１５．思わぬ差し入れ
「おはよう、セス。昨夜はご馳走様」
翌朝、宿舎の食堂で朝食を摂っていると、後から来たジャンヌが向かいの席に座りながら声を掛けてきた。
「こちらこそ昨日はサラが世話になった。礼を言う」
「お礼なんて要らないわよ。サラは素直で良い子だし、友達になれてこっちも嬉しいもの。寧ろ夕食まで奢ってもらっちゃって、こっちがお礼を言わなきゃだわ」
上機嫌なジャンヌに、サラに友人ができて良かったと思いながら口を開く。
「そうか。それなら好都合だ。今日は昨日以上に遅くなると思う。悪いがサラを夕食に連れて行ってやって欲しい」
俺が頼むと、ジャンヌは目を瞬かせた。
「分かったわ。だけど意外ね。女の子を暗い時間に一人で出歩かせたくないだけだったら、セスなら宿舎の食堂を利用するように言うと思っていたわ。あんたがただの使用人にそこまで気を配る人間だったとはね」
何処か揶揄うようなジャンヌの口調に、俺は眉根を寄せる。
「使用人に観光を楽しませてやりたいと思って、何が悪い」
「……あんた、もしかして無自覚なの？」
「何の話だ」
「いいえ、こっちの話」
ジャンヌは呆れたようにスープを啜り、パンをちぎりながら口を開いた。
「因みに訊くけど、セスはサラの事をどう思っているの？」
「……何故そんな事を訊く？」
「女嫌いで有名なあんたが、女の子を雇った上に必要以上に気を配っていたら、普通気になるんじゃないかしら？」
「下らん。サラは手持ちの金も無く行く当ても無いと言っていたから、知らぬ顔もできずに雇っているだけだ」
「……二人揃って見込み無し、ね」
何故か頭を押さえて溜息をついているジャンヌに、怪訝な視線を送りながら、食べ終えた俺は席を立つ。
「そんな事よりも、山中で魔獣の痕跡の目撃情報がここ数日増えている。巡回中に魔獣に遭遇する危険性もあるから注意しろと、改めて全員に通達しておけ」
「畏まりました、キンバリー総司令官」
一瞬で切り替えて表情を引き締めるジャンヌに、流石だと思いながら食器をトレーごと返却して部屋に戻る。
さばさばしていて俺を恋愛対象として見ていないジャンヌは、女嫌いの俺でも人付き合いができる数少ない女性の一人だ。ジョーに紹介された彼女とは、今や時折軽口を叩き合う程打ち解けてはいるが、お互い公私はきちんと区別している。
公私混同してばかりのジョーにも、少しは彼女を見習って欲しいものだ。
支度を整えて宿舎を出ると、小道を箒で掃いているサラを見付けて歩み寄った。
「あ、おはようございます、旦那様」
俺に気付いて表情を明るくするサラに、ジョーへの不満は吹き飛ばされて、気が軽くなる。
「サラ、今日は遅くなる。夕食はジャンヌと食べに行くと良い」
「分かりました。あまり無理はなさらないでください。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
サラに見送られて出勤した俺は、昨日聞いた魔獣の目撃情報を基に、重点警備場所や巡回順路、人員の配置等を見直して指示を出した。冬山で食料が少なくなった魔獣が、何時山から下りて来てもおかしくない状況だ。何としても街に被害が出るのは食い止めたい。
翌日は休みを取っている事もあり、その分まで仕事を終わらせてから帰ろうと残業をこなしていると、不意に執務室の扉がノックされた。
「入れ」
「失礼致します、総司令官」
入室して来たジャンヌに、俺は目を丸くした。
「ジャンヌ、先に帰ったのではなかったのか？ サラはどうした？ ……まさか何かあったのか？」
不安に駆られた俺は、思わず椅子から立ち上がった。
「違うわよ。そのサラが、あんたに差し入れを持って行きたいって言うから、付き合ってあげただけ」
微笑んだジャンヌが後ろを振り返ると、扉の向こうからサラがおずおずと顔を出した。
「お疲れ様です、旦那様。押し掛けてしまって申し訳ありません。ジャンヌさんがまだ時間がかかるだろうと仰っていたので、お腹が空いていらっしゃるのではないかと思って……」
サラが差し出してきた紙袋を受け取ると、肉の良い香りがした。途端に気付いていなかった空腹感を覚える。
「そうか。丁度腹が減っていた所だ。礼を言う」
「いいえ。旦那様のお役に立てたのなら光栄です」
嬉しそうな笑顔を見せるサラに、知らず口元が緩んだ。
「……あんた、そんな風に笑えたのね」
顔を上げると、ジャンヌが呆けた顔でこちらを見ていた。
（俺は今、笑っていたのだろうか？ 確かに俺は無愛想だが、笑わない訳ではないのだが……）
とは言え、思い返してみれば、ここ数年はこんなに温かい気持ちで笑った記憶はあまり無い気がする。
「それでは、お邪魔にならないうちに失礼致します」
頭を下げるサラに、俺達は我に返った。
「サラ、もう遅いから気を付けて帰れ。頼んだぞ、ジャンヌ」
「分かっているわよ。行きましょう、サラ」
「はい。旦那様も、雪が降り始めてきましたので、帰りはお気を付けください」
退室して行く二人を見送って、俺は紙袋を開けた。分厚い肉を挟んだボリュームのあるサンドウィッチは、まだほの温かい。
思わぬ差し入れに安らぎを感じながら、俺はサンドウィッチ片手に再び書類を確認し、ペンを走らせていった。
