第9話 婚約破棄の行方
足を痛めている私を連れ出し乗せてくれた馬車は、我が家ではなくライリーの家の所有のものだった。
馬車を呼ぶならカスティール伯爵家の方が早かったというが、ならば何故貴方まで一緒に乗り込むんですか?そう突っ込みたいが、なにやら深刻そうな顔のライリーは気安く話しかけづらい雰囲気があった。馬車内になんともいえない沈黙が落ちる。
「……今まで、すまなかった」
「え?」
聞き間違いでなければ今、ライリーが謝った?
ライリー様なのに?
「リシェル公女との噂話があると聞いていたが、そんなに深刻な事だと気がついていなかったんだ。それなのに誤解を招く言い方をして、不安にさせて悪かった。それに最近になって知ったのだが、父からそちらに、その……」
「もしかして婚約破棄の打診の件ですか?」
「……そう、だ。情けない事だけど俺はどれほどエレノアさんを傷つけていたのか、それすらも知らなかった」
ライリーは珍しく意気消沈した様子をみせてたけど、私はものすごくホッとした。そうか……ライリーは知らなかったんだ。後になればちゃんと気がつけよとかすまないだけで済ませるなと文句が出てくるかもしれないが、今は良かったという気持ちで満たされていた。
だからもう、今までの疑問を訊かずにはいられなくなってしまった。
「でもライリー様は私と婚約破棄をしたいって言いましたよね……?」
「そんな事言うはずが無い!!どうしてそんな誤解をしているんだ!」
ライリーは心底心外だというように叫んだ。その様子はとても演技には見えない。
「だって私が倒れたあの日、ライリー様が先に言ったんじゃないですか。『お前とは婚約破棄する』って」
「うん?……あの時は『お前とは婚約者同士なのだから、まずは様付けをやめろ』と言ったんだが。もしかして最後まで聞こえてなかったのか?」
「え……えぇー……」
やっぱりというか、私の早とちりと勘違いだったらしい。
ははは……。めちゃくちゃ振り回された。
だけどあの勘違いが無ければ私がお店を出すことも、その後ライリーの意外な一面を見る事も無かったと思うと複雑だ。
(ということは私、まだライリーの婚約者ってこと?)
思い出す前の私なら、きっと飛び上がって喜んだだろう。だけど今は……。私はもう、以前のような自分にはなりたくない。
「……すみません、やっぱり婚約破棄って事にしてもらえないですかね?」
「それは無理だ」
キッパリと断られてしまった。
当事者なのに、交渉権が無い。
「いや、勘違いしていた私も悪いですが今さら『テンセイキッチン』を閉めるだなんて絶対できません!今までついてきてくれた従業員達にも申し訳がたたないし、何より私がやりたいんです!」
「それは今まで通り続ければいいんじゃないか?」
「わかってます、わかってますが私にも人生の夢というものがありましてですね……え、いいの?」
「まあ社交界では一部の頭の固い連中はあれこれ言うかもしれないが……別に犯罪を犯しているわけでも無いし、堂々としていればいい」
「だって最初、止めろって……」
伯爵令嬢としてライリーの婚約者でいるか、全てを捨てて夢を掴みに行くか。その二択しかないと思っていた私に、どちらも取ればいいと提示されて戸惑う。……そんな事が可能なのだろうか?
「そりゃあ苦労知らずの箱入り娘が前触れもなく労働したいだなんて言いだせば止めるのが普通だろう?だけど今はどれだけ本気なのかわかってるし、それにエレノアさんならきっとやれると信じてる」
信じてる。自信満々に言い切るその言葉が私の胸を熱くした。
「……もしかしてもしかしてなんですが、今までお店を手伝ってくれてたのって」
「?もちろん少しでも応援したいからに決まっている」
(そういう発想は無かった……!!)
今まで内心では大反対されてるのだと思い込んでたし、ライリーが私の為になにかをしてくれるだなんて期待は捨て去っていた。私と彼の関係は何も変わる事がないのだと諦めていた方がずっと楽だったから。でも本当にそうだろうか。
それにもう、とっくに私達の関係は以前とは違う気がする。
(……もしかして、大丈夫なのかな。以前のようにただ振り回されて疲弊していくだけの関係ではなく、こんな風に楽な気持ちで一緒にいることが出来たらなら……)
「……言っておきますが、これからの私はなんでもライリー様を一番に優先したりなんてしませんよ?」
「ああ。それはもう大分前からそうだな」
「後でやっぱり公女様と結婚したいとか言いだしても遅いですよ?」
「だからそれは……っ!事情があって説明できないが本当に違うんだ、信じてくれ!」
私は思わず笑ってしまった。
最初からこんなに必死に否定してくれれば、あんな勘違いもしないですんだのに。
「じゃあ……いいですよ」
私はそっぽを向いて、いかにもしょうがないという顔を作った。
「婚約破棄しなくてもいいです。レストラン経営したいなんていう非常識な令嬢でいいなんて言ってくれる貴族は、他にいないでしょうし。あ、でもそちらのご両親はライリー様が説得して下さいね」
我ながら素直でない言い方だが、私は私が信用できない。一歩間違えればすぐさま以前のような自分になりそうでそんな風にしか言えなかった。
「ああ、もちろんだ!任せてくれ」
ごく一般的な、むしろ頭の固そうなご両親にレストラン経営をするような令嬢を認めさせる事は簡単ではないだろうに。ライリーはいつものように自信満々で言い切ってくれた。