第4話 契約成立
気まずい。
気まずいったら気まずい。
仕事中に現れ、こんな店なんて止めろと騒いだライリーを追い出したまでは良かったのだが。まさか彼が私の仕事終わりまで待ち続け、声をかけてくるとは思わなかった。思わず臨戦態勢になった私だが、彼は不満げに口を尖らせたまま顎をしゃくって帰宅するよう促した。
(ううっ……この態度のデカさも、それを言葉にされずとも分かってしまう自分にも嫌気がさすなぁ)
なんせ婚約歴だけは結構な長さだったのですっかり阿吽の呼吸である。ライリーの態度からは、断っても絶対に屋敷まで送ると言い張って聞かないだろう頑なさを感じる。まあ一応暗い夜道なわけで、ありがたいとは思うのだがとにかく気まずい……。
仕事中はスイッチが入ってそれどころじゃないし、少しは気にしろと自分で思うほど遥か彼方に忘れ去っていたのだけれど。
言いなりだった私がライリーの意見に反抗しあまつさえ怒鳴り返すなど、ちょっとした事件だった。私ですらそう思うのだから、噛みつかれたライリーからしてみればちょっとどころではない、とんでもない大事件だったに違いない。
しかしこれ以上その話をしてもお互い喧嘩になるだけだと分かっているのか、向こうから何かを話しかけてくる様子もない。
……だからって婚約破棄したあげく喧嘩になった相手をこんな夜遅くまで待ち続け、しっかり夜道を送っていくってなんだ。紳士か?俺様紳士。言葉が矛盾してる。第一こんな場面公女様にバレたらまずいんじゃないかとか、いやなんで婚約中に恋人になるような奴等に気を使わなきゃいけないんだとか。もやもやもやとなるのだが、当然仕事で疲れ切った状態でそんな厄介なことを考え続けられるわけもなく。
お父様に言う気なのかという問いにだけ、黙って首を横に振ったのを見届けると全てがどうでも良くなった。
(もう面倒だしいいや……。どうせ今日だけの話だろうし)
そんな事を考えていた時期が私にもありました。
◇◇◇
「いらっしゃいませ、お客様一名様でいらっしゃいますか?」
「は……?意味がわからない……」
なんと2日連続でライリーがあらわれた。しかも今回は着替えまで済ませてから来ている。いかにもな下町の洋食屋さんの背景と、王宮かどっかからそのまま飛び出してきたような容貌が全然マッチしてない。同じように学生服を脱ぎ一般市民の服装をしているはずなのに、私とのこの差はなんなのだろう。いやそういう話ではなく。
「あれ?お客様、たしかエレノアさんのお知り合いの……?」
「ちょーっと待ってください!お客様、どうぞこちらに!!」
昨日の二の舞はごめんだ。店先で喧嘩したくなかった私は彼の手をひっつかむと再び強引にバックヤードに連れ込んだ。
「と、とりあえずお父様に黙っていて下さったのはありがとうございました」
「……ああ、気にするな」
「その上で今日もまたここに来たって事は、やっぱり噂になる前に止めにきたんですか?言っておきますが無駄ですからね」
相手は何も言わなかったが、私は続けた。
「もちろん伯爵家がお金に困っているわけでも、単にお金が欲しいだけで仕事をしているわけでもありません!私の料理で笑顔になってもらって、相応の対価を受け取って、それを元手にもっともっとやりたい事がたくさんあるんです。どうかこんな中途半端なところで邪魔しないで下さい!」
彼に向かって邪魔をするなだなんて、前の私なら絶対に言えなかった。でも今は前世の記憶の欠片が私は間違ってないと後押ししてくれる。
(頑張れ、私!)
震えだしそうになる手を握りしめ、何があろうと引き下がらない覚悟で斜め上にある美貌を睨みつける。ライリーはしばらく私を上から見下ろしたあと、ごく普通の調子で言った。
「席に戻って食事を注文していいか」
え……?話の流れ……。
相変わらず人の話聞こえない機能すごいな、この人?
しかし言いふらされたくない弱みがある以上は強く言えず、席に案内し本日のおススメメニューを出した。前世の記憶があっても本質的に臆病な私は後でそっとデザートも付けた。
席に戻った彼は一般人らしからぬオーラで若干悪目立ちしていたが、周囲もいくらなんでもあの剣聖様と思うはずもなく。庶民まみれのうちの店の端で、綺麗に全部食べ切り支払いをすませたのち私に詰め寄ってきた。
「店員募集中の張り紙を見た。俺がここで働いてやる」
「はああああああああああああああ!?」
ありえない、ありえないでしょ。
別れた婚約者の職場で働こうとする思考回路が分からない。大体あなた、公女様はどうしたんですか。だから私は……私は……。思わず目頭が熱くなりそうになり、頭を振った。
(……そっちから婚約破棄を言い出したくせに、何度も目の前に現れないでよ!)
私は毅然と断るべく、キッと睨みつけた。なんでも言いなりになる私とは、もう決別した。ライリー相手だろうとなんだろうと、言うべきことは言ってやるんだ!
「言っておくが俺は料理なら騎士団での野営経験があるから慣れている。刃物の取り扱いなら任せろ。体力には自信があるぞ」
「仕事はいつから入れますか!?」
あれ……?私、雇ってる???
いやだって!本っ当に人手が足りなくて猫の手も借りたいくらい忙しいんだもの!飲食店経営したことある人ならわかってもらえるよね?こっちは下働きでもいいから手伝ってほしいくらいだから、つい。
「い、いや今のはやっぱりナシで!どこの世界にレストランで働く伯爵令息がいるんですか!」
「一度許可したものを取り下げるな。お前は伯爵令嬢だろうが」
ライリーは一歩も引かない様子で私を睨んでいる。
(ああー……わかってしまう。コレはいいっていうまで絶対動かないやつだ)
一体何が引っかかったのか、どうしてもウチの店で働く気らしい。決定権が私にないことがおかしい。
うーん……。押して駄目なら、引いてみるか。
「わかりました。そこまでおっしゃるならお願いしてもいいですよ。ただし!私が雇用主になるんですから今後はおいとかお前ではなくさん付けで呼んで頂きます。もちろん業務中の指示には絶対服従、少しでも連携を乱すようなら即辞めていただきます」
どぉーだ!上から大好きなライリーには中々耐え難い条件ではないだろうか。いつも見下していた私に命令されるなんて絶対に嫌だよね?
「わかった、問題ない。早く契約書をよこせ」
「え?!本気ですか?……私、言っておきますけど仕事には厳しい方ですよ」
何度も何度もしつっこく聞き返したけれどライリーは大丈夫の一点張りだった。こうなってしまえば条件を出した私の負けだ。今更やっぱり気が変わったが通用する相手ではない。くそっ、俺様め……。
(だけど……業務中限定とはいえ、あのライリー様が私の下につくのか)
それは私の中にある過去の幻想を打ち砕くにはいい手段のような気がした。
学園ではカースト上位、剣術は天才。いつも自信があって堂々としてて、私とは全然違うすごい人なんだなと憧れていたけれど。料理の勝負では絶対に私の方が上!なんせ途中退場とはいえ、人生一回分多く経験と知識を積んでいるんだもの。そう気がつくと途端にわくわくとしてきた。
(ふふふライリー様。私のいらない未練を打ち砕くためにも、ついでに貴方の将来の為にも、その無駄に高いお鼻へし折って差し上げます!)
かくして私は契約書をひっぱり出し、金輪際決して他言しないようにと二重線を引いて追加事項に書き加えたのだった。