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空回し 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おおっと、この夜分に元気なエンジン音だな。動かないところを見ると、空ぶかしか。ここのところは珍しい。

 今でこそ迷惑行為になることが多い空ぶかし、昔はよく行われていた。とはいえ、アイドリングと混同されているふしはあるな。

 エンジンのもろもろが今とは違うつくりで、冬場とかの冷え切った空気の中、いきなり全力で始動させると寿命を縮めやすい。

 いまでこそンジェクションエンジンのように調整をしてくれる機能はあるが、昔の主流のキャプレターにはそれがなかった。スムーズな始動のためには、手ずからセルを回してやるのも悪い選択じゃなかったという。

 

 エンジンのシステムが変わった現在じゃ、空ぶかしは必要性が薄まり、威嚇や騒音にとられがち。時代の流れについていかないと、自分はよくても周囲に迷惑をこうむるからな。なんとも難しいものだ。

「空っぽ」で何かを行う。エンジンを吹かせるのはともかく、他のことだと、怖さがつきまとうのもしばしばだ。得体が知れないからな。

 俺も以前に、「空」で行う奇妙なケースに出くわしたことがある。その時の話、聞いてみないか?



 学生時代に、アパート暮らしの友達の家へ遊びに行ったときだ。

 午前中に訪れたところ、少し離れたところでも聞こえるくらい、洗濯機を回す大きな音がする。

 かのアパートは、各部屋の前に縦型の洗濯機を置くスタイルをとっていた。音が響くのは珍しいことじゃないのだけど、そいつが今日は妙なんだ。

 友達の部屋は一階の角部屋なのだが、そこに至るまでに前を通る部屋の数は5つ。そのどれもが洗濯機を回しているんだ。


 当時は旧式なのか、機能がついていなかったのか。フタを開けたまま、洗濯槽を回すことができた。ここの洗濯機も同じだ。

 だが、部屋に至るまでのどの洗濯機も、中に何もない状態で回っていたんだよ。

 服どころか水さえ入っていない。ただただ、洗濯槽が右へ3回転、左へ3回転を繰り返している。層の底は車輪のハブのような柄で、あたかも前進と後退を繰り返しているかのようだったよ。

 友達の部屋の洗濯機もまた、同じ動きを見せている。さすがにこいつはおかしいのではと、部屋へあげてくれた友達に話を聞いてみる。


「ああ、今日はたまたま『空回し』の日なんだよ」


 こともなげに、友達は話した。


 友達の住むアパートには、ふた月に一度、この空回しが大家さんの手によって行われるらしい。

 大家さんのみが知る、特殊な操作があるのか。洗濯槽は空の状態のままで6時間以上は回り続ける。事前に通達がされているから、住民たちはそれまでに各々の洗濯物を終えてしまうんだ。

 なぜこのようなことをするかというと、大家さんいわく、洗浄のためだという。

 日々、洗濯槽は大量の水を抱え、回されるものだから肉眼に見えない、部品のすき間などに水が溜まってしまう。それらを乾かさないでいるとサビなどの故障の原因となるため、こうして定期的に大家さんが操作をするのだと。

 水を含まない空の状態での回転運動は、これまた目に見えない汚れを外へ弾き出してくれるらしい。


 俺にとってはまゆつばものの話さ。

 だったら今ごろ、俺んちを含めた各家庭の洗濯機は次々と故障して、電機屋およびメーカーはもうけにもうけているはずだ。

 家計が火の車なり、首が回らなくなるなりと、文句のひとつも飛び出してくるべき。

 そういうも、友達としては住まわせてもらっているわけだし、悪くいう気はないらしかった。

 部屋の中にいても、洗濯機の音は外から響き続けている。我慢できないほどじゃないが、いつも通りの静けさとは縁遠い。

 それでも部屋での宅飲みとまったりが優先。ひとしきり済んだところで、俺たちは二人ともうとうと眠り込んでしまったんだ。

 

 

 ふと、俺だけが目を覚ます。

 寝入ってから数十分程度。洗濯機の音は止まっていた……と思う。

 というのも、代わりにざぶざぶと水をすすぐような音が響き出していたからだ。

 確かに、空の洗濯機が回っているのを見ている。もしや「空回し」とやらが終わるや、他の住人が新しく洗濯物を入れて、回し始めたのか?

 そっと置き出して、様子をうかがおうとする俺。

 玄関のドアのすぐ横にコンロなどを置くキッチン。そこから壁ひとつを隔てた向こう側に、件の洗濯機が設置されている。

 近づいていって、ふと確認が取れた俺は足を止めてしまう。


 最初はよその部屋のものが回っていると思った。だが、この水音はどうやらすぐ外にあるもの。友達の部屋に設置されているものから聞こえているようだったんだ。

 それも定期的に洗濯槽を回すような音じゃない。盛大に注がれている水の中に手を突っ込み、服をこすり合わせているかのような気配なんだ。昔ながらの、洗濯板を使っているかのような

 頭の中で可能性を巡らせる。

 友達が先に起きて、洗濯機を回したならば、こうも不規則な音を立てることはないだろう。

 不審者の可能性が高い。誰かの洗濯機を用い、たらい代わりにして自らの洗濯の用事を済ませようとする誰かが。

 この手合いには関わらない方がいいと、俺は思った。そっと息をひそめながら、音を立てないよう友達の元へ。彼はいっこうに起きる気配がない。

 一度たった音が気になってしまい、俺はそれらが消える一時間ほど、目が冴えたままだったよ。



 ようやく去る気配があって、俺は友達を起こして、おいとまをしたい旨を告げる。

 理由を聞かれて先ほどの件を話したものの、やはり友達は気づいていないらしかった。

 二人して、部屋の外へ出てみると洗濯機は確かに空ではあった。ただ、そこから続くアパートの地面にはぽつぽつと、紫色の水たまりがいくつもできていたんだ。

 敷地の外まで続いていた水たまりは、そこでふっと消えてしまう。まるで濡れたものを袋にでも入れたかのように。

 だが、空を見上げた俺たちは、まだ昼間の空の真ん中に浮かぶ、紫色の雲らしきものを見る。ちょうど地面に垂れていたものと同じくね。


「そら」と「から」。

 どちらも同じ字のよしみで、ああやって身体を洗いに来るのかもしれんな。

 


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