2
ノアに支えられながら、アリーシャは馬車を降りる。長いようで短かった馬車の旅。それでも、地面に降り立つのが久しぶりのように感じられる。
「具合は大丈夫か?」
「はい、まだ揺れている気はしますが」
「時間が経てば治まるはずだ。……さて、ようこそ、モルガンの国へ」
アリーシャはゆっくりと辺りを見渡した。
辺りは大きな白い壁に囲まれ、重厚な門がある。今し方、馬車でそこを通って中に入ってきた。建物も白を基調としているものが多く、地面は石畳が綺麗に敷かれている。ティンタジェルの村とはまた違った雰囲気だ。
ガシャガシャと音を立てながら銀色の鎧を纏った兵士達がやってきた。ノアの姿を見ると驚きの声を上げたものの、彼の前でぴたりと止まると背筋を伸ばし、顎を引いた。右手の手のひらを少し外に向けたあと、右肘を肩の高さまで上げ、人差し指と中指をヘルムの右端に当てる。敬意を表す仕草なのだろう。ノア自身も、これまでとは違う厳格な空気を纏っていた。
これが、王子としてのノアの姿なのかもしれない。
「ご帰還お待ちしておりました。本当にご無事でよかった。国王様も王妃様も報告をお聞きしてご安心されておりましたよ」
「心配をかけてすまなかった」
「そちらの女性は?」
以前にもあったやりとりだ。名乗ろうとするが、ノアの手がアリーシャの左肩に添えられ、そっと引き寄せられる。
「こちらの女性は、アリーシャ・メイ・ホワイト。俺の命を救ってくれた恩人だ」
「では、負傷した兵士達を不思議な力で癒したというのも……」
「アリーシャだ」
そうでしたか、と驚嘆の声で呟くと、兵士は再び敬意を表すような仕草を取った。
「兵士達を代表し、心より感謝申し上げます。ノア様を救ってくださっただけではなく、負傷した兵士達まで救ってくださるとは」
「い、いえ、あの、できることをしたまでなので」
「ですが、その……恐縮ですが、どのような力なのでしょうか」
それもそうだ。王子であるノアがそう言っているとはいえ、中々に信じがたいはず。ティンタジェルの村で子ども達に見せたように、何か──と辺りを見渡していると、一人の少女が空に向かって手を伸ばしていた。
手が伸ばされた先には、ふわふわと風に身を任せて飛んでいく、紐がついた丸くて淡いピンク色の何か。
アリーシャは魔力を全身に行き渡らせると、とん、と地面を蹴った。身体はふわりと空へ舞い上がり、丸い何かについた紐を握る。下からはノアと兵士、そして少女の喜ぶ声が聞こえた。
よかった、と胸を撫で下ろし、そのまま地面へ降り立つ。少女がアリーシャの近くまで駆け寄ってきたため、膝を追って視線を合わせ、手に持っていた紐を手渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、お姉ちゃん! すごいね、お空が飛べるんだね!」
どう答えるべきかわからず戸惑っていると、少女の視線はアリーシャの後ろにいるノアに移った。
「あ、ノア王子だ! ママが、ノア王子が大怪我をしたって言ってたよ。大丈夫なの?」
「ああ、このお姉ちゃんに治してもらったからな」
「お姉ちゃん、そんなこともできるの⁉ みんなにも教えてあげなきゃ!」
無邪気な少女は手を振り、どこかへ走って行った。
その少女を見送り、アリーシャはノアと兵士を振り返る。先程は少女が困っていたから手を貸しただけのこと。他に何かしなければと思っていたのだが──どうやら必要は無さそうだ。
二人は大きく目を見開き、少年のように輝かせていた。
「それよりもすごいな、アリーシャ! 空を飛べるのか!」
「す、すばらしいです! 不思議な力とは、このようなことも可能になるのですね!」
無礼を働いて申し訳ないと頭を下げられてしまい、アリーシャは慌てて謝る必要はないと言いながら首を横に振った。
「疑問を抱くのは当然のことですから。なので、頭を上げてください」
「この不思議な力は、魔法と呼ぶそうだぞ」
「魔法、ですか。私はてっきり、おとぎ話の聖女様の再来かと」
アリーシャが別の世界から来たことをノアが話すと、兵士は更に目を丸くしていた。信じられないと顔に書きつつも、アリーシャが空を飛んでいたことも目にしていたため、最後は何とか受け入れてはくれたようだ。
場の空気を変えるためか、兵士はこほんと一つ咳払いをすると頭を下げた。
「では、城へ向かいましょう。向かうついでに、その元気なお姿を国民に見せてあげてください。皆、ノア王子のことを心配していましたからね」
兵士を先頭に城へ向かって歩き出す。先程の少女から広まったのかはわからないが、建物から外に出ている者が多かった。ノアの姿を見ると誰もが顔を綻ばせ、涙ぐむ。
ノアは凛とした表情で歩きながら国民に軽く手を振り、しっかりと応えていた。城へ着くと後ろをついてきていた国民へ頭を下げ、心配をかけたことを謝罪しているかのようだった。
アリーシャが知らない、ノアの王子としての一面を見たような気がした。
* * *
城と呼ばれる建物には、元の世界でも入ったことがない。だからか、アリーシャは少しばかり興奮していた。
城壁や街の建物同様、白を基調としているようだ。天井に吊るされている大きな照明器具のようなものや、壁や柱にある青色や金色の装飾が美しい。中央には大きな階段があり、赤い絨毯が敷かれている。
息を呑む美しさだと感動していると、ノアがこちらを見て微笑んでいた。子どものようにキョロキョロと忙しなかったかもしれない。恥ずかしさから顔を赤く染める。
こちらへ、と兵士に案内されて歩くアリーシャ達。場内は静かで、三人の足音のみが響いている。
廊下には花瓶が等間隔に置かれ、綺麗な花が生けられている。素敵だと思いながら歩いていると、前を歩く兵士から話しかけられた。
「ノア様があのように感情を表に出している姿は、初めて見ました」
「そうなのですか?」
「お、おい」
ノアが慌てた様子で止めに入るも、兵士の話は止まらない。
「ええ。普段から感情を表に出される方ではありませんから」
確かに、最初はあまり表情を変えていなかったような気もするが、今はそうは思わない。コロコロと変わり、時折幼く見えることもある。
(幼いって、失礼でしたね。わたしよりも年上の方なのに)
そういえば、勝手に年上だと思っていたが、実際ノアは何歳なのだろうか。この世界のことを尋ねたり、おとぎ話の聖女のことを教えてもらったりはしたが、ノア自身のことはあまり訊けていない。
「……何かついているか」
じっと右隣にいるノアのことを見ていると、その視線に気付いたのか横目でじろりと見られてしまった。
表情は凛としたままだが、声色は明らかに不貞腐れている。兵士が気付いているかはわからないが、やはりわかりやすい。
何もないです、と視線を前に向けると、兵士が大きな扉の前で立ち止まった。
「こちらで、国王様と王妃様がお待ちです」
コンコン、と扉を叩き、ノアが来たことを告げる兵士。中から返事があり、アリーシャに緊張が走る。
この扉の向こうに、ノアの両親が、国王と王妃がいるのだ。
視線を下げて胸元で両手を握っていると、右肩に手が置かれた。
「大丈夫だ」
ノアの言葉に、アリーシャは小さく頷き、視線を上げる。
「さあ、お入りください」
ゆっくりと扉が開かれ、アリーシャとノアは中へ入って行った。




