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1.虐げられる日々

「何よこの紅茶! 冷めているじゃないの!」


 バシャッ!

 温い紅茶を頭から浴びせられた私は、深々と頭を下げる。


「申し訳ございません」

「さっさと淹れ直しなさい!」

「畏まりました」


 髪から滴る雫もそのままに、私は異母姉の手元の空になったカップを回収する。視界の端で、異母姉が私を嘲るような笑みを浮かべているのが見えた。


 と言うか、淹れてから三十分も経ったら冷めない方がおかしいのだが。それまで全く手を付けなかったのだから、絶対に嫌がらせに決まっている。

 そう分かっていながらも、逆らう術を持たない私は、大人しく異母姉の部屋を下がり、紅茶を淹れ直すべく厨房に向かった。


 ***


 私の名前はサラ。十歳までは平民として母子家庭で育った。大衆食堂で人気ウエイトレスとして働いていたお母さんが流行り病で亡くなってからは、父親だと名乗りを上げてきた前フォスター伯爵に引き取られた。

 彼曰く、政略結婚の妻とは一男一女をもうけたが、金遣いの荒い妻とはどう頑張っても折り合いが悪く、鬱屈していた頃に新米メイドとして雇われたお母さんを見初めてつい手を出してしまったんだとか。私を妊娠してしまったお母さんはひっそりとメイドを辞めたものの、前伯爵は私達の事を気に掛け、時折こっそり様子を見に来ては養育費を渡していたらしい。お母さんが亡くなって一人になってしまった私をこれ以上放っておく事ができず、自分の娘と明かして手元に置く事にしたと彼は語った。


 フォスター伯爵家に引き取られた私は、父にはとても可愛がられた。今まで着た事も無い立派なドレスを着せられ、食べた事も無い美味しい料理をお腹いっぱい食べさせられ、広くて綺麗な自室を与えられ、きちんと淑女教育を受けさせてもらえた。だけど継母、異母兄、異母姉は私を敵視し、父の居ない所ではやれ泥棒猫の娘だの、平民のくせに生意気だの、様々な暴言を浴びせられていた。

 そして三年前、父が事故で急死してからは、それは悪化の一途を辿った。異母兄がフォスター伯爵位を継ぐと、父から与えられた服や靴やアクセサリーは全て取り上げられ、自室から追い出されて屋根裏部屋に住まわされ、今や私は使用人扱い。それもタダ働きな上に、難癖を付けては罰と称して食事を抜かれたり庭で一夜を明かさせられたり徹夜で針仕事をさせられる有様だ。


「ちょっと! これピーマンが入っているじゃないの! こんな物を私に食べさせる気!?」


 夕食の席で、魚のソテーに添えられた嫌いなピーマンを目敏く見付けた異母姉が、皿ごと私に投げ付けてきた。

 夕食のメニューは料理長が決めているのだから、完全に私と関係ないのに、八つ当たりも良い所である。


「申し訳ございません」

 だけど一応謝ってご機嫌を取っておかないと、下手をすれば風魔法で壁に叩き付けられてしまうのだ。


「おいリア、そいつに怪我だけはさせるなよ。痕が残るといざという時高く売れなくなるからな」

「分かっているわよお兄様。私がそんなヘマする訳無いじゃない」

「相変わらず見苦しい娘ね。さっさとそこを片付けなさい」


 継母に命じられ、私はひっくり返った皿と中身を片付ける。散らかしたのは私ではなく異母姉だと文句を言いたい所だが、そんな事は口に出しても無駄だし、生意気だと激昂されて更に事態が悪化するだけだ。


「罰として、あんた今日夕食抜きね」

「……畏まりました」


 異母姉の理不尽な罰に腹が立つが、悲しいかな、もう慣れてしまった。腹を立ててもお腹は膨れない。


(そうだ、どうせ捨てるのだからこのソテー貰おう。ちょっと床に落ちただけだし手も全く付けられていなかったし勿体ないもの)


 家の全員が寝静まった後、私はこっそり取っておいたソテーをお腹に収めて、屋根裏部屋のベッドに身を横たえた。


(今日はまだ穏便な方だった。明日はちゃんとご飯が食べられると良いな……)


 父が亡くなった後、この家から逃げ出そうと思った事は何度もある。だけど私は無一文だし、行く当てもないし、持っている物と言えば時折与えられるボロボロの古着だけ。これでは平民に戻ろうにも雨露をしのぐ事すらできず、下手をすれば悪人に捕まって娼館にでも売り飛ばされてしまうか野垂れ死にだ。それを考えれば諦めて大人しくこの家で過ごし、そのうち異母兄の駒として政略結婚させられた方がマシなのかも知れない。だけどどうせあの異母兄の事だ。まともな相手など望めない事は目に見えている。どっちにしろ、私の未来に希望など無い。


 そんな虐げられるだけの日々を過ごしていた私が、十六歳になって成人するなり、異母兄に呼び出された。


「お前にはキンバリー辺境伯に嫁いでもらう」

 異母兄の鶴の一声に、私は思わず目を見張って身体を強張らせた。


「あら、良かったわねえ。でもキンバリー辺境伯だなんて、どういう風の吹き回しなの? トリスタン」

「国王陛下のお声掛けに手を挙げただけですよ、母上」

「そうだったのねお兄様。でもあんたにとっては、これ以上無い縁談よねえ」

 継母と異母姉も揃ってニヤニヤと私を嘲笑う中、私は以前淑女教育の一環で教わった彼についての情報を思い出していた。


 セス・キンバリー辺境伯。このヴェルメリオ国の国王陛下の従弟である彼は、若くして爵位を継いでおり、国内最北の辺境地の主で確か今二十四歳。私は会った事は無いが、琥珀色の髪に海のような青い目を持つ美丈夫だと聞いている。

 普通に考えれば最高の結婚相手で、誰もが羨むような話なのだが、三人が私を嘲笑うのは訳がある。キンバリー辺境伯は、大の女嫌いで有名なのだ。夜会で擦り寄って来るご令嬢が居ようものなら、その場に居合わせた人々が皆凍り付くような視線で相手を睨み付け、お節介な周囲がお見合いの席を設けようとすれば、片っ端から手酷く断り、見かねたご親戚の方々が無理矢理婚約者を決めようとすれば、花嫁修業と称して相手に無理難題を課して断らせるらしい。今では冷酷無慈悲な方だという噂までまことしやかに囁かれていると聞く。


 そこまで思い出した私は、漸く異母兄の狙いが分かった。

 異母兄は、従弟である辺境伯を気に掛けた国王陛下の呼び掛けに応じて私を嫁がせる事で恩を売りつつ、体良く私を家から追い出そうとしているのだ。私がキンバリー辺境伯に嫁いでも、すぐに追い返されるであろう事を見越して。

 私が追い返されて来ても、異母兄はもうフォスター伯爵家に足を踏み入れさせないつもりなのだろう。それこそ私が野垂れ死にしようがどうなろうが構わないに違いない。そうでなければ、漸く厄介払いできたと言わんばかりに私を見下す三人の今までに無い醜悪な笑みの説明が付かない。


「すぐに荷物を纏めて辺境伯領に行け。何があっても、二度とこの家には戻って来るなよ」

(ああ、やっぱり……)


「……畏まりました」


 異母兄の命令に答えると同時に響き渡った三人の醜い高笑いを背に、私は絶望した気分で屋根裏部屋に向かったのだった。

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