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第5話 剣聖様の実力 Ⅰ

 婚約破棄したら元婚約者が従業員になった。

 うん、意味が分からない。わからないけど現実なので逃げることも出来ない。



「それでは今後は私の事は必ず名前で呼んでくださいね。ライリー様はいつもおいとかお前とか……あれ?ちゃんと私の名前知ってますか」


 引き続き契約書の内容を確認しながらバックヤードで今後の話を詰めている最中。以前からの疑問を問いただすと、ライリーは飲んでいた水でむせた。


「知っているに決まっているだろう!……というか、なんでお前と言うのがそんなにいけないんだ?いいじゃないか、親しい感じがするし……」


 し…親しい?お前呼びが彼にとっての親愛の証って事?


「えっと、そこは人によるとしか言いようがないんですけど。私はごく普通に名前を呼んで頂ける方が好きです」

「そうか……?だが世間の夫は妻をそう呼ぶことが多いじゃないか」


 ああ、なるほど。ライリーのお父様は奥様をそんな風に呼ぶんですね。確かに息子の態度にそっくりの、威張り散らしたおじさんでした。まあ実家の常識を世界の常識のように信じちゃうのはあるあるなんですけどね。


「世間は知りませんが、我が家では両親はお互いに名前で呼び合いますね。そのせいか私もちゃんと名前……呼ばれたかったです、ずっと。お前とかおいとかじゃなくて、私の名前で」


 私の言葉に、ライリーは何かひどく動揺しているようだった。え、これは……本気でわかってなかった?本当にああいう呼び方が一番いいと思ってたの?私を下に見ていたわけじゃなく?

 衝撃の事実に私も口をきくことが出来ず、しばらく奇妙な沈黙が流れてしまった。


「……わかった。ではこれからはエレノアで」

「あ、そこは出来れば周囲にあわせて『エレノアさん』にしてもらっていいですか。一応私、ここでは最高責任者なので」

「わかった、エレノアさん」

「ふふ、ありがとうございます。私のお願いをきいて頂けたお礼に、今後は私もライリー様をおいとか、お前って呼びましょうか?」

「………………それはいい」





 契約書を交わした私達は、まずは腕前を見せてもらうためにそのまま厨房に移動した。

 そして知った衝撃の事実。あれだけ俺はやれるアピールをしていたライリーだったが……なんと、料理人としては全く使えなかった。



「あの……ずいぶんと独創的な包丁の持ち方ですね。どちらの流派の達人ですか」

「これが包丁なのか?生まれて初めて握った」

「え!?ちょっと待ってください、じゃあ今までの料理って一体何で切っていたんですか」

「野営で調理専用道具は持っていかないからな。手持ちの短剣かダガーナイフでぶつ切りにする」

「……それって皮を剥いたりは……?」

「もちろんそのまま鍋に突っ込むが」



 ああー……。そ、そっかあ。そりゃあそうだよね。訓練中の調理にそんな繊細さ必要ないよね。ぶった切った食材の大きさだってぐつぐつ煮込めば気にならないもんね。そこに神経さくよりもさっさと作って食べて、少しでも長く体を休めた方がいいもんねえ。

 無残なまでに乱雑に破壊された野菜だったものを見ながら、私は納得した。



 剣聖様、たいしたことねーな。



「すみません、やっぱり今すぐ帰ってもらっていいですか」

「なんでだ!?ちゃんと出来ているだろう」

「できてません。少なくとも私の求めるレベルに達してないです。これでお金をとったら詐欺ですよ」

「食べる分には問題ないはずだ」


 出来てない事をはっきり告げているのに、ライリーは全然それを認めようとはしなかった。


(あー……そうか、この人今まであんまり『出来ない』って経験したことないのかも)


 ライリーの所属学部はほぼ全員騎士等の戦士系職業を目指しているので学科も魔法学もそこまで重視されていない。剣技や体術などを中心とした身体能力求められ、逆にそれ以外はさほど見られることはないので、ライリーのように一芸に秀でただけのタイプでも、ものすごく優秀に見えてしまうのだろう。

 かくいう以前の私も、ライリーは完璧超人なのだと思い込んでる節があった。……アホか、私よ。


 うん、まあせっかく手伝ってくれる気がある人にあんまり厳しい事を言いたくはないのだけれど。こっちも仕事だし、遠慮なく指摘させてもらいますね?


「こんなものは出来てない所じゃありませんね。平民だったら10歳の子供だってもっと上手にやりますよ」

「ぐっ……」

「そもそも持ち方からなってませんからね。まずは基礎の基礎から教えて差し上げます」

「……そんな必要などない、俺はやれている!」

「見た方が早いですかね?出来るっていうのはこういう事を言うんですよ」


 私はそこらにある葉物野菜を掴むと一瞬で千切りにした。ついでに根菜をするりと皮むきし、リンゴを花の形に飾り切りを入れてやった。うん、全盛期ほどじゃないけどだいぶ勘を取り戻してきたなあ。思わずそっちのけで感慨にふけってしまう。ふと見ると、ショックを受けているライリーが顔を引きつらせていた。

 そんな彼を見たことがなかった私は悪いと思いつつ思わず声をあげて笑ってしまった。




「わかりましたか?貴方の腕前ではお話になりません。せいぜい下働きとして皿洗いとかゴミ捨てからってレベルですね!」




 ビシリと指を突き付けてやると今まで自分の中にあった『ライリー様はなんでもできる凄い人』という虚像が瓦解し、すっきりさっぱり清々しい気持ちになった。さよなら私の中の『ライリー様』。こんにちは新しい私。これで思い残すことなく婚約破棄を受け入れられる……そう納得しかけた時。



「わかった。ならその皿洗いとかゴミ捨てから始めよう」



「………………えっ?」

「まずは下働きの仕事とやらのやり方を教えてくれ。それから先ほど言っていた包丁の基本の持ち方や使い方も頼む」

「む、無理です!!そんな、ちょっとからかっただけですよ。剣聖様にそんな事させられるわけないじゃないですか!」


(おかしい、さっきまでは明らかにダメージを受けていたのに立ち直りが早すぎる!予定では二度と働きたいなんて言わないほど徹底的に心が折れてくれるはずだったのに、逆に私が慌てさせられてどうするんだ……!)


 これは完全に想定外だった。

 料理人だって伯爵令息がやるにはどうかという仕事だが、さらにそのしたの下働きなんて輪をかけて以ての外だ。体面を重視し身分制度が存在しているこの国で、下働きのような仕事はさらに一段見下されている。今の私は仕事に貴賤などないと思っているが、普通の貴族がどう思うかなんて考えるまでもなく分かる。

 私は大慌てでぷるぷると首を横に振るけど、怖い事にライリーの顔は大真面目だ。


(ええー……。以前からちょっと天然だなぁと思うことはあったけど……本当に何考えてるんだろ)


 というか、何故そこまでして働きたいと思うのかな。学園でも騎士団でもちやほやされてる人物が、わざわざウチに来て下働きやりたいって……もう最近の若い子の考えは分からないよ!

 苦悩する私をよそに、ライリーはまじまじと私の顔を見た。



「なんというか、おま……エレノアさん、最近ちょっと感じが変わったな」


 ギクッ


「そ、そうでしょうか?気のせいではないですかね」

「急にレストランをはじめた事も驚いたし、なんだかいつもより返事が多い。第一俺を避けるなんておかしいだろ」


(いやいやいや!婚約破棄されたら気まずくて避けるのはごく当然ですよね?!)


「以前は避けるどころか時間さえあればしょっちゅう偶然を装って会いに来ていたし、登校時と帰宅時には必ずクラスの前にまで来て挨拶を……」

「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああ何て恥ずかしい事の上塗りをしていたんだそれ以上続けられたら死ぬ待って止めてくださいお願いいたします!!!」


 半狂乱になって取り乱す私に、さすがのライリーもギョッとしている。


「はぁはぁ……。す、すみませんが以前のお話は私の生命維持活動に支障をきたすので厳禁でお願い致します」

「し、支障をきたすのか……」


 ああ、過去の私よ。なんで貴方はそんなに愚かな行いを重ねたのか。未来の私をこんなにも苦しめると知らないで……。




「エレノアさん、すいませんけどそろそろ注文手伝ってもらっていいっスか?」


 申し訳なさそうに厨房のマルコ君に声をかけられ、ハッとする。そうだ、今はお店の開店中。細かい事は後だ、あと!


「え、ええと。これから忙しい時間に入っちゃうし、とりあえず今日は隅の方で見学って事でもいいですか?」

「まあいいだろう。何か力を借りたくなったら遠慮なく頼んでいいぞ」

「何一つ無いと思いますが、わかりました!」


 あれだけ使い物にならなかったのにどんだけ鋼メンタルなんだ。


 従業員達には今日だけ見学に来た見習いだと伝えて業務に戻る。しばらくすると、なんか今日は女性達の動きがいいなと気がついた。不思議に思って観察してみると、時折チラチラとライリーの方を見ている。なるほど、美形はやる気でるよね。時々福利厚生として座らせて……あ、駄目だ。男性従業員がギスギスしてる。


「エレノアさん、さっきからあの男一体なんスか?ちょっと邪魔なんですけど」


 剣聖様、めっちゃ邪魔扱いされとる。


「あはは、ごめんね。今日だけだと思うからちょっとだけ勘弁してくれないかな」

「エレノアさんがそう言うなら……なんか滅茶苦茶こっち睨んできてますけどシメていいスか?」

「いや、さすがに店内で暴力行為は困るよ。せめて店の外で」

「止めはしないんですね。そういう所好きっスよ。ところで、そろそろ食材のストック補充しときましょうか」

「そうだね。重いし往復多いから悪いんだけど……」


 そんな会話をしていると、タイミング悪くまとまった注文が入ってしまった。まずい、手が回り切らない。従業員が一人抜けているギリギリの状態だと、どうしてもこういう不測の事態をカバーしきれないから困る。

 焦る私の脳裏に、ふと一つのある考えが浮かんだ。


(あの一人暇そうなライリーに手伝ってもらう……?いやいや、さすがにそれはマズイって!カスティール伯爵家にバレたら殺される)



 ガッチャーン!!



 振り向けば真っ青な顔をした従業員が立ちつくしていて、床にはばらまかれたボールと下準備をしていたはずの食材が転がっている。しまった。私の焦りがみんなにも伝わってしまったのかもしれない。普段はこんなミスをするような子じゃないのに。


「ああっ、す、すみません!あたし、何てこと……」

「大丈夫、ここは私が片付けるから5分だけ休憩とってきてくれる?」

「だ、だけど……」

「まずは気持ちを落ち着けて。戻ってきたらしっかり働いてもらうからよろしくね」


 ぶるぶると震えている手を握りしめると、彼女は涙ぐみながら頷いてくれた。



(これ以上みんなを急かせない。だからといってお客様にしわ寄せを押しつける事もできない。なら……もう、後の事は後で考えるわ!)



 私は覚悟を決めると、すすすーっとライリーに近寄った。


「あのー、そこにずっといらっしゃるの、暇ですよね?つまらないですよね?」

「うん?いや特には……」

「ですよね!だったらちょっとだけ暇つぶしに食材倉庫を見に行きませんか?」

「……。まあ、構わないが」

「さあさあご一緒しましょう、こちらです!」


 私は再びライリーの手をとると問答無用で食材倉庫に引きずっていった。食材倉庫はこの店舗を借りる時に一緒に付属していた小部屋で、厨房からちょっとだけ離れた場所にある。


「こちらが小麦粉なんかの粉もの系、このあたりは果物、調味料はこちらです。あの扉の奥は魔法で温度管理してあってお肉や野菜を保存してあります」

「ふうん、魔法で温度管理するなんて珍しいな」

「一括購入できれば単価を下げられますし、鮮度は大切ですからね。コストはかかりますが供給を安定させればいつでも同じメニューが出せるし、マニュアル化しやすいんです。

 ……まあ今はそれはどうでもよくて。これとこれとこれ、ちょっと持ってもらっていいですか?」


 体格の良いライリーに重量の重い小麦粉や果物を中心にどさどさと荷物を乗せていく。おお、すごい。こんなに乗せてるのに全然グラつかない。



「重くないですか?」

「こんなもの全然大丈夫だが……もしかして運んで欲しいのか?」

「は、はい……。えへへ、お願いできます?」


 一応今は雇用主のはずだが、本来の臆病な性質が顔を出してへこへこもみ手をしながら上目づかいすると尊大に溜息をつかれた。


「ふん、やはり俺の助けが必要だったろうが。さっきの場所でいいのか?」


 イラッっとするがここは我慢、我慢!


「ありがとうございます!さすがライリー様!すごい、カッコいい、頼りになりますね!」


 我ながらわかりやすいゴマすりだなぁと思いながら言ったのだが、意外にもライリーはまんざらでもなさそうだった。あれ、この人結構単純……?


「こんなこと造作もない。任せておけ」

「本当ですか?!……じゃあ同じものをあと三往復ほどお願いしたいんですけど……いくらライリー様でも、さすがに大変ですよね?」

「問題ない、任せるがいい」



 剣聖様、チョロいな!大好き!!


この程度では足りない!もっと鼻をへし折ったれ!というドSな方は目次に戻って【ルートB】をお読み下さい。

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