、アリーシャは視線をそちらに向け──ひゅ、と息を呑んだ。
「すみません、このようになるとは思わず」
「い、いえ、そんなことよりレオ様、お怪我を……!」
レオの顔には、こちらに飛んできた宝石の破片でいくつもの傷がついていた。
本来であれば、この傷はアリーシャが負っていたはずの傷。それを、彼は咄嗟の判断でアリーシャを抱きしめ、護ってくれたのだ。
きちんと説明をしておけば、防げていたこと。アリーシャはつま先立って伸び上がると両手をレオの両頬に触れる寸前のところまで持っていく。
「癒しの光よ、ここに来たれ」
淡い光がレオの傷を癒していく。
失敗したときのことも、話しておくべきだった。成功させたいこと、レオに魔法を見せたいこと、そればかりに気を取られすぎていた。
「これが魔法ですか。なんてあたかかくて優しい光だ」
ふわりふわりと漂う淡い光を目で追いながら、レオはどこか嬉しそうに微笑んでいる。
傷が治ったことを確認すると、アリーシャはそっと両手を下ろした。つま先も下ろし、レオから視線を逸らすように顔を俯ける。
「わたしの説明不足でこのような事態に……怪我も、本来であればわたしが負うはずだったもの。本当に」
「アリーシャさん」
謝罪を遮るように名を呼ばれおずおずと顔を上げると、アリーシャの唇にレオの右手の人差し指がそっと添えられた。彼は小さく首を横に振り、微笑みを崩さない。
「ここは、感謝の言葉をいただきたい。私は、謝罪よりもその言葉がほしいのです」
レオの人差し指が、唇から離れる。
待っているのだ、彼は。アリーシャの唇から紡がれる感謝の言葉を。
これまで、失敗をしてもこのように言ってくれた者はいなかった。どう生きれば、どう育てば、この人のように人格の優れた人間になれるのだろう。なんて、すごい人なのだろう。
何より、レオの声はとても安心できるのだ。物腰がやわらかく、落ち着く声。だからだろうか、今はアリーシャの気持ちも随分と落ち着いていた。
「ありがとうございます、レオ様」
「いいえ、アリーシャさんに怪我がなくてよかった」
コンコン、と扉を叩く音がした。二人の視線は自然と扉に向けられる。
はい、とアリーシャが短く返事をすると、扉が開き、見知った金色の髪が目に入った。
「ノア!」
ノアの姿に思わず嬉しくなるも、彼の表情は険しい。
「レオ、何故お前がここにいる」
「おや、ノア。もう戻ってきたのですか。もっとルカと話をしてきては?」
どことなくぴりっとした空気に、アリーシャはどうすればいいかわからない。
(お二人は、仲が悪いのでしょうか……?)
ノアが戻ってきて残念と言いたげに肩を竦めるレオ。それに対し、早く出て行けと言いたげに苛立ちを露わにするノア。
間にいるアリーシャは、おろおろとしながら二人を見ることしかできなかった。




