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「聖剣を手にしたアーサーは、何かしらの力を得たようだ。魔王の手下を圧倒し、魔王を難なく倒してしまった。モルガンの手助けを必要とせず、自分一人の力で」
歴史書を読めば読むほど嫌というほど伝わってきたと、ノアは眉間に皺を寄せた。
怪我一つ負うことなく。返り血を一滴も浴びることなく。敵を圧倒し、蹂躙し、その首を持つ姿は、まさに支配者そのものだと。
「この世界を治めるのは、アーサーしかいない。そう思われ始めたと同時に……モルガンの存在に疑問を唱える者がでてきた」
不思議な術を扱うモルガン。なんて気味が悪いのか。魔王がいなくなった今、次はモルガンがアーサーの脅威になるのではないか。
そうして、モルガンはブリテンを追い出された。着の身着のまま、両親に別れの言葉を告げることすら許されずに。
されど、追い出したところでモルガンは生きている。その脅威に備えるために、円卓の騎士が構成された。アーサーに忠誠を誓う、精鋭の騎士達。
表向きはブリテンの近臣。内実は、モルガンへの対抗手段。ただ、それだけのために。
アリーシャが言葉を失っていると、ノアは置いてあった木製のジョッキを手にして一口飲んだ。重たい息を吐き出すと、ジョッキを手にしたまま話を続ける。
「ただ、モルガンを支持する者もいたんだ。だから、彼女は絶望することはなかったのかもしれない。そして、その者達と共にモルガンは国をつくった」
それがここ、とノアは折れた枝でこの国がある場所を指した。
「国を築いた彼女は、その生涯を民のために捧げ、聖女と呼ばれるようになった」
「それが、今はおとぎ話として語り継がれているんですね」
理不尽な理由で国を追い出されたモルガンだが、一人ではなくてよかった。モルガンのことを理解し、支えてくれる人達がいてくれてよかった。
ノアが、あたたかくて優しい理由がわかった気がする。
「俺が言うのもなんだが、いい国だろう」
「はい、とても」
ノアは嬉しそうに微笑むと、再びジョッキを口元に持っていった。
「ですが、まおう、というのは、アーサーという方が倒されたのですよね? まだいるのですか?」
「二、三年前だったか。そう名乗る奴が突然現れた。まだ誰も魔王のいる場所まで到達できていない」
そうなのですね、とアリーシャはずっと持っていたオレンジジュースが入ったジョッキに視線を落とした。まだ、あのような敵が襲ってくる可能性があるのかと。
──さわさわと、頬を撫でるような風が通り過ぎていく。平和で穏やかな時間のように思えるが、実際は魔王とやらにいつ襲われるかわからないという日々。また、残念なことに周りに味方もいない。
けれど、誰もが笑顔を絶やさず、明るく活き活きと過ごしている。これは、聖女──モルガン・ル・フェの賜物だろう。彼女の意思が、後世にしっかりと引き継がれている。
ならば、アリーシャは。どんな事情であれこの世界に来たのであれば、モルガンの国にいるのであれば。魔法で、何かできないだろうか。
聖女と呼ばれたモルガンが、護ろうとしたように。
(わたしは、モルガン様に比べると頼りないですが)
それに、これからのことも考えなければ。ノアとの別れが近付いている。残っているオレンジジュースを飲み干し、トレイにジョッキを置いた。
「ノア、ここまでありがとうございました。この世界のことも知れましたし、何よりノアからいただいた言葉は一生の宝物です」
「アリーシャ、そのことなんだが」
手にしていたジョッキをトレイに置き、ノアはアリーシャに向き合う。
「このまま一緒に行かないか、国へ……モルガンに」
正直、嬉しい提案だ。とはいえ、首を縦に振ることができなかった。
そこまでノアに甘えていいものかと、さすがに良心が痛んだのだ。
「その、なんだ」
ん、とノアは言い淀み、視線を逸らす。よく見ると、両頬が赤く染まっている。
「……俺はまだ、アリーシャの笑顔を見ていない」
アリーシャの顔が瞬時に赤く染まる。
そういえば、この村へ来る前に言っていた。アリーシャの笑顔が見たい。自分の言葉が、アリーシャに届いてほしいと。
もっと別の理由があるのだと思っていた。これからも怪我人の治癒をしてほしいとか、魔法を、魔力を国のために役立ててほしいとか。
違った。あの言葉も、嘘ではなかった。
彼は、本当に。本当に、アリーシャの笑顔を見たいと思ってくれていたのだ。
「ご迷惑では、ありませんか?」
「迷惑なんてとんでもない。部屋なら有り余っている。角部屋だってあるぞ」
それはどういう意味かと疑問を抱きつつも、アリーシャもノアに向き合った。
「ノアが育った国に、連れて行ってくださいますか?」
その言葉を聞いたノアは顔を綻ばせ「善は急げだ」と立ち上がると、明日にでも国へ帰ることを兵士達に報告しに行った。突然のことに驚きつつも、兵士達が反対している様子はない。
こうして、アリーシャはノアがいた国、モルガンへ明日向かうことになった。
 




