第6話 無視
あれから数日。恐ろしい事にライリーは今日もウチの店の厨房にいた。
(一応、国に認定された筋肉をこんな私利私欲に使っていいんだろうか……)
私は思い悩んでいた。他人に知られたら石を投げられそうなこの状況を、悪いとは思ってる。思ってはいるのだが……忙しいし……気のせいか本人も嬉しそうだし……。せめて次の代わりが入るまで……。
ずるずると考えを引き伸ばしながら、手元は食材を高温で一気に油で揚げる。中の水分がぎゅっと閉じこもり、食材が蒸し焼き状態になる。コツは温度を一定に保つこと。いっぺんに食材を投入するのは厳禁だ。揚げ物を仕上げていると裏口の方からライリーが顔をのぞかせた。
「おい……じゃなくて、エレノアさん、言われた食材を買ってきたぞ。これはどこに持っていけばいいんだ」
「あっ、お帰り!お肉類とお魚はすぐに冷蔵庫、ロイト茸は下処理をして天日干し、果物は全部常温保存だから裏の倉庫に入れてきて」
……いや、本当に悪いなーとは思っているんだけどね?
ライリーは料理人という観点からはド素人もいいところだったが、下働きとしてはなかなか良い仕事をしてくれた。まず腕力、体力が常人と桁違いなので買い出しや倉庫管理を一人で何人分もこなしてしまう。それに仕事がはじまってしまえば話もちゃんときいてくれるし対応も早い。すごい。
(ていうか長い婚約期間の中で、何かをお願いしたのって初めてじゃない?)
切羽詰まった状況っていうのと、どうせ婚約破棄されたんだから嫌われたっていいしという開き直りに背中を押されなければとても出来なかっただろうなぁ。それで実際にお願いしてみたら、思った以上に快く受けてもらったっていうね。絶対に断られるか、少なくとも嫌な顔くらいはされると思ってたのに。
本当に、本当に感謝している。その言葉に嘘は無いのだが……。
「ついでに野菜は水じゃなくて熱めのお湯でさらしてあく抜きしてくれる?あと生ごみが溜まってるから処分よろしく!」
「わかった、すぐに取りかかる」
ご飯時の厨房は戦場だ。そんな事をやらせてはという遠慮は次から次に入る注文に押し流され、いつの間にかすっかりあごで使いまくってしまっている。もはや毒を食らわば皿までの心境で、後の事は考えずに手を動かした。
ちなみに周囲には「なんか見覚えのある顔のような?」と首をかしげられドキリとしたが、夕方の注文ラッシュが始まってしまえば全員すぐに頭から吹っ飛んだようだ。本当にウチのスタッフは優秀だね。お給料日楽しみにしてて下さい。
……ところでライリーは騎士団に所属していたはずで、こんな所で油をうっていていいものなのかと思ったのだが、本人いわく問題ないそうだ。
騎士団は大きく二つに分かれていて正式に入団した正規騎士団と、それを目指す騎士団見習いとがある。学生が所属できるのは見習いの方。いわば下積みのようなものでお給料がほぼ出ない代わりに出欠は自由。ただし正規騎士団は狭き門なので、見習いをやれば誰でもなれるわけではない。これまでのライリーは平日だろうが休日だろうが空き時間があると騎士団にいたのでもっと厳しいものかと思っていた。
そして彼が契約書に追加した事項は二つ。
一つは私がお店に出る日は必ず事前に知らせる事。もう一つはお店の帰りは彼か、彼が用意した護衛に必ず屋敷まで送らせる事。その二つを約束してくれるなら、なんとお給料は無給でいいとのこと。気が付いた時にはサインしてましたね。
なので私は毎日絶賛気詰まり中で帰途に就くのであった。ちなみに契約期間中は『婚約破棄』の話題は絶対に出さないように言い渡してある。ライリーは何か言いたげだったが一歩も引かない私の気迫に、しぶしぶ了承してくれた。こんな目いっぱいの毎日の中にそんな爆弾まで抱えていられない。
婚約破棄された勢いがきっかけとはいえ、走り始めたからには中途半端で投げ出したくない。私は私にできることを全力でやり切りたかった。
◇◇◇
「やっぱり素敵ねえ、ライリー様」
婚約破棄を知らない友人達がほうっと溜息をつく。
急に何事かと窓の外を同じように見下ろすと、渡り廊下をライリーとその友人達が連れ立って歩いている。一学年上のライリーは最上級生で、これまた生徒会長やら宰相の息子さんやらの豪華絢爛なメンバー達と笑いながら歩いている。
こうやって見かける度に、私とは別次元の人間なんだなあといつものように実感しかけて……
(でもあんなに澄ました顔で歩いてるくせに、卵一つ割れないし)
私は数日前の特訓を思い出して苦笑した。割れないわけではないけれど、例の雑さでガンガン殻を入れてしまうのだ。とても商品としては使えない。
殻を入れないようにするには力任せに割ればいいものではなく、ちょっとしたコツがいる。まず最初のヒビを入れる時は角度の付いた場所ではなくて平面で叩く方が上手くいく。パカリと手本に割ってみせると、やたら素直に感心していた。彼に褒められるなんて初めての事ではないだろうか。みっともない所を見せたくなくて、そもそも何かを披露してみせるという事自体をやってこなかったし。
(ちょっと前まではライリーに出来ない事なんてないと思っていたからなあ)
今ならなんて馬鹿な事をってわかるけど、その時は本気でそう思っていた。私は本当にライリーの事を何も知らなかったんだな。ただ偶然手に入れた素敵な婚約者に熱をあげて、嫌われたくないばっかりに全部言いなりになって。
(あー……駄目だ。そこを深く考えてたらドツボにはまる。とにかく今は関係ないし!)
ライリーも酷かったが、私だってお互い様だった。冷静になれた今はそう思えた。一歩離れた関係になって頭が冷えて、むしろ今の方がずっと健全でいい関係を築けている気がする。……もしもっと以前からこんな風に付き合う事が出来ていたなら、婚約破棄をしなくても良かったのかもしれないなんて思ってしまうくらいには。
しかしそんな甘い考えも窓下の光景にすぐに吹き飛ぶ。
ライリーに長い金髪の目立つ美人が歩み寄っていく。遠目にだって間違える事はない、リシェル公爵令嬢だ。彼女は楽しそうに笑いかけ、当然のようにその腕をライリー様に絡ませて……。
ガタン!
私は窓の外を見ないように席を立ち上がり、次の移動教室のために急いで支度をした。
……嫌な出来事を思い出してしまった。私がライリーから婚約破棄を言い渡されたのだと、すぐに思い当たったのには理由があった。釣り合わなくなってきた婚約にずっと不安感をもっていたが、それを決定的にする出来事が。
あの時目に飛び込んできたのは、裏庭で一緒にいる姿だった。それも一瞬キスでもしているのかと思うほど近づいている二人にギョッとした。
「ああ、ほら取れましたわライリー様」
なんだ、目に入ったゴミか何かを取ってもらっていただけか。そんな風にほっとしたのもつかの間だった。公爵令嬢は背を向けているから私の姿は見えない。だけど私を正面から見ているライリーは、私の姿が見えている。なのに彼は目が合ったはずの私を空気のように無視し、公爵令嬢とその場を去っていったのだった。
(今まで、乱暴な言い方をされたり、一方的に言われっぱなしだった事はあった。だけど、目の前の私を無視することだけは無かったのに……)
それはどうしようもなく決定的な出来事のようで、私の不安を際限なく増長させた。平静を保てなくなった私は自らライリーを避けるようになり、そうしてあの婚約破棄を言い渡された日を迎えてしまうのだった。