枢軸国加盟国「大韓帝国 」
第二次世界大戦において日本・ドイツ・イタリアを中心とした軍事同盟である枢軸国が、アメリカ・イギリスを中心とした軍事同盟である連合国と戦ったことは近代史を少しでも知る人なら常識ですね。
ですが、日本の隣国、韓半島にある大韓帝国が枢軸国に加盟していたことを知る人は意外に少ないようなのです。
それで、今回は枢軸国としての大韓帝国についてお話したいと思います。
日本が江戸幕府から明治維新により近代国家「大日本帝国」となったように、日清戦争後に朝鮮王国も「大韓帝国」となりました。
韓国は大清帝国の属国の状態から脱し、朝鮮国王は称号を「大韓帝国皇帝」に変更しました。
国名を大韓帝国とし、称号を大韓帝国皇帝とした理由は、清の皇帝や日本の天皇と対等になるためでした。
日本は一時期韓国の併合を考えていましたが、経済的に赤字になるということで中止しました。
さて、日本・ドイツ・イタリアが軍事同盟を締結した時、大韓帝国も加盟を申し出ました。
その理由の一つは、大韓帝国は独立国でしたが、経済的には日本への依存度が高かったからです。
日本からの投資と技術により、韓半島北部は鉱工業、南部は稲作が発展していました。
鉱物資源と米の主な輸出先は日本でした。
大韓帝国の経済構造を単純に言うと、日本に鉱物と米を売って得た外貨で日本から工業製品を買っていました。
他の理由は、陸の国境線はソ連と日本が打ち立てた満州国と接しており軍事的に日本と対立してしまうと簡単に包囲されてしまう状況にありました。
日本陸軍内部では満州国を謀略で打ち立ててから大韓帝国を武力併合してしまおう意見も多くなっていたのです。
大韓帝国は自ら枢軸国に加盟することで自国の独立を守ろうとしたのです。
副産物としては日本とソ連の間には不可侵条約が結ばれているので、日本と同盟することでソ連からの脅威を避けようとしたのです。
さて、大韓帝国は枢軸国に加盟しましたが、日中戦争では日本軍の領内通過は認めましたが韓国軍は前線に派遣しませんでした。
当時は、日中戦争は正式な戦争ではなく「事変」あつかいで大韓帝国に参戦義務はないのですが、太平洋戦争が開戦しても韓国軍は参戦しませんでした。
その理由は、韓国陸軍は主な装備は日本から輸入した中古兵器であり、ソ連との国境警備で手一杯であり、韓国海軍も海上警察程度でした。
日本軍にとって韓国軍が前線に出るのは「足手まとい」と考えていたので大韓帝国の判断をむしろ歓迎しました。
大韓帝国は、日本がアメリカ・イギリス・オランダに宣戦布告した後、付き合いのように宣戦布告しましたが、連合国側からも注目されなかったほどでした。
大韓帝国は戦闘に参加しないまま第二次世界大戦最後の年1945年になりました。
すでに枢軸国からイタリアは脱落し、日本・ドイツも敗色が濃厚でした。
大韓帝国は連合国への降伏を考えましたが、連合国も日本本土や韓半島に兵力を向けられる段階ではなく、下手をすると日本に大韓帝国全土が占領されてしまう状況でした。
1945年の3月にある事件が起きました。
日本海軍の戦艦「大和」が大韓帝国の釜山の港で動けなくなってしまったのです。
アメリカの潜水艦の雷撃による損傷でした。
実は「大和」は大韓帝国が降伏しないように「まだ日本には有力な軍艦がある」と示す一種の砲艦外交として釜山に寄港しようとしていたのでした。
損傷の修理には6月末頃までかかりました。
もし、「大和」がこの時期動ける状態だったら沖縄へ特攻することになり、アメリカ海軍の空母の航空攻撃により撃沈されていたと言われています。
修理完了後も「大和」は日本本土の空襲が激化したことと燃料不足で釜山に停泊したままでした。
8月6日アメリカ軍B29による広島への原爆投下、8月9日長崎への原爆投下、同日ソ連が日ソ不可侵条約破棄し対日戦参戦、日本の敗戦は確実でした。
ですが、大韓帝国は連合国への降伏をすることはできませんでした。
大韓帝国の帝都京城近郊に日本陸軍の大規模な部隊が駐留していたからでした。
日本は太平洋側からのアメリカ軍の上陸に対する本土決戦に備えていましたが、大韓帝国が降伏すると背後から刃物を突きつけられた状態になるので、大韓帝国に大規模な陸軍部隊を駐留させたのでした。
大韓帝国は日本軍の領土内の「通過」は認めても「駐留」は認めていなかったのですが、満州への移動中の部隊を「事故により移動できない」と日本軍は言い張り事実上駐留してしまったのです。
そして、8月9日ソ連が満州に侵攻、同日大韓帝国にも侵攻しました。
皮肉にも大韓帝国に日本軍が駐留していたことが、ソ連への抗戦を可能にしました。
大韓帝国陸軍の装備はすべて日本製で、日本軍から指導も受けており、大韓帝国軍の将校は日本に留学した者も多く、日本軍と大韓帝国軍は連携ができたのでした。
韓半島の沿岸では、戦艦「大和」が艦砲射撃によりソ連軍に甚大な被害を与えました。
8月15日に日本がポツダム宣言を受諾して戦争は終わりました。
同日、大韓帝国も連合国に降伏しました。
ソ連は韓半島の北部を少し入ったところで、大韓帝国軍と日本陸軍に進撃がストップされました。
韓半島は北緯38度線を境にして北部をソ連が南部をアメリカが占領するという案もあったのですが、韓半島で甚大な被害を受けたソ連は韓半島の占領を諦め、韓半島全土がアメリカ軍に占領されました。
戦後、大韓帝国は日本のように軍備を放棄されることはなく、それどころかアメリカの支援で増強されました。
なぜなら、中国では国民党と共産党の内戦の結果、南北に分断され、北部にソ連が支援する「大中華民主主義人民共和国」、南部にアメリカが支援する「大中華民国」が建国されたからです。
北中国と国境を接することになった大韓帝国の軍備を増強することは当然でした。
戦艦「大和」は大韓帝国海軍の所属となり、戦艦「釜山」と改名しました。
大韓帝国海軍には戦艦を動かせる人材はいなかったので、もともとの「大和」の日本人乗組員が「特別顧問」として乗り込んでいました。
戦艦「釜山」は日本が再軍備した時に日本に返還され、海上自衛隊超大型護衛艦「やまと」となっております。
現在では「やまと」は対馬に記念艦としてあり、日韓友好の象徴となっております。
さて、現在では冷戦終結後、ソ連が崩壊し、ソ連からの支援がなくなり経済難にあえぐ北中国は核兵器や弾道ミサイルの開発で国際社会から経済制裁を受け、ますます苦しくなっています。
いつ暴発するかもしれない北中国に備えて、大韓帝国・日本・アメリカ・南中国は堅固な同盟関係を築いています。
大韓帝国はイギリス・日本などと同じく立憲君主制で議員内閣制であり、首相が実権を持っています。
1960年代には、元職業軍人で日本の陸軍士官学校への留学経験もある人物が首相となり、日本からの経済援助をもとに「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を成し遂げました。
最近では、彼の娘が大韓帝国初の女性首相になっています。
大韓帝国の政治は安定しており、現職の首相や首相経験者が亡命したり、暗殺されたり、逮捕されるようなことは一度もありません。
経済的には、ソ連崩壊後、ロシアのシベリア鉄道と韓国国鉄のレールが繋がり、定期貨物列車が運行されており、極東と欧州を結ぶ物流の拠点としてますますの発展が期待されています。
さて、国名である「大韓帝国」ですが、アメリカに占領された時、占領軍により「大韓国」か「韓国」とすることを一時提案されました。
しかし、それでは韓国皇帝が軽く見られ、韓半島内の共産主義者が勢力を増す可能性があるということで中止になりました。
日本は戦後の新憲法により、国名を「大日本帝国」から「日本国」にする案もありましたが、それでは大韓帝国より「格下」になるということで「大日本皇国」となりました。
南北中国が国名の最初に「大」を付けているのも同じく「格下」に見られたくないという理由です。
極東の漢字文化圏にある四つの国家、大韓帝国・日本・南北中国が国名に「大」をつけている理由はなかなか面白いと私は思っております。
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