ゴブリンは絶滅しました
ゴブリンが絶滅の危機に瀕している。
一〇〇年前にそんな事を言い出す人間がいたとしたら、きっと正気を疑われたことだろう。ゴブリンは何処にでもいて、どれだけ駆除しても駆除しきれず、人類にとって最悪の隣人であり、絶滅させるなんて夢のまた夢であった。
だが、事実としてゴブリンは自然環境下では絶滅してしまった。生存しているゴブリンは僅かに三十七頭に過ぎず、遺伝子的な多様性を失った彼等が絶滅する日はそう遠くないのは明白だろう。
発端は一二〇年前の魔導産業革命にまで遡る。自然界に存在する自由魔素の魔素を利用した第三世代型の魔導力機構は革新的だった。個人の魔素内包量と魔術理解に効率が依存する旧世代型の魔導力機構とは違い、第三世代型魔導力機構は個人の資質と技術に左右されない安定性を実現した。
第三世代型魔導力機構を利用した工場は従来では考えられなかった大量生産を可能とし、第三世代型魔導力機構を利用した自動車や飛行機が人や物品の流通を高速化させ、大量消費の時代が始まった。
それはつまり、魔術は限られた一部のエリートの為の奇跡ではなく、大衆の為の技術へと移行したことを意味する。
あらゆる地域で、あらゆる国で、第三世代型魔導力機構が作られ、使用された。
しかし素晴らしい恩恵を人類に与えてくれた第三世代型魔導力機構ではあったが、やはり完全ではなかった。『すべて自然でないものは不完全である』と古の大魔導師は残したが、まさにその通りであった。
自然内の自由魔素を大量消費する第三世代型魔導力機構は、人類が使用できる魔素の量を格段に上昇させた。強欲で傲慢で我慢を知らない人類は、その無尽蔵にも思える自由魔素をあっという間に使い切ってしまった。
これが今も世界を悩ます魔素枯渇を招いた要因だ。
魔素の枯渇は人類の肉体にも幾らかの影響を与えたが、肉体の維持に人類以上の魔素を用いる魔物達にとってはより致命的だった。特に巨大な肉体を持つ竜や巨人、或いは肉体を持たぬ魔素生命である精霊は今世紀に入るよりも以前に全種の絶滅が確認されている。
それら以外の中型小型種も壊滅的なダメージを受けており、この一〇〇年で約一八万種――つまり全体の二〇%近い魔物は絶滅したと言われている。
残った魔物は魔素を必要としない昆虫種か、人が暮らさぬ山奥や深海に生きる小型主ばかりだ。
魔物の大量絶滅は当初は問題とは考えられていなかった。人類の不倶戴天たる魔物の絶滅は人類至上主義を掲げる教会からしてみれば神の奇跡の体現であったし、理不尽に命を奪われる危険が減ったことを喜ばない人間がいるはずもなかった。
が、魔物もまた自然が創り出したこの世界の一部であったのだ。世界は徐々に壊れていった。例えば、竜が絶滅すると捕食圧の減った草食の大型魔物が増え、結果として森林は食べ尽くされて荒れ地に変わった。餌としていた蟲の魔物が減り、魔鳥類達は本来は餌にしていなかった花粉の運び手となる魔蟲を食べるようになり果実業界は大打撃を受けた。魔物由来の薬品も入手が困難になり、幾つかの克服していたはずの病魔が再び猛威を振るい始めた。
それらの被害から、魔物も大切な地球の一員であり、人間も自然の一部でしかないことを、人類は改めて知ることとなった。以降、人類は環境と言う新たな視線を手に入れ、より正しく生きる術を学んだ。
そして二一年前、人類は絶滅したと思われていたゴブリンを再発見する。そこは開拓の進まぬ小さな国の森の奥深くで、発電所設置の為の調査中の事だ。そのゴブリンは一般的なゴブリンよりも小振りで、キノコやコケを主食とする新種であった。
この新種のゴブリンの発見は世界中の注目を集めた。多くの国外の世論はこのゴブリンの生活を守る為に、森林を保護区にするべきだと主張した。反対に、国内の声はゴブリンなど無視して発電所を作るべきだと言う声が大きかった。未だに発展の遅れるかの国にとって、今回の大型発電所の計画は今後一〇年の国家発展の足掛かりであり、たかが二〇〇〇頭にも満たないゴブリンの為に国民全員が貧しく苦しい思いをしなければならないだなんて受け入れられるものではなかった。
一三〇万人の人間に安定した電力の供給を優先するべきか、それともゴブリンの生活を守るべきか。
この論争は五年程続き、最終的にはコブリンの餌であったキノコの減少によってゴブリンの個体数が一一〇頭まで激減した為に終息せざるを得なかった。ゴブリンの保護の為に人々が何度も調査のために森へと足を踏み入れた結果、ゴブリンの主食であったキノコに病を持ち込んでしまったのだ。
食べ物が断絶され、森はもはやゴブリン達が住める環境ではなくなってしまった。
絶滅寸前となったゴブリン達を救うべく、残されたゴブリン達は大国に全て保護されることになった。
既存の森に放つのは不可能であるので、ゴブリン達は施設内で飼育されており、その特殊な食事事情や環境を維持するために何万人もの難民の飢えをしのげるであろう額の税金が投入されている。
もっとも、それも完璧ではない。
人類の叡智をもってしても、自然にはまるで敵わない。
ゴブリン達は年々数を減らしていき、現在は僅か三十七頭にまで減少してしまった。
「あと三十年もすれば、ゴブリンは絶滅するでしょう」
力不足を嘆くように私はそう言った。
ゴブリン学者としてこの計画の初期から携わっていたにも関わらず、この様だ。
きっと、私が死ぬよりも早くにゴブリンは絶滅してしまう。
「っは! 馬鹿を言うな」
気落ちする私を見て、古いエルフが嘲笑した。
ひょっとしたら『人間程度が自然に逆らえると思うな』みたいなことを言って、私の力不足ではないと励ましてくれていると思ったのだが、それは甘い期待であった。
「ゴブリンがどこにいる?」
「え?」
コンクリートに囲まれた野球場程の大きさをした人口森林を見下し、エルフは軽蔑するようにそう言った。
「餌を探すこともせず、危険を察知する能力もなく、縄張りも持たず、与えられる物をただ享受するだけ。ただ存在する為に存在しているアレを生きていると言えるのか? 定命のやりそうなことだ、見た目だけを取り繕い、自然の本質を理解していない。ゴブリンは最早、何処にもいない。貴様達は自己満足の為に命を弄んでいるだけだ。軽蔑するよ、定命」
「…………」
「それに、絶滅するだと? 他人行儀な言い方だ。救う? 保全? 馬鹿馬鹿しい勘違いに、思い上がりだ。貴様達定命が滅ぼしたんだ。そうだろう? 」
「古いエルフの友には、私が間違って見えるかい?」
「ああ」
清々しいほどに、古いエルフは哂った。
「散り際に美しさを見るのは君達定命の得意分野ではなかったかね?」