第1話 はじまりはいつも婚約破棄
「おい、以前から考えていた事なのだがお前とは婚約……」
『お前とは婚約破棄だ』
あ。
ついに婚約破棄されるんだ。
そう頭に思い浮かんだ瞬間、私はその場に崩れおちた。
◇◇◇
次に目覚めた時、私は魔法学園の保健室のベッドにいた。
わずかに薬品の香りがする部屋に寝かされた私と、その傍の椅子に座っている金髪碧眼の彫像……ではなく彫像のような整った顔立ちの男子生徒。横顔だけで絶対美形だとわかる、ほりが深く端正な横顔。
私の婚約者、ライリー・カスティール様だ。
(そっか、さっき私ライリー様に中庭に呼び出されて、話の途中で卒倒しちゃったんだっけ。)
最近はすっかりライリー様に新しい恋人が出来たという噂が広まっていて、呼び出された時には覚悟を決めていたが、やはり直接言われる衝撃は半端なかった。ライリー様に入れ込み自分そっちのけで尽くし続けてきたのだけれど、婚約破棄を言い渡されて気絶だなんてさすがにどうかと思う。
まあ気絶する事になったのは、別の原因もあったわけだけれど……。
見回してみると他の生徒達は帰宅してしまったのか、夕方の保健室に二人きりらしかった。もしかして私が目覚めるまで待ってくれてたのだろうか。……ライリー様が私の為に?それはとてもありえない事に思えた。
私達の関係はずっと一方的だった。私は奉仕する側。彼はそれを受け取るだけの側。その歪さに、いまの今ままで気がつかなかった自分のバカさ加減にガッカリしてしまう。
「ん、ようやく目が覚めたか。」
私が目覚めている事に気が付いたライリー様は立ち上がって上から私を見下ろした。なんとなく見下ろされているという立ち位置が気に入らなくて、せめてもと背筋をしゃんと伸ばす。ライリー様とは身長差があるので、どうしたって見下ろされてしまうのだけれども。
「ええ、お手数かけまして申し訳ありません。ところで先ほど言っていた婚約破棄……」
「今後はもっと体調管理をしっかりしておけ。わかったな」
ライリー様は言いたい事だけ言うとさっさと部屋を出て行ってしまった。……今までの私だったら、それに不満を感じることもなかったのだろうけど。
ゆるゆるとベッドから起き上がり、衣服の乱れを直しているとすぐにメイドが迎えに来てくれた。まるでライリー様が呼んでくれたかのようなタイミングの良さだが、すぐにそれはないと思い直した。
(それにしてもついに婚約破棄か、ずいぶん頑張ったんだけどな)
ライリー様は、過去に何度も騎士団長をだしている名門カスティール伯爵家の嫡男だった。幼い頃から武術の才能をみせ、王家主催の剣術試合の優勝者にのみ与えられる『剣聖』の称号を得るほどの剣技の天才。栄えある王国騎士団の正規入団が当然のように決まっており、自由に出入りを許されているエリート。鍛え上げられた体に、ややキツイ印象ながらも端正な顔立ち。ちょっと俺様な強気の言動も男らしいと一部の女生徒に大人気だった。
……そりゃあ箱入りで世間知らずだった私が惚れこんじゃっても……しょうがなくない?だから、ライリー様と私のやり取りはいつもこんな感じだった。
「おい、あれを持ってこい」
「はい、喜んで!」
「お前、あれの用意はどうした」
「こちらとこちら、両方ご用意しておきましたがどちらがよろしいでしょうか?」
「最近とある令嬢と俺が噂になっているようだが気にするな。いいか、お前には全く何の関係もないことだからな!」
「えっ……!?そ、それって……」
「なんだ、何か言いたい事でもあるのか」
「い、いいえ。かしこまりました!」
(……それって浮気してる方の常套句ではないでしょうか……?)
そう思ったとしても、口にすることは出来ない。
私がライリー様に何か反論するだなんてありえない。万一嫌われて婚約破棄を言い渡されるくらいなら全部我慢した方がマシだ。私は力なく了承し、ライリー様はそれをみて満足そうに頷いた。こんなことをされてるというのに私は最後まで希望にすがった。婚約破棄さえしなければ、いつかライリー様が振り向いてくれるかもしれないから……。
「ああああああああああああああああああああああああああああ恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい死んじゃいたいいやもう一回死んでたわ!」
過去の自分の思考に耐え切れず、思わず絶叫しながらその場でしゃがみ込む。私の帰り支度をしてくれていたメイドはぎょっとなって硬直しているが、そのフォローをする気すら湧かない。
(馬鹿じゃない……?私、とんでもない大馬鹿じゃない!?)
全てをなかったことにするリセットボタンがあったら秒で連打したい。
そもそも数ヶ月前に剣聖の称号を得たとたん、ご実家からは婚約を決めたのは時期尚早すぎた、息子にはもっと良い相手がいるから破談にして欲しいと何度も言われ。ウチのお父様もあんな家になど娘はやれない、大切にしてもらえないようなところに嫁に行くなと絶賛反対中だった。
(私だけが現実から目を背けてゴネてただけだわね)
しかもその挙句が向こうの心変わりからの婚約破棄って……。
いや、むしろこれで良かったんだ。うっかり結婚までしてたら二度と取り返しがつかなかったもの。この国では結婚前の婚約不履行までならよくある話ではあるのだが、さすがに神前で誓った結婚を覆すことはかなり難しい。
私はラッキー、運が良かったんだと無理矢理自分を洗脳する。
まともに黒歴史に向き合っては駄目、絶対。
(これで『思い出す前』だったら、さらにどんな恥の上塗りをしていたか……想像もしたくないわね)
そう、私はつい先ほど前世を思い出した。といっても他人の一生をそのままを思い出したわけじゃ無い。いくつかの断片的な記憶を思い出しただけで、私は私のままだった。
(ただ一度他人の意識を覗き見たせいか、今までの自分をものすごく客観的に見られるようになってしまったわ……)
数年にわたる婚約期間中に一度も好意を返してもらった事がないのに、婚約者の座に固執しつづけた頑なさは私を不幸にしかしなかった。
例のあの浮気するけど知らないフリしろよ宣言をされた後は、それまでかろうじてあった義理のお付き合いさえ激減し、避けられているとすら感じることがあった。それでも婚約者という立場にしがみついて我慢を続けていたのだけれど、すぐに不安で限界になった。だっていくら知るまい気にすまいと努力したって、嫌でもライリー様と新しい恋人の噂話は聞こえてくる。しかもそのお相手がなんと公爵令嬢であるリシェル・ブロンジェ様。わたしのようなごく平凡な伯爵家令嬢とは違う、高位貴族の中でも最上位の存在なのだ。
リシェル様はとても高貴な生まれなのを自負していて、身分の高くない者は視界にすら入れないという噂だった。もちろんそれは噂にすぎないのだけれど、同学年のリシェル様とライリー様はそれまで大した接点などなかったはず。
(それがなんで急に恋人だなんて。まさか、ライリー様が『剣聖』の称号を得たから……?それが理由で二人は近づいたのかな)
以前から騎士としての腕前は評価されていたけれど、身分だけでいえば私と同じ伯爵家令息にすぎなかったライリー様。だけどなみいる正規騎士団すら凌駕して『剣聖』の称号を得た途端にその評判は天井を突破した。間違いなく超一流のエリートコースに乗った今のライリー様なら、公爵令嬢の隣でもおかしくはない。公女様が隣を許すようになり、ライリー様もまた華やかな公女様に心を奪われたのだろうか。そんな二人にとって私はさぞかし邪魔な存在にうつっただろう。
(そうか……私婚約破棄されちゃったんだ。そうかぁ……。だったらもう……)
「だったらもう、これからは好きに生きて良いって事だよね!?」
隣のメイドが先ほどから露骨に怯えているが、そんな事気にならないくらい私は燃えていた。何故ならその断片の記憶の中で前世の夢……いや、悲願を思い出していたからだ!
前世はこの国より遥か遠く、地図にも乗らないほど東のとある小国に暮らす誰かだった。その時の私は自分で料理を作るということが好き、というより出した料理を食べて喜んでもらえるのが生きがいだった。あまり裕福ではない生まれだったようだが、家族に喜んでほしくて子どもの頃から一生懸命料理を覚え試行錯誤しているうちに食の世界にのめり込んでいった。やがて修行を兼ねて他人の店で働くようになり、こつこつとお金を貯めていった。
もちろん夢は自分のお店を持つこと、そして自分の味でお客さんを呼ぶこと!
そのために一心不乱に働いた。無理して節約して貯金して、ようやく目標額を達成した時は泣いたなぁ。そこから入念に準備しリサーチを重ね、いよいよお店を出すという直前で……死んだのよ。
(今世だって明日生きてる保証は無いんだから、失敗したってなんだって、とにかくお店を開かなきゃ!!)
そうと決まれば善は急ぎまくれだ。私はこっそり宝石を質に入れ、とりあえずの軍資金を得た。すぐさま町中のめぼしい店舗をチェックして、まずは記念すべき第一号店を開店させる算段をつける。思い立った即日出店できるとか、お金持ち最高!そして勝手な事をしてごめんなさい、お父様。黒字収益が出るようになったら、質草は真っ先に買い戻しますから!
かくして私は身分を隠し、『照れ屋で人前に出ない』シェフ兼オーナーとして密かに料理店を開くことになったのだった。めでたしめでたし。
……とはやっぱり、すんなりいかないもので。予想外のアクシデントやらなにやら沢山色々あったのだがまあ一言で言うと。
ライリー様にバレた。